ひとふりの ほのおのなんと うつくしい
ちだらけのよで ひとみをとじて
自虐且自愛的自殺行動
元来忍とは道具。
暗殺に、隠密に、偵察に。
使いたい時につかって、それで死んでしまえば、仕方の無いこと。
しきたりでもあるのかはしらないが、死体の骨ひとかけら、それどころか爆ぜた灰さえのこさぬ。
もとからなんもなかったようにして消えていくんだと。
「はおらぬか」
「は、ここに。」
「近々戦をする、武田とだ。生きては戻れまい」
「………」
戦は始まる。その影にはいつも忍はいる。光が武士なのならば、影こそ忍だ。
それがあるから存在する、これは仕方の無いこと、自然の摂理。
賽の目の5が武士なら、見えるはずの無い2が忍。
水上の水鳥が武士なら、下で足掻く足が、忍。
「その戦、影で旦那様をお守りいたします」
織田でも武田でもない、名も無き大名は少しでも不穏な動きをしようものなら
花芽を摘むように消えていくこの乱世。
負け戦でも忍は逃ぐるを良しとせぬ。そこだけは武士と同じなのだ。
(同じで居たかった訳でもなく。どうせならば全て違っていた方が良かった。)
あの赤の男と少しだけでも繋がりが在る事が、なによりも、苦しい。
「家を攻める」
暗朝。
紅い闘志をまとう男は瞳を閉じたまま、鋭く、小さく返事をした。
蝋燭のない室内で生真面目な顔に影がおちる。
それはまるで端整な彫り物のように綺麗な黄金比を保ったままに、隣の
部下に向いた。
「佐助も急ぎ準備をせよ、よいな」
感情を表に出すのは、平和な時だけでいい。
戦を前に感情は要らぬ、不要だ、殺してくれといっているようなものだ。
たとい何を失おうと天下泰平の為ならば構わぬ。それで手に入るのなら、己の命でも安い。
そんな向こう見ずな意識、忍もまた相備えている。
なんと非道い。
(これで最後と言い切って、そなたを過去に置き去りにせねばならぬとは。)
必死になって固めた意志が、少しずつ剥れてしまいそう。
是が最後でも、きっと後悔はないだろう。
どちらの血とも判らぬ。そこらでぶすぶす火の手が上がる。
家は、武田と正面で戦い、敗走し、城に立てこもり、なおも戦い。
挙句の果てに殲滅された。
城の中の人間は、息をしているほうがずっと少ない。
みな最期を悟って死に物狂いだった。死んでもいいと思う人間ほど
死を恐れないものは居ない。だけれど死んでもいいと思う人間ほど
生きたいとは望まないものだ。
散っていく。
大将首を討ち取った紅い武士は、返り血に直その身を紅く染めていた。
息は上がって片手に持った首はまだ真新しい鮮血を流している。
城の近くを流れる川のようだ。浅い息を流しながら意味も無く思う。
人を斬る瞬間のあの感覚。
肉を切る、骨をへし折る。血液が血管に流れ会えず噴出す。
突く。それだけがどんなに恐ろしいことか。
この身一つでどれだけの運命を奪ってきたのか。
「…帰らねばならぬな」
踵を返して、胴から離れた首を持っていく。
ここから去れば英雄とはやし立てられる。それが気分良い訳ではなかったが、
ここにいるよりはずっと、マシなはずだ。
(あれをまつよりは、ずっと)
「っだ、旦那様ーッ!」
突然死の静寂を破って響いた声は、ずっと走ってきていた所為で、それから不安で仕方ない
所為で、泣きそうにゆがんでいた。案の定襖を蹴破って出てきたその姿は、
なりふり構わずやってきたのがゆうにわかるほどに、擦れ、破れ、血が滲んでいる。
『一つ』ぼっちのくのいちに見せられた現実は直下的にその脳に刺さりこんだ。
瞬間に膝を突いた。必死になっていた顔は、手は、力なく下を向いて、荒打っていた息も驚くほどに
落ち着いてしまった。驚いたことに人は、こんなにも急に体調変化ができるものなのだ。
「の…くのいちか」
「旦那様を討ったのか」
目の前に立つ武士の片手に下がる紅い布。源泉はもう枯れかけて、
ぽたぽたと滴るのみだが、もう意味はわかった。
紅い武士の後ろに見える体は長年自分の連れ添ったものだったのだから。
不思議なほど、怒りが湧かない。
もう取り戻せないのが判っているからだろうか、力が入らない。
肩から先が小さく痙攣している。恐れや不安ではなく、唯単なる、力の調節下手で。
無力さは自分の所為だ、助けられなかったのも、この足がもう少し速かったらと思う卑屈な脳髄も。
この紅い武士を責められる所と言ったら、精々『使え主を奪った』事ぐらいしかないのだ。
(いや、せめられるものか)
責められるものか、こんなに優しい男を。
名も明かさない私の命を救い、何も聞かず、もとの巣に返してくれた、この男を。
そして少しの間でも愛してしまった、この男を。
『ずっとここにいてくれると、某は嬉しい』
はにかみながら言うそれに、どれだけ満たされたことか。
どれだけ感じ入り、ここに残っていたいと思ったことか。
そんな、なにもかもどうでもよくなるような感情を、くれた。
仕返しなんて。
(感情が、制御出来ない)
「どうにもならない。私を殺してくれ……ゆきむら」
昔、傷ついた鳥を拾った。
随分人に懐いてない鳥で、臆病で、他人を寄せ付けまいと必死に二本の足で立っていた。
触れようとすればそのくちばしで肉を裂かれた。最期に意識を持ち倦ねて倒れこんだそれを
連れて帰った。
鳥は名を持たなかった。
いや、正確には教えてくれなかった。いつも言いそうになって、やめるのだ。
なにか言いかけて、戸惑うように目を泳がせてから、口を閉ざすのだ。
時々野生の目を見せるところも、そんなことでは天下はとれぬ、と可愛らしく悪態を歌うところも、
美しく、鳥かごを閉ざしてしまいたかった。
鳥は、巣に帰るといった。
本当は駄目だといって、足を縛り付けて、風切り羽をむしりとってでも自分の下に残しておきたかった。
しかしあの懐かしそうな、焦がれる目を見たならば。何を理由につなぎとめておけるのかも判らなくなって
気付けば鳥かごをあけて、すっかり元気になったその鳥を空に放っていた。
その鳥が今、己を殺せと言う。
「ならぬ。そなたは武田に連れ帰り、の業を聞かねばならぬ」
「…旦那様は
奥方様に似合う花を摘みに、織田の国境付近まで行っただけだ。
旦那様は何もしていなかった。純朴な方だった。それがもう、なにも残っていない。
私にも残ってはいまい。さぁ、私をその十文字で。」
「ならぬ。」
「武田に連れ帰り、私を生かすか?あの時のように、私を生かすのか?
そしていずれは私をお前の妾にでもするつもりか?戦の高ぶりの慰みにでも?
あの窮屈な城に繋ぎ止めて、私が生きていけると思うか?」
殺せ。殺してくれ。死なせてくれ。永遠と催促せんばかりのその瞳に、昔の野生がちらりと見えた。
紅い武士は、心臓が思い切り血を押し出すのを感じた。
この瞳、このまま時が止められたら。このまま、出会った時のままのこの鳥を、なんとかして。
(…死なせてやるべきなのか)
無言で槍を向けると、素直に瞳を閉じた。長い睫が微動だにせず陳列している。
もう一押しすればこの白く柔らかい喉は裂けてしまうだろう。此処に来るまでに
沢山倒れている骸のひとつになって、さけた口目から赤の水をだぼだぼ流して、
言葉を吐こうとしてもだぼだぼ。断末魔も上げず、早溶けの蝋燭のように倒れ伏す。
そんな姿は見たくない。息を吐き加減に槍をその腹に向けた。
しかし、手が、腕が、足が、前進しようとしない。
口さえまともに開かなくなって、からがら声をだす。
「できぬ…っ」
「私はお前に主を討たれたのだ。このまま生かせば、きっとお前を殺す
だから、殺される前に私を殺せ……さぁ!早く!」
「俺には……」
人を斬る瞬間のあの感覚。
肉を切る、骨をへし折る。血液が血管に流れ会えず噴出す。
突く。それだけがどんなに恐ろしいことか。
この身一つでどれだけの運命を奪ってきたのか。
鳥を斬るとなって、徒に今まで斬ってきたものが浮かんでは消える。
確りと足をつけているはずなのにぐらりとした。
「そんなことでは天下など程遠いぞ、ゆきむら?」
陽だまりの下で聞いた声がまた、降ってきた。
混乱した体と精神が瞬時におちついていく。
ああ、これはあの時の鳥だ。ぴぃぴぃ籠の中で鳴いていた…。
そう安心して瞳孔を元に戻して見た槍の先だったが、見えはしなかった。
「気を抜くと、お前は私に殺されていた」
「そなたは」
ぽた、ぽた、ぽた。
最初は数滴だった紅はあっという間に水溜りを作った。
深く刺さりこんだ、鋭利な槍の先は刺さった先の脈動に合わせて赤の武士の手を震わせた。
くのいちらしい細い体を包む黒い装束が腹からの血にぬれて赤黒くなっていく。
大急ぎで槍を抜こうとしたのを、がっしとつかんで、止める。
「何故止める!手当てをせねばならぬのだ!」
「いや、いずれこうなる運命だった。それにこれを抜いたら、おそらく私は、死ぬ。
その前に…少しだけ、話をしようじゃないか」
「しかし、今なら間に合うかも知れぬっ…今すぐに、」
「最期にしようと思っていた、これが私の望といっても、か」
抗いようの無い口調。悔しそうに唇をかみ締めながら手を止めた男に、
今から死に逝くそれは満足に笑んだ。感謝する、と。
「お前が武田に帰ったら、旦那様のことをなんというのだ?」
「どうとも言わぬ、唯、持ち帰って弔おう」
「…は。それはありがたいことだ」
目を細めたくのいちは短く笑った。しかし武士は笑わない。
笑えないのだ、あの腹から流れる血はもう、尋常でないのだから。
「……血が」
「の忍は死に難いのだけが取り柄だよ、もう少しは、大丈夫だ」
「もう少しでなく、なぜ生き長らえぬ」
「私の、信ずる道だから、さ。他に何もありはしない」
口が上手くまめらなくなってきて、くのいちは少しだけ早口になった。
そんな微弱な変化さえ感じ取れて、もっと笑えなくなっていく。
もう時間が無い、あの気丈な鳥にやっと会えたと言うのに、もう、数刻も持ちはしない。
それだけが、いやだった。
(どうしてこんなことになったのだ)
「私はいま、とても幸せだ」
紅い武士は下に向きかけていた視線をくのいちにむける。
咳を溢したくのいちの口からは紅い線が流れていく。急激に進み始めた死のカウントダウンに
武士どころかくのいちまでもが驚き、口に手をあてた。
「死ぬことが幸せであるのか。そこまで武士に似ずとも良かったのに」
「死ぬことは…そうだな、今は少しだけ、惜しい。
だから、そうやって立ったままで居らずに、近くによってくれ」
腹に障らぬよう槍を持ったままで寄れば、そう気を張らないでも仕返しなんてしやしないさ、と
冗談が聞こえてきて、少しだけ笑った。
そして覚悟が出来た。もう、死なないでほしいなんて思わないで置こう、と。
無駄なことを願ったってこの時間の無駄だ。
季節を終えて散る花に両手を添えて、わざわざ止めなくてもいいだろう。
「最初に会ったのは、お前の城の縁側だった」
「そなたは随分と俺を警戒していたな」
「あのときは武田の若虎はじかに見たことが無くて、
それなのにお前が近づいてくるものだから」
「しかし、見ていられなかったのだ」
「わかっているさ、お前はそんな男だ」
そういい終わってくのいちは急に咽た。それと同時にその小さな口許から
血の塊が飛び出て、直ぐ傍の武士の頬に赤い点を創る。
眉を顰めた武士を見て、くのいちは安心しろと言わんばかりに
苦笑しながら、その頬の点を手の平で拭おうと、手を差し出した。
まだ辛うじて暖かい手が頬に触れた。
「旦那様を討たれたのは、とても悲しいことだ。
だから私はこうして、あの方の後を追わんとしている。
しかしゆきむら、私は幸せだ。どうしてかわかるか」
「そんなこと、わからぬ。もっと共に居てくれたのならわかっただろうが。」
「お前を想ったまま、お前を憎まずに、黄泉の川を渡れる、からだ」
「お前の優しさは、私を溶かしていった。あれ以来人が斬れぬ。旦那様のことも、この城のことも
全ては私が至らぬ所為だ。それが、唯、嬉しい。」
あの、僅かに人馴れしてきて見せた、最初の笑顔で鳥は言った。
とたんに抑えねばと葛藤していた感情が、武士の中で堰を切って流れ出した。
死なないでくれ。死なないでくれ。どうか、死なないで、くれ。
純粋で、強くしたたかで、ときどき弱い面を見せた小さな鳥は、ほんの少しの時であれ武士の
心に深く根を這った。いずれは家当主に言って貰い受けたいとまで想っていた。
本当は、鳥の名を知っていた。けれどわざと知らないふりをした。
その時からへの疑惑が出ていたからだ。かの鳥を長く置いていたいと想うが為の
、意固地な行動だった。
「黄泉の川は、六文銭が無ければ渡してもらえぬ。
それ故に今、俺のを渡しても良いとは思ったが…やめた」
「なに、無理やりにでも、わたっ、て、やる、さ………っぐ、う」
「死ぬなっ!」
死に拍車が掛かった。
震えだした小さな血まみれの唇に、無意識のうちに口から出た言葉。
それは今自分が一番言いたい言葉だった。
倒れかけた、でも槍の所為で倒れるに倒れられない体を自身が血だらけなのも
忘れて支える。口が脳で考えるよりもずっと早く言葉を運び出す。
「死ぬな。死ぬなら俺の六文銭を掴み取ってから死ぬのだ!
だから今は死ぬな――」
「……名、を、知っていたのか」
「己が恋い慕うものの名を知らずして、なんとするか!」
「お前が、わたし、を…?」
何も言わず唯、無理に笑んで頷くと、それを見たくのいちは目を閉じた。
覚束無い動きで血まみれの両手をその、紅い、広い背にまわす。
持ち手を失った槍が床にゴトンと音を立てて落ち、それにあわせて腹から血が
噴出したが、もう気にならなかった。
「ゆきむら、これは、相思、相愛か?」
「ああ、そうだ」
「本当なら、う、れ、しい」
最期に、やっと気持ちが繋がりあうなんて。
「本当ならではない、」
「ゆきむら……お前、と、もっと、他のところで出会、えていたなら。
お前も私も町人で、出会っていたなら、よかったのに。」
「……」
「きっと、どんな、に、離れ、ても。巡り、合って、夫婦になる、んだ。
頑張って沢山、沢、山、子を作っ……て、」
ガチリと音がして紅い武士が我に帰ったとき、いつも首元にしていたあの、六文銭が無いことに
気付く。気付けば血だらけの細くて白い手は、首ねっこの輪を手に持っていた。
そして先刻自分の言った言葉を思い出す。
「(とりもどさねば…!)」
そしてそれを取り返そうとしてかざした手はあえなく、空を切る。
そのかわりに、細い腕を掴んだ。頬を撫でた。少しだけでも、触れていたかったから。
「もう……時間、だ」
最期に見た笑顔には、不似合い、だけれど綺麗な透明の川が流れていた。
元来忍とは道具。
暗殺に、隠密に、偵察に。
使いたい時につかって、それで死んでしまえば、仕方の無いこと。
しきたりでもあるのかはしらないが、死体の骨ひとかけら、それどころか爆ぜた灰さえのこさぬ。
もとからなんもなかったようにして消えていくんだと。
「ならば、そなたは忍ではないな」
もう3年経つ。
幸村は事切れたを連れ帰り、止める声を遮って、その骸を自室の前に埋めた。
毎春桜が咲く。夏には向日葵。冬には牡丹。夜に月は、石造の墓標を照らした。
「こうしてこの地に身を埋めている。そなたは忍ではないのだ」
「ゆきむら、今年も桜が綺麗だな」
「ああ、綺麗だな」
「―――――愛している、」
注いだ杯に、ひらひら桜の花弁が散った。
(正月二夜連続ドラマ白虎隊鑑賞後にて。
意地と恋のどっちが大切かといわれると、この時代の人は意地って言ったと思う。)