「殿、一杯いかがでござるか」
「酒?おう、相手になるぜ」
空も綺麗に見える縁側。
風呂にも入って髪を乾かしているところに来た幸村は酒瓶と猪口を手にもっていた。
はわしゃわしゃと髪をふくのをやめてその誘いに笑顔で言う。
雲ひとつ無い三日月の夜。
酒に飲まるは御前の計か
は隣で座る幸村を見ながら、猪口を呷った。
結構な度なのか、ぬれた髪に冷えていた肩口がほんのり温まっていくのを感じる。
幸村もの隣に座って次々と飲み下していく。
殆ど飲み比べのような状態だ。
は少し熱くなってきた頬を両手で冷やしながら幸村に話しかけた。
「あー、熱ィ。意外と酒豪なんだなお前。俺もう酔ってきたかも」
「?しかし先の宴では殿も随分と飲んでおられたでござろう?」
「あん時は久し振りだったし、こんな強い酒じゃなかったし
……幸村は酔ってないのか?」
「と言うか、自分でも酔っているのかわからぬだけで御座る。
それ故
たらふく酒を飲めば、必ず泥酔しまする」
「そりゃ酒を浴びれば、な」
この前のことを思い出して、二人とも笑った。
佐助はこの寒いのに仕事で、どこかに出かけてしまっている。
いつもの状態から減った二人で居るのは、なんとなく寂しい気もする。
しかし、つまらないことで小さく笑う、そんな現状が嫌なわけでもなかった。
しばらく無言のまま飲んでいた。
不快な沈黙でなく、趣のある沈黙だったが、いくらなんでも完璧に外の縁側で飲む酒で
体中が温まるわけもなく。は火照った頬と手の平のギャップに小さく悲鳴を上げた。
「どうなさった殿?」
「いや、手が冷たくてさ」
「手が?」
「うん。ちょっと幸村手ぇ貸してみ?俺の手すっごく冷たいから」
「………の手は病的でござる」
「っはは!悪かったな病的で!ちょっと待ってろ布団とって来るから」
の手の冷たさに反して、幸村の手は随分と暖かかい。
手の冷たさに思わず顔を顰めた幸村を笑いながら見遣ると、は暖を取れるモノを、
と自室に引っ込んでいった。そして出てきたは体に布団を巻いていた。
幸村は思わず噴出する。
「なっ、なに笑ってんだお前!俺はすっげぇ寒かったんですー!手が!」
「ぷっ…クク…わら、笑ってはおりませぬ…笑ってなど、おり、プククク」
「明らかに笑ってんじゃねーか!丸出しの腹筋が引き攣ってんじゃねーか!」
あ。は幸村の服装を見て思った。
この宵に鍛錬でもしてきたのだろうか、戦で着るそれを身にまとった幸村は、
随分と寒そうな格好をしている。というか見ていて寒い。
ピコーンと頭に電球が浮かんだは布団を解くと幸村と自分、双方に掛けた。
しかしそれは彼の破廉恥ラインに完璧に入り込んでいたようだ。布団の重みを
実感した瞬間幸村はをバッと向いた。それが意外だったはキョトンと目を丸くする。
「何をなさるか殿…っ!」
「何って…幸村お前さ、見てて寒いから此れ被っててくれよ」
「ならぬ!婚儀もせず女子と共の布団になどっ」
「てか俺は男の子ですよ真田源次郎幸村。
…ほら、再開しようぜ?」
「ぬぬぬ…仕方ない」
THE無敵の笑みで返されれば幸村も何も言えず、口をすぼめて黙り込む。
は満足気に笑み、酒を口に含んだ。
「……ふぅ」
カランと酒瓶が虚ろな音を立てた。
は幾分かし難くなった呼吸を繰り返しながら、自分に酔いが廻ってきたのだと実感していた。
二升ほどあった酒を肴もなく二人でことごとく飲んでしまったのだ。胃の腑に酒が廻らないわけが無い。
幸村も酔っているのだろう。
半刻程前から会話が無い。の顔を見るでもなく、ときには庭の牡丹を、ときには遥か上空の
月を、思い思いに眺めていた。現にだってそうである。
何か話す気には成るものの切り出すのが面倒…というか、眠たい。
そろそろお開きだ。
此ればっかりは何も言わないというわけには行かないのでは
包まっていた布団をすこし開いて冷えた外気を送り込み、少しだけでも目を覚まそうとした。
酒の所為か、布団の所為か、温まった体に当たる風が先刻よりもずっと冷たい。
このままもう一度布団を閉じて、眠ってしまいたい位だ。
「幸村ぁーもう眠るぞー?」
「………」
「ゆーきむらー?…お?」
刹那。幸村の前で振っていた手は幸村自信に掴み取られた。
は迷惑だったかなと思い手を引こうとしたが、力が強く引くことが出来ない。
今度は幸村の手のほうが冷たくなっていることに気付いた。それはつまりの手が温まっている
、ということなのだが、酔いの廻ったはそんなこと気にならない。
「幸村?どうしたよ、寒かったのか?」
掴まれた手はもうとれないだろうから、はその件についてはまず諦めて
幸村に話しかけた。しかし反応は無い。
酒でボーっとする中でムッとなったはひとりで布団から抜け出して、部屋に帰ろうとした。
しかし手は解けない。イライラしながら言う。
「何なんだ、言いたいことが在るなら言えよ………、ぉわっ!」
言い終わるか終わらないくらいで、はガクンと引っ張られた。
幸村が胡坐をかいている上に不時着してしまったは、何か文句でも言ってやろうかと
顔を勢い良く上げようとしたのだが、上げた瞬間、視界一杯に移る幸村に口を閉ざした。
目と鼻の先に幸村が居た。
そしてその幸村の目が、とてつもなく熱っぽい。少し充血して野生じみたというか、
何を考えているのか判らない…そんな感じだ。吐く息も何処となく荒い。
その息の中に少なからず酒気が混じっていることは直ぐ近くのにはすぐに察知できた。
「幸村、飲み過ぎじゃねーのか?目が血走ってるぞ…?」
「飲みすぎてなどおらぬ…それより殿」
「なん、」
なんだ?と返事を返す前にの口はふさがれた。
ふさがれたかと思えばまた離れた。はその瞬間、
本能的に離れようとしたが、のいるところは幸村の胡坐の上。つまり
彼のテリトリー内なのだ。持て余した手で彼の紅い服を引いても
逃げられるわけもなく、は殆ど無抵抗のまま二度目の接吻を受け
入れざるを得なかった。
脳内の酔いが断片的に醒めていく。
「某はが欲しい…今すぐに」
『欲しい』。呼び捨てにされたことを気にするよりも、
はその直球的言葉を聞いた瞬間に、逃げねばならぬと脳髄から指令が出たような気がした。
酔っているとは露も思えぬ速さで胡坐から起き上がると、布団から出て少し後ろに後ずさる。
口付けられた口唇を乱暴に腕で拭った。
「どういうつもりだ、幸村!酔ってるからって…」
「某は酔うてはおらぬと言うておろう、殿」
「っ!」
急に圧力的な口調になった幸村は、ずい、と身を乗り出して片方のの腕を掴んだ。
いつもなら恥ずかしがってそういう行為の類は何一つしないだけに、は鳥肌が立つような
違和感と恐怖に表情を翳らせる。
幸村は日々鍛練に励む武人だ。そしての『体』は所詮、女だ。
尻を突いたまま、後ろに下がろうとしても全く思い通りに行かない。
そうしているうちにと幸村の距離など無くなってしまった。
挙句の果てに肩に力が入ったかと思えば、は幸村に敷かれている。
それでも肘と殆ど役に立たない足をつかってなんとか逃げ出そうとしたが、
今の幸村が簡単に逃がすわけが無い。
逃げるの腰に手を回した後、
の体温よりもずっと低い幸村の体温が触れたのは、すっかり肌蹴たの太股だった。
内股を撫でるよりもずっと軽くさするような、そんな感覚には焦りだした。
「え、や、待て!ほんと待って、幸村っ…」
「もう待てぬ。我慢なされよ」
「ちょっ駄目、触っ……ひゃぁ、ん!」
「、殿…」
「ば、かやろ、き、聞くな…っ!」
は自分の口から漏れた声に驚きを隠せなかった。かぁ、と顔が赤くなるのが判るが、
幸村が直そそられました、と言わんばかりの表情で名を呼ぶものだから必死になって顔を隠した。
(俺、なんでこんな声…まるで善がってる見たいじゃねーか……)
酒に飲まれたの体は幸村の手に上手く翻弄される。
腰の線を手がなぞる度には必死に身を捩り、幸村の腕を解こうとする。
勿論ソレはただの無駄な足掻きなのだが、幸村の気を誘うには充分だった。
背が熱くて、布越しでも床の寒さが冴え渡っている。しかしそんなことを気にする予知はもう、には
残っていなかった。ともすれば組み敷いたまま服を引き剥かんばかりの幸村に抵抗するのみだ。
「お前、わけわかんねぇ、よ!な、んで俺、にっ」
「殿が悪いのだ、俺を誘うから」
「な…っ?誘ってなんか、な……んぅ!や、ゆ、きむらっ」
幸村の手は躊躇なくの胸元に伸ばされる。
手の平で押し上げるようにして、服の上からその形を変えられる度にの閉じた口からは
熱っぽい声が漏れた。どうしてこんな声が出るのか、それすら判らないからすれば、
その声を作り出す幸村の手はもう、恐怖の対象でしかない。
知らず知らずのうちに潤み始めてしまった目を素早く腕で拭った。
「ゆき、む、ふぁっ、や、だっ」
「可愛らしゅうござる、殿…」
「うるせ、ぇ!離、せ、てばっ、ぁ!ん!」
手のまわされた腰もそうだが、
胸に触れられている方の肩口に電気が走る。両手に力が入らない。付き返そうとするにしても、唯力なく
肩に手を置くだけだ。自分の意思に関わらず体が気を許し始めていることが、にはこの上なく
恐ろしく、悔しく思えた。
「っ嫌だ、こんな、のっ……っはぁ、あぅ!」
「殿、気を張られますな…身を任せていただければそれで。」
「馬鹿、ゆーなぁ…っ!」
(畜生ー…)
拭いても拭いてもの目は直ぐに涙を湛えた。いまや押し上げるだけでなく多彩な
手法で攻め来る幸村に、吐息が震える。
いいしれぬ恐怖と、認めたくは無いが確かな快感を得つつあったは、頬に触れた幸村の口唇にも
びくついた。
「ゆきむ、…ら?」
「泣いては可愛らしいお顔が台無しでござる」
「全部、お前の所為、じゃねー、っか!……あ、ぁ、も、揉む、な!」
「それは…出来ぬ相談でござる」
「こ、のやろ…ふゃ、う、ん」
幸村の舌がの目尻を伝って、耳を啄ばみ、そこで言葉を発する。は脳髄が麻痺したような
感覚に陥った。舌が耳を舐る小さな水音さえ大きく聞こえてしまう。
それが恥ずかしくて、しゃくり上げかけていた。
一見すれば喘いでいるように見えないことも無いが、
顔を上げてを見てみれば整った眉を寄せるの顔が目に入った。
見ているまにもひとつ、またひとつと涙の粒が流れ落ちていく。
「は、ぁ、ゆき、むら……っ」
「殿……泣かないで下され」
「俺だ、って、ひっく、好きでないてるん…っん、ねー、よ」
は一時的だが止んだ愛撫に息を整えながら必死に言葉を発そうとした。
しかしそういう意識とは裏腹に、安堵した所為でどんどんしゃくり上げる肩と
、ボロボロ零れる涙が鬱陶しくて、馬鹿ヤロウ、と言うことしか出来なかった。
零れる涙を幸村が丁寧に舐めとっていく。それはそれは、なにか大切なものでも
扱うかのように、舌先で、ゆっくりと。思いようでは淫猥にも思えるのだが、
ボーっとしてそれを受けながら、思った。
(どうしよう、俺、嫌じゃなくなってきてる)
やはり自分の精神力だけでは『体』のもつ本能に勝てはしないのだろうか。
悔しい。けれど、抗う気がもう、殆ど無くなってきていた。
の涙が止まり始めたことで顔を上げた幸村はつらそうに眉を寄せた。
「殿を泣かせるつもりはなかったのだ……俺は殿が」
「俺、が、なんだよ……?」
返事を言う前に、わざとらしくちゅぅ、と音を立てて降る口付けに強く目を瞑った。
今至近距離で見詰め合ったら、どうなるかわかったものではない。
そう自ら思ってしまうほどには此れを受け入れ始めていたのだ。
最初のとは比べ物にならないほど、長く荒い接吻に気が朦朧とする。
苦しくてつい声が漏れてしまったのを境に、また幸村の手が動き出したことも
相まっては無意識のうちに嬌声を上げるようになっていたが、
それは全て合わさった口唇から幸村の口内に消えていった。
「っはァ…!」
はやっと離された唇で思い切りまわりの空気を吸い込んだ。
そして幸村を見遣る。から口を離して、黙りを決め込んだまま頷いている
幸村には疑問を抱いて口を開いた。
「…幸村?」
返事がない。微動だにしない。なお不審に思ったが揺すぶってみると、いとも簡単に
幸村はの胸上に落下した。手も止まっている。
窺った顔から聞こえてくるのは、規則正しい寝息。
「ぅおやかたさばあぁぁぁっぐふぅ!」
「ゆきむるぁああああぁぁ!」
鍛練場。今朝も小鳥はさえずり、女官は忙しく駆けずり回り、暑苦しい雄叫びが聞こえる
…いい朝、だ。はその冬でも暖かな二人を眺め、緑茶をすする。
任務から帰ってきた佐助が上機嫌に話しかけた。
「ちゃーん!おっはよ!」
「おう佐助!おはよう!今日もいい朝だな!」
「うんすごい良い朝だよね!あ、ちゃん大福食べる?」
「おう、食べるー」
大福を二人で食べながら、虎の戦いを観戦していると、
朝餉の準備が出来たようだ。は佐助と共に、広間に出て行った。
その様子を視界に入れた信玄は、汗を手拭いで乱雑に拭い、幸村に
言いかける。
「よぅし!今朝は此れまでじゃ幸村」
「はっ!有難く!この幸村、更に精進いたす所存!」
「うむ、朝餉を頂こうぞ。早う参れ」
今日もよい朝だったわい、と上機嫌に言う信玄の足音が遠くになるまで幸村は
膝を突き、頭を下げていた。早く来いと言われたのにもかかわらず、
どうしてこんなに長い間顔を伏せていたかというと、
彼の顔は今、烈火のごとく燃え上がっていたからである。
(殿が来ておられた……)
誰もいなくなった鍛練場内で赤い顔を元に戻そうと、盥に
顔を突っ込んだ。しかし顔を出してみても、顔は熱いままだ。
しかしもう時間の猶予が無い。しぶしぶ立ち上がって顔を拭きながら、
幸村は呟いた。
「殿を襲う夢を見るなど……どういう顔で殿と向き合えばよいのだ…」
を引き倒したなど、口付けしたなど、む、胸をもんだなど…!
鮮明すぎるそれらを思い出してまた赤面する。
を晩酌に誘って、布団を二人で分けて、大量の酒を飲み干して。
それから先の記憶が無い。気が付けば自分の部屋にいたのだ。
思い切り頬を叩いて深呼吸をする。そうだ、走っていけば、赤面していたってばれないかもしれない。
幸村は呼吸を落ち着けて走りだした。
「へ、平常心、平常心でござる!」
…その走り去る姿を見送る影が二つ。
「…な?やっぱ夢だと思ってんだよ」
「あららら、ホントだねぇ…旦那いい根性してるよ」
「佐助さーん邪気が出てますよー」
「ちゃんは当事者なのによくそんな落ち着いてられるねぇ、ホント」
「ん?いや、だってさ、酔ってたんだぜ?本性じゃないだけマシかなー、と」
「そりゃーそうだけど!
でも、仕事から帰ってちゃんとこ来てみたらアレだもん、俺様もう失神するかと
思ったよ?無意識に分身出てたし」
「(出ちゃってたのかよ佐助ブラザース)でもまぁ、運んでくれて助かった。有難う」
「どーいたしまして。ねぇちゃん、今度は俺様のお酌しない?」
「気が向いたらな。ほら早く行こうぜ」
は顎で行く先を示して、歩き出した。
先を歩くの姿についていきながら、佐助は腕を後ろ手に組むと片目を窄めて
小さく唸った。実は、佐助はの落ち着きようがどうもしっくりこなくて、
もしかしたらあの行為をが受け入れていたんじゃないのかと疑っていたのだ。
「ああそうだ、佐助」
「なーに?」
「今度幸村が晩酌頼んできたら、俺、多分マジでアイツ毒殺すると思うから。
あのクソ雇い主死なせたくねぇならちゃあんと言って聞かせとけよ?保・護・者サン」
形のいい額に青筋を浮べながらにこりとしたに一時停止して、
やっとのことで返事をした頃、佐助の杞憂はすっかり払拭されていた。
「はいはいっと。オヒメサマは怒らせると怖いねぇ」
「佐助、お前も死にたいのか?」
空返事する佐助。は満足げに、だけど皮肉たっぷりに笑んだ。