、舐めさせてください」

「いくら払う。それで考える」

「1000両でどうです」

「好きに舐めるといい」




あまいあまい




指先にプックリとした造形美を保つ赤い液体を見るやいなや明智光秀は 興奮してしまったようで、 刀を片手にしたまま、痛みに顔をゆがめるの傍まで擦り寄ると、その指をそっと持ってからうっとりと 眺めてそう言った。 はその様子を不思議そうに眺めていたけれど、今にも舌を伸ばして舐め取らんばかりの 光秀の様子にハッとなって交渉を持ちかけた。(そして存外良い額が出たので了承した)


「私の血が旨いか、殿」

「…の血は格別です」


熱心にの指に下を這わせながら言うそれは、そんなに心がこもっていなかった。 きっと血に気が向いてしまって、言葉を発するのが面倒になってしまったのだろう。 上目遣いに自分を見ながらそれでも指の傷に固執する城主が面白くも妖艶にも見える。


「格別…?」

「私をひきつける貴方ですよ、美味しくないわけがない」

「……」

「どうしました?」

「なんでもない」


光秀はの指を吸い上げる。ついでに歯が当たって、その奇妙な感覚には身じろいだ。 その時にたまらなく吐いた溜息で尚彼は扇情を募らせる。といってもはそんなこと はお構い無しなのだが。


「どんな味だ?戦場の血となんら変わらないだろうに」

の血は良く熟れた果実の様な味がします」

「そんなに甘いのか」

「ええ…とても」


そう言い終えて光秀は傷口から顔を上げた。ようやっと開放されたの指はもう少しで出汁の抜けた スルメのようになるところだった。そんなことを思いながらが自分の指を見ていると 、光秀はの頬に手を回し、傷一つない滑らかな頬に爪を立てる。 唐突な刺激に片目を細めた表情に満足したようで、光秀は何時になく優しい顔をした。


は強いですから、傷一つありませんね。爪の跡でさえこんなにはっきりと残る。
貴方が怪我の一つでもしてきたのならもっと貴方を味わえるのに」

「殿を守る私がどうして怪我など出来ようか」

「ならばもっと赤く染まってください。その白い装束を真っ赤に」

「だったら殿が私を斬れば良いだろう」

「それは…それはいけない」


笑いながら光秀は親指の腹での下唇に触れる。さして珍しい行動でもないので は甘んじてそれを受けた。光秀は更に体を近づけながら、背の凍るような狂気じみた、だけども 愛おしくて仕方がないような声音で囁く。


の血に酔うのもまた一興ですが…殺してしまっては永劫味わえなくなる」


ぞくりと脊髄が震えこんだ。


「なれば」


はすこし動転したが、判断力は鈍っていなかった。 だから、今この場。短刀で手を切ったのもの考えのうちであった。


「なれば今のうちに私の血を味わっておかれよ。
殿を守る為、私は先一度も怪我はせぬ。」


それは忠義でもあり、挑戦でもあり、それが判らない光秀ではない。 含みのある台詞をゆったり聞いた後、光秀は泉のように湧き出る赤い亀裂に触手を這わせた。 先程よりもずっと大量なその鮮血に光秀との服は直ぐに染んでしまったが、 が見つめる中で光秀は血が収まるまで食事を続けた。


「ふぅ。ご馳走様でした」

「……頂かれ、ました」

「どうしたんです、その目は」

「腹は満ちたか。ようやっと満足か」

「ええ、満足です。飲みすぎとでも言いたいのでしょうけど、貴方言ったでしょう?
飲み納めですから。…おや、顔色が私のようですよ?」

「誰の所為だとおもっている」

「さぁ?」


舌なめずりをする様子からどうも飲み納めにするつもりはないように思えたが、 思いのほか沢山吸い出されていたので、なにか言う気にもなれなかった。 もう出て行こうとして立ち上がったけれど、ふら付いたのを抱きとめられる。 うっすら目を開けた先に居たのは、珍しく心配そうにしている光秀だった。


「すこしやりすぎましたか?」

「いや、私の血が少ないだけだ」

「しかし顔色が悪いですね。血が足りませんか。
そうだ、私の血を飲みなさい」

「殿の血をのむ家臣がどこに、」


おるものかと言い切る前にまた新しい血がの眼中に入った。 あの青白い身体の何処にこんなに真っ赤な、活動的なイメージを湧かせる ような血が流れていたのかが不思議でもあった。


「!」


開けっ放しにしていた口元に突入してきたのは生暖かい血。 目を見開けば、当然のように自分の口の前に青白い手首があった。 その中心に開く切れ目からボタボタ出る血がそのまま自分の口の中に入ってくる。 すこし不快で真一文字に口をとじたら、口の両端を流れていくのが判る。


「飲まないんですか、、勿体無いでしょう」

「だったら斬らねばよかっただろうに」

「後の祭りです。ほら、私の血が流れていきますよ」


出血した手元をぐい、と押し付けられて、否応もなく血が進入してくる。 すこし力ずくでもあったので、生理的な反射でそれを手で退けようとすると、 細いくせに力の強い手がそれを掴みこんだ。 血が出ている手で唇をなぞるその仕草からは、口をあけるよう促しているようにもとれた。 力を抜いた隙に、鉄の味が広がる。


「ん、むぅ」


とっさに瞑った瞼を少しだけ開ければ旨く光秀と目が合って、は少しだけ 気恥ずかしいような、そんな気がした。 成すがままに彼の血を受ける自分が、まるで母の乳を吸う子のように思えたのだ。


「嗚呼。貴方を私の色に染めてしまいたい」


そんなにうれしそうな顔をされて一体誰がこの手をどけられるだろうか。 は諦めたように力を抜いて、その代わりに光秀の腕に手を添える。 ためしに上下の唇で吸ってみると、どろりと新たな水分が補給される。 その行動に対する感想なのかはよく判らないが、可愛いですよ、と小さく聞こえてきた。





(それを甘いと思う私も、また少し変なのだろう)