「…もう良い!お前の顔など見飽いたわ!」
ぴしゃーん!と音をたてたアイツの部屋の障子を見ながら、
行き成り発せられたツンデレ発言にアタシは唯々
溜息を出すのみだった。
アンタって男は!
高松城の城主様は専らツンデレだと有名である。
まるで猫のような気分屋で、機嫌が良かったと思えば直ぐに反転してしまうらしい。
そのわりに軍略は随分と冷酷で、1回の戦でゆうに数百、数千の人間が消えていく。
『兵など所詮、捨て駒よ』。それがモットーだった毛利元就だったが、それが少しずつ変わり始めた
のは丁度、に出会ってからであろう。
ツンデレ策略家、毛利元就に真っ向きって反論できる女はこの中国地方にはもう、しかいない。どこかの鬼がそういった。
今日も高松城からは威勢のいい声が響く。
けれどそれはいつもとは少し違うようだ。
「だーかーらァー!そうじゃないって何度言ったら気が済むの!?頑固者!」
「お前が不審な行動を執るからだ、この尻軽め!」
「な、なんですって!?言って善い事と悪い事があるんじゃないの元就!」
「して善い事と悪い事がある…そうではないか?」
「して無いって言ってるでしょ!」
先刻から同じサイクルを繰り返す討論に、は大きく溜息をついた。
其れを見る元就の表情は不機嫌極まりないもので、またその表情を見たも機嫌が悪くなっていく。
お手本になるくらい完璧な悪循環だ。
こういったケンカはもう日常のことになっていて、家臣たちは『またやっておられる』と和やかな
気分で聞き耳を立てていたが、今日はどうも様子が違うことに不審がる。
「もういい、一生そう思ってるといい馬鹿ナリ!お前も所詮駒の一つだわ!」
「愚か者が!お前こそ我にとっては唯の駒よ!」
「こ…っ!アンタなんか厳島で元親に伸されてしまえ!」
「性懲りも無く我の前でその男の名を出すか!」
「もう!違うって言ってるでしょう!」
勢いよく開いた障子に表れたのは、完全にご立腹のだった。
影ながら見ていた家臣たちははらはらしながら、それを見守る。
以前もこんな事があった。はその時高松城を出て行ってしまって、
其れを知ったツンデレ元就は尚一層『駒』という言葉を使うようになってしまった。
つまり、直ぐに兵を切り捨てるようになったのだ。
それはなんとしてでも防がねば、と厭な汗をたらしながら覗き見している家臣たちは
あれやこれやとを引き止める策を練りだそうとするけれど、やはり城主ほど
うまくいくものでもない。
「…もう良い!お前の顔など見飽いたわ!」
「アタシだって見飽きたわよ、オクラホマミキサー日輪馬鹿!」
「日輪を侮辱するなど言語道断!我の部屋より出て行け!」
「言われなくても!」
ピッシャーン!!
話すことなどもう何も無いとでも言うように障子は勢い良く閉まった。
ふぅ、と溜息をついて廊下を歩き出すに先ず寄って行ったのは、に
使える従者の女官だった。
その顔には全従者の命運が掛っていると言っても良いほどの緊張にそめられている。
「様っ」
「古山…どうしたの?」
「出て行かれるのでしょうか…?」
古山はまだ齢16程の少女だ。こざっぱりと二つに分けられたおさげがしゅん、と垂れ下っている。
様が出て行かれては、元就様が、いや、あの、私は様と一緒に居させていただきたくって、でも、その。
言葉を紡ぐことも巧く出来ないぐらいに焦って揺れる年下の少女の瞳孔を見ては
気風良い笑みを浮べる。
「やーね!出て行くわけ無いじゃない」
「さようでございまするか…よかったぁ…!」
「変に硬派な元就のことよ、出て行ったって連れ戻しに来るわ。この前みたくね。
びっくりしたんだから、あの大軍!殺されちゃうかと思って、初めて腹をくくったわ」
「それもそうでございますねっふふ」
「でも、それなりに対処はするわよ?」
腹が立つもの。と笑んだの笑顔の奥にツンデレ城主以上の策略が蠢くのを見た古山は
唯、笑うしかなかった。(恐ろしい御方でございます…)
が語るには、先日偶然にも(都会に出てきた)長曾我部元親に出会って
そのまま高松城に案内した時に意気投合してしまって仲良さ気に話す様子を、
同室に居た元就が見て、密会しておるのか、と腹を立てている、ということなのだ。
「単なるヤキモチに構ってる暇なんてないのにね」
そういうの表情は心なしか嬉しそうにみえた。
1日目。
「はおらぬか」
「さて、存じませんが」
「ならばよい、続けよ」
何事もなかったようにスタスタと去っていく元就の足音。それが丁度聞こえなくなった時、
水場の影に女官達は声をかける。皆の顔に浮かぶのは、楽しくて楽しくて仕方ないといった表情。
水場の木戸をひっそりと開けて元就が戻ってこないか確かめる女官までいるほどだ。
「様、行かれましたわ」
「そう…」
よいしょ、と米櫃の影から出てきたはもぞもぞ這い出た後、女官らに汚れた服を叩いてもらって、音を立てないようにして木戸を開けると
、水場に居る女官達に振り返って『有難うね』と手で合図した。高松城のじゃじゃ馬が出て行って木戸が音も無く閉められると
女官達はそろって笑い出す。
「人を匿ったのなんて初めてだわ」
「様ったら、面白いことを考えなさるわねぇ」
「元就様、無表情だったけれど焦ってたわね、アレは」
「ふふふ!本当に面白いお方だわ」
2日目。鍛錬場にて。
「おい貴様」
「はっ、元就様」
「答えよ。あれはここに来たか」
「あれとは様のことでございまするか。
某どもはお見かけしておりませぬが」
「ふん、使えぬ者めが」
3日目。自室にて。
「消息は」
「……」
「まだ見つかっておらぬと申すか、愚図が」
「…」
「弁解はよい、結果を見せてみよ
貴様が己の胴と相別れたくないのであればな」
4日目。中庭にて。
「猫よ、貴様あの馬鹿者と一緒におったのであろう」
「みゃー」
「真剣に答えろ、先刻もあれと戯れておったのだな」
「にゃあん」
「…」
「みぃぃ」
「五月蠅い黙れ!」
「ふにゃっ」
5日目。
強めの足音が、しんと静まり返る城内に木霊した。
何事かと目を見張る家臣たち(座敷間に集められている)はそれが元就の
足音であったなど、思いもしなかった。元就はもとから滑るように、音もなく地を歩くからだ。
けれど足音が止ったと同時に開かれた障子に居たのは元就で、その不機嫌な表情に皆は『ああ、そういうことですか』
と納得する。
「皆のもの、よく聞け」
「はっ」
「ここ数日、を見ておらぬ」
「………はっ」
…それだけだ。そう言い残して立ち上がると、元就はもと来た障子を開けてそのまま出ていった。
残された家臣たちは、笑いたくて仕方ないけれど、殺されるから笑えない状況下の中、必死に
口元を押さえていた。これで今笑いが漏れでもしようものなら確実に殺される。
なにしろ元就は苛立っているからだ。帰る時も足音が響いていた。
つまり、『を探し出せ』ということなのだ。
やっと笑いが収まってきた家臣たちは後ろのほうにある大きな壷に向いて、語りかける。
つまり、そういうことである。いまやこの城はに力を貸しているのだ。
「さて殿、お聞きになったか」
「うん」
「元就様は随分と反省なさっているようにござる」
「アレで反省してるの?」
「左様でござる。今までとは比肩出来ぬほど落ち込んでおられる。
腹の虫も大層お暴れになっているようでござるが」
「…そう。流石は長年付き添ってきた家臣の皆様ね。」
は苦笑すると(壷の中から)出てきて、うーん、ちょっとやりすぎたかしら、と柄にも無く反省し、苦笑した。
なんせ、ここ5日間まともに話をするどころか、隠れに隠れて姿さえ見せていないのだ。
元就以外の人間に見つかった時はなんとか説得した。苦労は要しなかった。このじゃじゃ馬は城の皆と顔見知りといっても
いいほどに顔が広いからだ。
「ちょっと、行ってくるかな」
もう時期尚早ではないだろうから…。機嫌よく室内の従者達に手を振ると小走り気味に元就を追って行く
の後姿を家臣の皆さんは5日前のように和やかな気分にひたって見つめていた。
(やっと元就様が元にお戻りになるぞ…!)
「あ、元就」
「…!!」
追いかけて行ったとはいえ何処に行ったかなんて分らなかったは闇雲に探していた。
犬みたく、鼻が利いたらいいのに、と思いだしたとき、曲がり角で出会った緑の着流しの男は
自分が探す男だった。立っている時でさえぴんと延びた姿につい、声をかけてしまった。
なんとなく後ずさる。元就は驚いた表情のままをみてたが刹那に駆け寄ると
目にも留まらぬ速さで采配(第一作目武器)を振るった。
「…何処に…行っておったのだこの馬鹿者!」
「っ熱ぅー!いきなり何すんのよ馬鹿ナリー!」
「馬鹿者はお前だこの馬鹿者め!」
「うわ二度も言った!!」
采配から出た炎に火傷状態になりそうになってが涙目で
着物をはたいていると、元就は乱暴に采配を庭に投げ捨てて
、を掻き抱いた。
それは智将といわれる彼にしては随分と乱暴な抱き方だった。常人よりは力のある腕に力をいっぱいに入れて
腕の中の体を締め付けた後、狭い肩口にその端正な顔を埋めた。棒きれか何かのように扱われたは、目を丸くする。
「…ほ?」
何が起こったか理解できない、そして他の人間が見たなら詭計智将と言われる
表の仮面が壊れていくんじゃないかと思われるくらい赤面した毛利・ツン・デレ・元就。
丁度彼が彼女の肩に顔を埋めていたのと、他の従者が居なかったのが唯一の救いだ。
「も、元就、サン?」
「五月蝿い。動くな。馬鹿者が」
「(また言う…)ちょ、どうしたの」
「…お前は我に娶られる運命にある」
行き成り出た爆弾発言(予言)には目をまん丸にして
首筋に埋まった元就の表情を窺おうとした。けれどお互いの頭が邪魔で見えない。
それどころか、体を離すこともままならない。
普段触れることもない胸板をおしてみても、びくともしなかった。は、久しぶりの元就の香りを肺に吸い込みながら、渋々話に付き合うことにした。
「…それで」
「正妻になるお前が傍に居らずして何とするか」
「だって元就が見飽きたって」
「ッチ。馬鹿者が…」
「(舌打ち!)あーもう!ゴメンなさいね馬鹿で!」
「…否、許さぬ。無知は重罪に値うと知れ。」
「そこまで?!」
なんつー我侭城主だ!が抱締められていることも忘れてあと数日は隠れて居ればよかった
と後悔していると、元就は咳払いをした。の耳元にその低めの声が響く。
出会った時から元就はなにか本音を言おうとする時に咳払いをする。
はそういうときだけはちゃんと聞いてあげようと勤めていたので、
おや、と思って耳を傾けた。
「そ……その罪、我の傍で生涯を以って償え」
ぼそ。と呟くみたいに言われた言葉に、は今度こそこれは偽物のツンデレ元就なんではないか
と疑った。知らぬうちに心臓が盛んに動いているのにも丁度この頃気付いた。
言われた言葉を反芻していると、元就はの後ろ髪を今度はそれなりに手加減して引っ張った。
(それでもの頭はガクンと後ろにそれる。)
「馬鹿ナリ、暴力反対なんだけど!」
「お前が居らぬ五日間、我がどれだけ探したことか想像してみろ」
「あー…、ゴメンね、元就」
「…もうよい」
5日前、障子の前で言ったのよりずっと優しげに言うと、行き成り元就はを小脇に抱えた。
(ちょ、この人こんな力あったの?)降りようとするの頭を叩いて、元就は進みだす。
「元就?どこいくの?」
「婚儀を挙げる、今すぐだ」
「は!?」
見上げた先の元就は冗談を言っているような顔ではないし、元来彼はそんな冗談を言う人間でもない。
本気だと悟ったは尚降りようとなおももがく。
「待って!本当に待って元就!いくらなんでも早いわよ!」
「早いことがあるものか、こういう事は早ければ早いほど良い」
「良くない!アンタね一応は智将なんだから、ちょっとは考えて行動しなさいよ!」
「ほぅ、考えて?我はに出会うた時より粘略していた」
「まぁ本当に昔からですこと!ってそうじゃない!」
「皆のもの、婚儀の準備を早急にするがよい!」
「ゆっくりでいい!ゆっくり準備していいわよー!」
「おのれ、少し黙れ!」
「もう数年後でも…ん!んー!」
っあ、アンタね、幾らなんでもせ、接吻とか!馬鹿じゃないの!
黙らぬお前が悪いのだ、ふん…
ふん、じゃないわよ!恥ずかしい!息も苦しい!
羞恥と苦悶に歪む…其れも良いな。
何が!?何がいいの!?きゃあぁぁあぁ!
近づいてくる喧騒に、頬を染めた女官はおろか家臣や庭の鯉までもが笑い声を上げていた。
全国にツンデレの妻の名が知れ渡るのも、そう先のことではないだろう。
(おおこの幸せ…日輪に捧げ奉らん!)
(いい加減眩しいわよ元就!バサラ技はあれだけやめろって言ったでしょう!)