降り始めた雨が俺の頬を弄る。

広い野原だ。俺はここに立ったまま、どうやって生きていくんだろう。
心の臓たったひとつだけを大切に持っているだけじゃ、何も起こらない。
何か起こるのを待っていたって、きっと日が暮れてしまう。
でも俺は動き出さなければならない。
それが俺の運命…だから?


「ほォら、濡れちまうぞ?」


目を伏せた。




神よ狙え、俺は此処だ




濡れそぼった俺の頭は思ったより重くて、掛けられた声には小さく頷いて返事をした。 声をかけた主は濡れるといったわりには何もせずに俺を見続けているようだ。 ざぁざぁ耳障りな…最も、室内で聞いたのなら風流であろう雨音が俺の耳に弾けて 水滴を恵む。干ばつで苦しんでいた農民達はきっと喜ぶだろう。そして天上高くの神に感謝する。 とうの雨を降らせた主が俺だとも知らずに。


「そうだ、な。帰ろう…もう、帰ろう」


そうして俺は不安になる。俺はどうして此処に居るのか。 神の代わりならどこにだっているのだが、それは『神の代わり』であってその固体でなく。 俺も例外じゃない。俺は此処に『人』としてじゃない『代わり身』として足をつけている。 見えない鎖が俺をずっと縛り続ける。一体どうして俺はこんな運命になった?
いつから俺は人でなくなった?

雷雲が立ち込める。


「…大丈夫だ、

「わかってる。大丈夫だ。俺は大丈夫」


俺の肩に触れた手は俺の服を通過して俺の地肌に冷たさを伝えた。 ずっとそこに居てくれたのかもしれない。俺を見ていてくれたのかもしれない。 いや、昇っていきたいと渇望し願う俺をこの地上に引き止めているのかもしれない。 それでも俺は暖かい気持ちになる。理由はどうだって良い、この人が俺を見ていてくれるから。


「元親さん、俺、まだ、人?」

「何言ってんだ。いつだっては人だ」


嘘付け、と言いたくて肩の手を握り返した。 嘘つきだ。骨ばった逞しい男の手を握り返す俺の手は、 人の色じゃない。雨の色に染んで、殆どが肌の色を忘れてしまっている。 俺は悔しくなる。俺はどうしてか人でなくなる。沢山の人を喜ばせようとすればするほどに、 俺は人でなくなる。喜ばせたい、という欲が俺の体中に廻って体中の毛穴から出て行く。 何かを望むことが欲ならば、俺はいったいどうすれば…

とたんに雨脚が強くなって、俺の肌と元親さんの肌を射る。
俺は良い。元親さんが風邪をひいてしまう。いけない。それだけは。


「元親さん。どこか雨、凌げる所…」

「このままで良い。この雨も、だ」


元親さんの暖かさが俺を包んだ。 少しだけ体温を取り戻した元親さんの手が俺の背に回り、ぐしゃぐしゃに濡れた俺の髪を 解きほぐす。元親さんの前髪から俺の頬に水が止め処なく落ちて俺は目を瞬かせた。 あやすように背を擦って貰うと僅かに雨が弱まる。嗚呼、俺が、俺が落ち着いていく。 消えていけたら良いのに。
この人の暖かい腕の中で。


「消えるな、

「どうして?俺、消えてしまえたら良い」

が消えたら俺は会いにこられねぇ」

「会い、来なくても良い。約束おわりだから」

「いつ終わったってんだ」

「ううん。まだ終わってない」

「そうだろう」


元親さんは鼻で嬉しそうにへへっと笑う。そういえば俺と元親さんが であったのはずっと昔だったような気がする。この原っぱに俺が生まれて 、変化の無い日を送っていたときにやってきたのが元親さんだった。 毎日会おうと約束した。元親さんは俺に俺の運命を教えてくれた。 俺を此処まで創ってくれた。


「ありがとう、元親さん」

「あァ?俺が何かしたか?」

「元親さんは何もして無い。だから、ありがとう」

「………おう」


俺はこの人のためなら何だって出来る。 雨だって、雷だって、天変地異だって。俺が壊れるまでなら、全てをささげても良い。 それでも元親さんは俺にそう言ってくれない。俺はもどかしい。俺はもっと元親さんの力に なりたい。そして少しでもはやく疲れ切って消えてしまえたら、良い。


「俺、疲れた……眠たい」

「傍にいてやるさ。このまま眠りな」


肩越しに元親さんの声が聞こえて、ほっとする。
俺の体が散り散りになって空気と一緒にカミサマのところに行けたら良い。
転生して、今度こそちゃんとした人になって貴方の隣に立ちたい。
肌色を纏って、年毎に老いる体で、この原っぱに寝転びたい。
俺の体はこうやって欲に染まって…


「元親、さん」

「ん?」

「ひ、と……人が欲しい、俺、人が」

「…、もう、いい」


まどろむ俺の目にを元親さんの舌が這う。いつの間にか 俺の目から水が流れていた。温かい水。 雨で無いことはわかるけれど、それ以上は解らない。 元親さんは何度も俺の目を舐めて、そのあと俺の頭を引き寄せた。 首筋に走る元親さんの脈動。触れた胸の動悸。赤い血が流れている証拠。羨ましくて 、憎くもなる。だけど元親さんのそれはあまりに綺麗で、そうとしか思えなかった。


「こうやって泣ける、それだけでお前は十二分に『人』だ」


つらそうな声が降って来る。やめて、やめて、元親さん。 貴方の悲痛な声は降って来るこの雨よりもずっと痛い。俺の心が壊れてしまうほどに 締め付けられて動けなくなる。泣かないで。悲しまないで。俺はそのためなら何だってするから。


「悲しまないで、元親さん。俺、此処、居るよ」

…お前は」

「どこにもいかない、傍に居る、傍、居たい。だから、だから」

「わかってる、わかってンだ。…」


視界が真っ暗になる前に、元親さんの口が俺の口を食べた。







(このまま…)







神よ狙え。狙い打て、俺の体を。