いつもと何ら変化の無い一日が終わる。部屋に戻る途中で なんとなく見かけた月が笠を被っていたのを思い出して、明日は雨だなぁ、とか、どーでもいいことを 思ったりする。布団の中、屋根の上を鼠が往来する音と柔らかな虫の声音が静かに響いて、 リラクゼーションミュージックのように俺の耳殻に馴染んだ。

布団に入って、僅かな倦怠感に身を任せる。
眠気が襲ってくるのを、確かに感じた。


「クックルーン」

「クックルー」

「クックプッププー」

「クックルーン」

「クックルー」

「クックプッププー」

「クックプ、」

「うるっせぇぇぇぇぇぇ!!」


何処のマーチだ!




細めた目、優しげに




「…て、どこだ、ここ」


が額の血管もそこそこに起き上がった時、そこは自分の部屋でもなければ、他の人間の 部屋でもなかった。暑い。蝉の声が五月蝿いぐらいに聞こえる、どこか知らない空間、の縁側。だが見覚えが有る。

曖昧な記憶を手繰り寄せどうにか思い出そうとすると、降って湧いたように正答が浮かんだ。 外の日差しが強い所為で薄暗い部屋の中は、使い古された渋色の畳の敷き詰まった空間と、 古いテレビ、ゆっくりと廻っているのか居ないのかも分らないぐらいの速度で回転する扇風機。


「もしかしなくても、ばあちゃん家?」

「やっと気付いたか、クックプ」

「そんで……やァーっぱりお前か、威鞘」

「お、俺の事は直ぐに思い出したんだな
時代を超えた愛を感じるぞ」

「お前に愛を送った覚えは無えよ
そこらへんの雑草からの愛だろ」

クプー、相変わらずそっけないなー」

「クプーてなんだ」


が振り返った、縁側から降りた先には、いつもどうりの服を纏った(だから、どうして他の服を着ないんだ 、と俺は思う)色白な美青年が立っていた。勿論はその出で立ちに感動するでも、その美貌に感嘆 するでもない。唯、迷惑そうな顔をして、眉を顰めた。しかしその邪険な反応すら威鞘は嬉しいようで、 日射光線で乾ききった砂をじゃりじゃり鳴らしながら、縁側に座り込んだの隣に自分も座する。 然したる異議は無いらしい。はそれを一瞥するだけに終わった。

蝉の声がじわじわじわじわ、じわじわじわじわ、聞こえる。
すると、刹那。ざわつき始めた草むらから聞こえた声。


『ほらほら、暴れたら落ちますよ』

『おとうちゃん見て見て、この葉っぱすごくくさい』

『うわ、お前、臭』

『この香り……ドクダミなんて、一体どこで見つけたんです?』

『おうちのいりぐちにいっぱい居たのー
…あっ、お姉ちゃんだよ!お姉ちゃぁん!』

『え、あ、姉さん!いらしてたんですか!』(カポポポポポ)

『う、あ、あ、あ、うあー』(ぴよよよよよよ)

『ちょま、ま、待て馬公、揺、らす、な』(コケケケケケケ)


そこにはよく見知った三匹が居た。

しかもなんか、を発見した彼等が近くに寄ってくる(を見つけたとたん馬が小走りになった) (どうもが絡むと猪突猛進になるらしい)に つれて、次第にドクダミくさくなっていく。嫌がるヒヨコから葉を強奪して、廃棄処分にした。 こいつらまで巻き込んだのか、と威鞘に咎めるような視線を 戻すと、万遍の笑み。あまりに屈託なく笑うものだから、とたん怒る気が無くなる。


「…どういうことだ、威鞘」

「んー、ホントはだけを呼ぶつもりだったんだけど、
ついでだからアニマルとシチュエーションも付属してみた」(にこっ)

「そういうのを職権乱用って言うんだけど、どうやら知らんようだな」(びしっ)


手にひよこを乗せながら、威鞘にお決まりの手刀を繰り出す。それでも笑っているので、一瞬こいつは 本当はドMなんではないだろうか、なんて思う。(おいおい、そんなことないぞ)(ばーか、知ってら)


「そんじゃ、こりゃ夢か」

「てっきり最初から気付いてるかとおもってたぞ」

「で、何。どうして夢なんかに呼んだ」

「えー?だって俺神様だから、自然と、こう。」

「いや理由になってねえよ。なんだ自然と、って」


目の前の、自分が存在しているこの空間が、懐かしいのにどこか 冷めて見えたのはその所為か。は長年通い続けてきた家屋にそっくりなレプリカの中に寝転がる。 手から零れ落ちたひよこが『ぴぴぴぃ』と焦った声を出した。 面倒になったのか、はたから理由なんて無かったのか、威鞘は、ふひー、とか曖昧に発音しながら、 と同じように縁側に寝転がった。

きちんと結われた髪が焦げ茶色の床板にばらける。 その散らばった髪の一本一本が日を浴びて滑らかなビロードの様に光り、 夏に似合わない真っ白な肌がやけに目立つ。 寝転がったまま背伸びして、あァー骨が伸びるー、とか神様ならぬ発言をするその横顔に、は呟いた。


「威鞘」

「ん」

「お前、顔だけはいいよな」

「俺はの方が可愛いと思うぞ」

「死ね。お前のほうが可愛い」

「いや、のが可愛い」

「……」

「なっ」(くっくるっ)

「るせー…」

「照れちゃって可愛いぞ、クップルック!」

「は?ばーか!そんなんじゃねーよ!」


勝敗は、明らか。

は頭の下で手を組んで、体ごとそっぽを向いた。 背後からそれを見届けた威鞘のクックル笑いが聞こえてきて、後ろ蹴りで威鞘を蹴った。 いや、実際には、蹴ろうとした。足が動かなかった。蹴る前に、背に温もりがぶつかってきたからだ。

暫く、沈黙の中で蝉がBGMを担当した。


「…おい」

「なーんだー?」

「てめぇ、何やってんだ、コラ
暑ィんだよハト」


威鞘はの腰に手を廻し引っ付き、肩を揺らして笑った。 唯でさえ暑いのだから、温度を持った何かにくっつかれたのなら 尚、暑いに決まっている。 威鞘は脱出しようとしてもごもごと動くを逃がすまいと、がっしり腰に手を回した。 その腰の細さに僅かに驚愕の声を洩らすと、なんだよ、と前から声が聞こえた。
べェつにー、と言っておいた。


『ずるい』

「へ」


そんな時、行き成りの目の前に現れたのは、真黄色の物体だった。 その物体はずるい、とひと言呟くと、感情の知れないはずのその表情を可能な限り 歪め、の鼻っ面に食いついた。


「あ痛っ!」

『お姉ちゃんは、僕のなのー!』

「それで何故俺に噛み付く!」

『ぐぬぬぬぬぬー!』

「ぬあああああ!」


黄色い物体、もといヒヨコは嫉妬心を表に突き出しての鼻にけしかかっていった様なのだが、 どうも相手が違うことに気が付いていない。は鼻に鳥がくっ付いたままで唸った。 後ろの威鞘はその茶番を笑ったまま傍観している。腰に手を回しているといっても 威鞘の方が格段に背が高い。だからその顔はの肩口から覗いているのだ。

だがその余裕も長くは持たない。


『全く…お兄さんが姉さんに過剰に近づくからですよ』

『兄ちゃんにゃあ恩も有るんだが、今はそうも言ってらンねぇや』

『坊、貴方も手伝いなさい。姉さんに迷惑を掛けたらいけませんよ』

『はぁーい、……あのね、お姉ちゃん、ごめんね』

「・・・ん。分ればいい」(ヒリヒリ)


ぶるるる
こけけー
ぴぴー


「おおおおー?謀反かー?」


満を持して反撃に移った3匹に流石の威鞘も驚いたようだ。結構な外的暴力を振るわれているようで、 引っ付かれているの体も振動に揺れる。ポコスカポコスカ聞こえる。しかし 威鞘は腕は放さない。うんざりしたがついた深い溜息は、ぎゃあぎゃあ騒がしい 4匹(神様は『匹』じゃないんだぞ)(そうだろうがお前は『匹』でいい)の声と蝉にかき消された。


「こうなったら、チチンクルップー!」(ぼんっ)

『うおっ』

『ひゃー』

『うわあっ』


最初といい今といい、威鞘はあのアニメーションを見たに違いない。
はそう思いながら、煙が晴れていくのを見守った。
(夢の中までどうしてこんな事に巻き込まれンだろう…)
(つーか、先刻のぼふっていうのは何だ?放屁?)


「…あれ、なぁにこれー」

「ん…視線が…」

「なんだ、こりゃあ」


そして煙が晴れた頃、威鞘の視線の先にいたのは見慣れない3人だった。

1人は蜂蜜色の髪に華奢な体。年は見て察するに、5,6歳ぐらいだろうか。 背も低い、手も細い、しかし瞳だけはどんぐりのように大きく、まっくろに染められている。 ゴシック調の短パンにブレザーを着たような服装がとても似合う、 コミカルなボブショートだ。

2人目は背の半ばまで有る、薄茶の髪をした、背の高い男だった。 年の程は恐らく20後半。肌の色は髪の色に合うような、やわらかい白。 落ち着いた垂れ目がちな色素の薄い瞳を瞬かせて呆けたように佇むその様子は、朗らかな雰囲気を孕んでいる。 双方ゆとりの有る白いワイシャツとモノトーンストライプのスラックスが、それとないストイックさをかもしだした。

3人目は銀の短髪を持った男。 年は2人目と同じぐらいだろうか、ちょうど良く健康的に焼けた肌は夏の景色に巧くシンクロし、 驚愕して辺りを見つめる鋭い瞳は1人目と良く似た黒に塗りつぶされていた。短めのジャケットの下に着込んだ、 赤黒く落ち着いた色調のタンクトップと黒色のジーンズはどちらもタイトで、程よく隆起した体の線を 美しく見せる。


「おっ、意外といい男っ」


作り上げた粘土作品を喜ぶような威鞘の声に興味をそそられ、は今度こそ身を捻って威鞘のほうを見た。 威鞘がの肩口付近に居た所為で案外顔が近かった(なんだよお前、顔近すぎだろ) (の髪っていー匂いすんのな)(黙れ)ことに驚きつつ、視線を投げたその平安貴族の肩の向こうには。


「って誰だお前等」

「誰って、姉さん、私ですよ、私。」

「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんと一緒になっちゃったっ」

「…サン、どーなってんだ。俺が黒い」

「お前等、もしかして、」

「「「?」」」


因みには未だに威鞘の腕の中だ。 しかし生憎はそれを恥ずかしがる『乙女』ではないので、何も気にしない。 威鞘はこれを少しだけつまらなく思った ので、そのあてつけのようにを懐にしまいながら、の疑問に答えた。


に触れるのが許せないなら全員でに触ったらいいだろ?
だから同じ形にしてみたんだけど、んー、いやぁ、まぁ、綺麗になったもんだなー」

なんだ全員で触るって、俺の人権は何処だ。
だいたい行き成りそんなことされたらあいつ等だって――、」





「わーすごいねぇー!おとうちゃんまっくろ!格好いいねぇっ」

「うるせーな」(てれ)

「うわぁ、蜂蜜みたいに綺麗な髪ですね」

「お前も綺麗な皮膚の色じゃねーか」

「そういう貴方も綺麗な色じゃないですか」


きゃいきゃい


「・・・・・・」


お前等ァ…!

殺気に満ちた目をしたは、女子高生の様なテンションで騒ぐ三匹(今や3人)をにらみつけた。 すぐそこで威鞘が笑う。それでやっと、近づきすぎていることに気が付く。 何気なく自分と威鞘の胸板(意外に厚い)の間に腕をはさんで距離を開けようとしたが、どうやら読まれていたようで 、を拘束する腕には尚更力が篭った。いつの間にか威鞘は片手を自分の頭に添え、 赤子を見守るような姿勢になっていることもの怒気を誘った。腹癒せに頬を思い切りつねってやった。

それから暫くもしないうちにの熱視線に気が付いたのは、ヒヨコだった。子供ならではのシックスセンスが 働いたのだろうか(俺はユーレイか)。 目線が合うと嬉しそうに肩を跳ね上げ、の傍まで寄ってくる。 そしておもむろに横になると、その背に擦り寄った。

威鞘の拘束から逃げるように仰向けになって、その様子を見ると、その少年と目が合った。 同時に蜂蜜の糸が日に透けて目を射る。目も元々大きいが、その中でも黒目が大きい。 その目が半月に形を変えた瞬間の頬にちゅっ、と音が響いた。 呆気に取られるを置いて、少年はハズカシそうに額をその腹部に抱きつき、言う。


「僕ねぇ、お姉ちゃんと一緒に寝るっ」

「(なんだこいつかわいい…)」

「そんじゃあ俺も一緒に寝る」


便乗したのか、しなかったのか。の腹に引っ付く子供の父親は、 さらにその隣に陣取った。そして既に寝息を立て始めた小さな頭に手を乗せる。 骨ばった手が髪を梳く動きに対し、くすぐったそうに身をよじる様子を見たその口元は、優しく緩んでいる。


「うわ、お前そんな顔するんだ」

「…自分の餓鬼が可愛くない親なんてのァ、居ないモンだ」

「ま、そうだな。つーか普通に可愛いし…。いいなぁ、自慢の息子だろう」

「クルッ、は子供がすきなのか?それなら俺と作、」

「らねぇからな。鳩が生まれたら困る」

「主題はそっちなのかサン」


最後に残った1人。その長髪の男はの傍に寄った後、緊張した面持ちのまま、 正座でじっとしている。がどうした、と話しかけると、肩を揺らし、ハの字になった眉と 困惑した瞳をおそるおそるをあわせた。人間になったといえ、その瞳の中には 普段の優しさが見て取れて、はついついそのたてがみ、もとい髪を撫でたくなった。

暫くすると、決心したように顔を挙げ、


姉さん…あの、私も一緒に…
そ、そそ、それから、その、」


と珍しく挙動不審でおっかなびっくり近寄ると、の頬にその唇を触れた。 可愛らしいリップ音が僅かに鳴ったと同時に、あああぁ、と情け無い声を出した。 そのまま両手で顔を覆うと、部屋の奥に走り去っていって、座敷の向こうで 転がってしまう。じっとしていればクールな男に見えないことも無いのに。 あいつこんなヤツだったのかな、と思いながら、銀髪の男は自分の主人を見た。 主人も唖然としていた。


「なんか、眠たくなってきたな」


は野暮ったく頭を掻いた。ついで欠伸が飛び出てくる。欠伸というのは伝染るものらしく、 傍に居た男2人も欠伸を漏らした。因みにの腰にくっ付いた子供は既に深い眠りに落ちて、 口をむにゃむにゃ動かしたりしている。


「もう夢から覚める頃なん……ふあぁ、だろう、な」


さしもの威鞘も眠たいのだろう。発言すら取り消そうとする欠伸に負けまいとして、それを噛み殺すと、 さ、寝るかな、と呟いた。彼の目の前の3人のうち、親子は既に夢の世界に旅立ってしまっているようだ。 残りの1人に目を向けると、丁度目があった。大きな瞳に見つめられて笑い返せば、素朴な疑問。


「威鞘も寝るのか?」

「お前、神様は眠らないと思ってるのか?
神様だって眠らないと隈だらけになっちゃうんだぞ、クックルップ」

「ふぅん」


はそのあと上を向いて部屋の中を見た。部屋の中に走っていって転がった長髪の彼も とっくに寝てしまっているのだろう。うつ伏せのまま、ゆっくりと背が上下していた。


「あーもうだめだ、寝る。おやすみ」

「ああ、おやすみ」

「お前も寝とけよ、隈とか、似合わねぇ、んだ、から」


本格的に睡魔との闘いに敗北したはそう言ったっきり瞳を閉じ、 落ち着いた呼吸音が蝉の声と入り混じりながら聞こえ始めた。 それを耳に入れると威鞘の笑みは一層深くなる。 温まった生ぬるい風に揺られ、威鞘の髪は揺れた。 自分以外が眠っているこの空間の中で、 安らかに眠りに入ったその顔が問うた先刻の言葉を思い出した。 どうして自分を夢に呼んだのか。


「この、鈍ちん」


顔に掛かった髪を、手でやんわりと払う。











「会いたかったから呼んだだけ、なんだぞ」


誰にも気付かれない三つ目の口付けはひっそりと夢見る瞼に落とされた。