「そんなに意固地になんなくたっていいでしょーが二人とも!」

「いいか佐助、男にゃあ引けねぇ時ってのがあるんだ!」

「右に同じで御座る!負けられぬ戦というものがあるのだ!」

「見事なまでの意気投合ぷりだなオイィィ!って俺様が突っ込み?!この回」



「「絶対に一番風呂は譲らねぇ!(ぬ!)」」



その言葉を皮切りにと幸村は走り出す。 取り残された佐助の(一番風呂も何もちゃんは女の子でしょうがあぁぁあ!)という叫び声は 走り出した二人の足音にかき消されてしまって、青空に霧散して虹を作った。


「やれやれ……旦那が二人居るような気がするぜ」







09 ビバ☆風呂







天井裏に居た幸村が下りて来て団子を所望するのと、 タイミングよく若い女官がに団子を差し入れしに来たのは同時だった。 佐助は無駄な労力を省けた、とに接吻をプレゼントしようとしたが華麗な回し蹴りを頂戴した。

そしてそんな時に発せられた、信玄の声。


『さて、は湯浴みをせねばならぬのう』

『風呂ですか!そう言えばそうでした、俺もう体ベタベタで』

『某も入りとうござりまする!』

『旦那も入るなら俺様もー』


(…という流れで今に至るのである、っと)


佐助は自己流のダイジェストを終えると、ドタドタ音のするほう(つまりたちの向かった方)へ 視線を投げた。
が風呂の場所を知るわけが無いのでもう二分もすれば幸村と共に 風呂場に到着していることだろう。あの馬鹿熱血上司が熱血しすぎでどこか変なところに迷い込んでいなければ の話だが。

そう思う佐助の後ろで信玄が笑いだした。
本来笑い上戸なこの最高権力者は、時たまだが その笑いに何か別なものが入っている、と思えるときがあった。 つまり、それは今このときも例外ではないのだ。


「はっはっは!はまこと面白い女子じゃ!」

「でもちゃんは女の子じゃないんですよね?」

「ほお、聞いておったのか佐助」

「天井に居たら聞こえちゃいましてーあはは」

「ふ、くえぬ奴め……して佐助、主はどう思う」

ちゃんを、ですか?」


やっぱりこうきたか。

ほんの少し張り詰めた空気の中で無言の肯定を示す信玄に、廊下に立ったままの佐助は肩をすくめた。 これは無意識のうちにしてしまう行動でもあったのだが、だからといってこういう時、 佐助自信が整理の付かない、曖昧な答えを持っているわけでもない。 それは佐助も自負していたし、信玄も知っていた。

いつもあまり聞かれたくないことを聞かれたりすると、こういう仕草をするのだ、と。


ちゃんは確かに異質だ。大将の言う、摩利支天かもしれない」

「お主もそう思うか、佐助……は未来から来たと言うが」

「…大将、ちゃんを信じてらっしゃらないんですか?」

「いいや、あの娘は信頼できる器じゃ。信用も此れ然り」


彼は彼なりにを嫌っているわけではないらしい。
唯ちょっとだけ城主らしい模索が存在するだけで。佐助は それを読み取るとすこし、安心した。 なぜなら『を探って来い』とでも命を受ければ否応無しに彼女のまわりを かぎまわることになったからだ。

幾分か心配の無くなった頭で、のことを考える。
戦場に立っていた彼女を見たとき、確かに敵だと思った。殺してしまおう、と、 無抵抗でも構うものか、と思った。しかし彼女を殺すことは適わなかった。 それは自分の行動が適切でなかったためか、と考えたこともあったが 原因はきっと、の方にある。

あの敵味方の関係の無い、眼光に射られては―――

佐助は考える風をして燃えるような髪を梳いた。
目の前の信玄公はどうも返事を急かしている様子だが、 この際だ、もっと焦らしてしまえ。
この人もきっとこの後になにか予定が入っていたりしないから 俺にこんな質問をしたんだろうさ。
(旦那も大将も忍つかいの荒いこった!)


「そりゃあ…ちゃんは不思議な子ですね。
変てこりんな格好だったし、武田の兵を意図も簡単にいなしてる姿なんて腕利きの武将でしたもん。 俺は殺そうとして、旦那も刀交えようとして、でも出来なかった。
どうしてか、理由は今も謎のままです。 俺はとにかく意気の高ぶるあの戦場でちゃんを殺められなかった。 ……でもまぁ、それなりに解釈は出来てるんですけどね、実は」

「佐助、一体何を見出したか」


そんじゃ、失礼します。旦那たちが待ってるんでね。
佐助はいつもより饒舌に語った後、掛けられた質問に笑顔で取材拒否すると 、足早に(というか跳んで)いまだ騒音のするほうへ向かっていった。

のこされた信玄は1人、佐助の言葉を反芻する。
『武田の兵を意図も簡単にいなしてる』
佐助はが来てからそんな報告は一切しなかった、きっとを不利な状況にしたく なかったからだろうが、その一文は信玄の耳にしっかりとインプットされてしまった。


「ふぅむ、そうか…」


信玄は暫し考えるようにして、そこら中に視線を投げ唸っていた。
その様子は未開の物に対する杞憂、というより躊躇や戸惑いといったもの。
しかしそれも数分たって笑みに変わる。


「ふふふ、随分と面白い者を迎えたことよのう」



















「佐助ぇー、まだか!」

「遅ぇ…早くしねーと幸村が一番風呂取っちまうぞー!」

「いや、一番風呂は殿が寝取るのだ!」

「本当にお前意味知って言ってンのかソレ」

「わかっておる!ソレをチョメすることでござろう!」

「畜生!佐助いい加減に教えやがった!」


自分の言ったことを余り理解できてない幸村を叱咤した後は回りを見回した。
濃い茶板張りの床、少し湿った空気、温度。向ける視線の木戸の先にはきっと、 いや絶対に風呂があるのだろう。しかしまだ更衣室であるこの部屋は寒い。 柚木たちが準備してくれたのだから仕方の無いことだ。

と幸村はとっくに風呂場についていた。
とっくにとはいっても 色んな所に行って、此処に付いたのだ。 途中居合わせた女官と話をしながら台所にいって団子をもらってきたので、二人とも片手に団子を携えている。


「一番風呂…幸村が目にも留まらぬ速さで湯船に突っ込むんだろ?」

「なにおぅ!殿が佐助のようにして空を舞って湯に着水するのでござる!」

「なんですと!お前なんかな、火炎車した勢いで湯に落っこちるんだからな!」

「それを何故知っておられるのだ!?
殿はやはり某が好きであるのか!破廉恥な!」


「頼む!頼むから一回物凄く苦しい目にあってくれ!」

「旦那ー?ちゃーん?なんで口論になってんのー?」


天井板を外してとか、影潜の術で華麗にとかじゃなくて普通に戸を開いて入ってきた佐助が 見たのは見詰め合って少しハズれた口論をしていると幸村の姿だった。
呆れて傍観して、話しかけた後の達は、佐助を見るなり標的を佐助にしたようだ。


「あ!佐助!まってたんだぞ!俺達団子片手に待ってたんだぞ!」

「そうだ!某たちは佐助を思って湯にも入らず待っておった!」

「あーはいはい、ごめんね団子、じゃなかったお二人さん」

「そんじゃ早速入っか!俺、テンション上がってきてさ」

「て、てんしょん!それは伊達殿が言っておられた言葉!てんしょんーん!」

「あ!ちゃんダメでしょ旦那に異国語言っちゃ!」

「あー悪ぃなー知らなかったー」(棒読み)


の一言を聞くなり『てんしょん』とは如何様なものでござるか?美味しいものでござるか? とウキウキして聞いてくる幸村を、は片手に持っていた団子を口につっこんで静かにさせた。 (それはもうディスクをハードにおさめる手順で)

そしてニコリと微笑んだまま、佐助にいう。
ちなみにの後方 では幸村は何の反抗もなしに団子を食らっている。いや寧ろウレシそうだ。 くわえた団子がモフモフ揺れている。


「佐助も風呂にはいるんだよな?」

「そうだけど、見張りした方が良ーい?」

「じゃ佐助、脱げ」

「んー?」


は至って笑顔である。


「え?ちょ、ちゃん随分積極的じゃない?」

「お前が脱がねぇなら俺が脱がすぞ?乱暴に破くぞ?

「俺様は下より上のほうが良いんだけどなぁ…!」


笑顔でいうに佐助はもう、理解不能で脳内会議発動寸前だったが、 にじり寄って来たの手が佐助の上着にかかって正気に戻る。
佐助としては、を脱がす方に廻りたいのであって。 その前に上司もいる前でポイポイ、しかも女性(中身は違うが)に 脱がされるだなんて…。自分でも破廉恥だと思える。


「ちょちょちょちゃん!俺様の忍服はホラ、脱がせ難いって評判でさ!」

「脱がせ難い?…うん、まぁ見てりゃあわかるけど、此処とか」

「ほ、本当に脱がせ難いんだ此れが!死んじゃうって!息が止まるって!


佐助の焦りようには流石のも不審に感じたようだ。
ぬぅ、と眉を顰めて 手を止めると頭一つ分高い佐助をじっと見た。 その表情はいじけてしまった幼児に酷似していて、佐助はたまらず「うぅ…」と声を上げる。 は狙っているのか狙ってないのか、口を『む』の発音形にして佐助にいう。 (やめてくれー!脱いじゃう!俺様脱いじゃうよ!スポーンて!)


「佐助の服が着てみたい」

「…俺様の、服?」

「うん。お前のそのスナフキン猿飛」


え、スナフキン猿飛て…?

少し疑問に思いながら、佐助はの要望を冷静になって考え直してみた。
今此処で了解したのなら、自分、もしくはの手によって服を脱ぐことになる。 それはつまり、の前で下着のみになるということ。そしてが自分の服を着ている 間はその下着のままずっと待機して、が風呂に入るとなってからいそいそと下着だけ、 一枚だけ脱いでから入る…

とか言う前に!(覚醒)


ちゃん、俺様は男女はまず一緒に風呂には入らないものだと思うのよ!」

「だって俺男だし、佐助も聞いてたろ?だから佐助が褌一枚で寒そうにして立ってたって興奮なんてしねぇし… ああ大丈夫、お前のが粗末でも笑ったりしないから、さ!」

「いやソレはそれで悲しいものがあるよ!?」

「わかったわかった、スナフキン猿飛はもう諦めるから、な?風呂入ろ?佐助ー」

「だ、だからね…(甘え上手なんだからこの子はもう!)」


生憎ここにはの体を包めるような大きな布がない。
それで一緒にはいるとなれば佐助等は愚かさえも素っ裸、と言うことで。 佐助と幸村はよく共に入ることもあって何の抵抗も無かったが、今回はだ。

何を隠そう女だ(外見が)。自分は嬉しい限りなのだが、上司がどうなってしまうかしれたものではない。 出血多量で死なれたら、困る。路頭に迷う。
そうやって真剣に悩む佐助を尻目にはふと幸村のほうを見た。


「ほら、幸村だって脱いでるじゃねーか!脱げ!早く!俺が着るから!」

「まだ諦めて無いじゃん…ってうおぉぉぉいいい旦那ァァー!!


チラリとが見遣った先の幸村は、鼻歌交じりにそれはそれは上機嫌で 、紅い上着を脱いで棚に入れていた。 戦場でおった傷が沢山見えてはつい見入るが、佐助にそんな暇は無い。 なにしろ幸村はもう下の甲冑部分も脱ぎ去ろうとしているからだ。 もうすぐ褌で、全裸で、鼻血であるからだ。

佐助は幸村の肩を掴んでとりあえず考え直してもらうことにした。


「旦那、此処で脱いじゃまずいだろ」

「む?何がまずいのだ佐助、俺は男、佐助も男、殿も男ではないか」

「そりゃ精神面はそうだけど、ちゃん、体は女の子じゃない?」

「破廉恥な!佐助お前、殿をそんな目で…!」

「誰のためだと思ってんの!こンの鼻血武将!」



その遣り取りを見ていたは声を上げて笑うと必死になっている佐助に話しかけた。
そうしている間に幸村は甲冑を外しに掛かっている。佐助はなんだかもうどうでもいいや、と 力が抜けた表情でを見遣った。


「な?俺も気にしてねぇし、佐助も気にしなくていいだろ?脱げ?」

「でもちゃんが裸だとなんかさ、こう、興奮して……」

「勿論お前の体に変化があったら瞬間で捻り潰すぞ?」

「し、辛辣!」


その恐ろしさについ両手を口元に持ってきてしまって少女漫画のヒロインのような格好になった佐助を見て は何緊張してんだよ、と尚笑う。腹を抱えて笑う。とにかく笑う。
流石になんだか不快になってきた佐助の表情をみて、ふと気付いたように顎に手を当てた。


「そうか。でもいちおう腰巻とかは欲しいよな。誰かに頼んでみるか?」

「そうそう、それならまだ…」





スッターン!





さま。布をご用意いたしました」

「うわぁ柚木さん!有難う御座います!
…でもこんな長いのは俺、使いませんけど?」

様、よろしいですか。様は確かに武士のようなお方ではありますが 、
御体は女人のものでございまする。どうかご配慮くださいませ」

「うう…ゆ、柚木さんが言うなら…」


木戸の強度なんてお構い無しに行き成り開いた風呂場の扉の先にいたのは、 今日の専属女官になった柚木達だった。(しかし実に早い仕事だ。待機していたのだろうか)
はその登場になんの疑いも持たずに近づくと柚木はじめその後ろの女官たちのもっていた 手ぬぐいやらを受け取って礼を言う。

そしては佐助たちのもとに戻ってきながら、そのなかでもひときわ長い布を指先で持って、 深く溜息をついた。
確かに今まで女でなかったのだから長い布を体に巻きつけるなんていうのは初めてだ。 これがないと入れないわけでもないだろうに…とやや不満げではあるが柚木の頼みを断るような気も 起きず、は腹をくくった。 それと同時に柚木の後ろにいた女官達がキャッキャと黄色い声で風呂の奥に居る佐助たちに話しかける。


「猿飛様、真田様もどうぞお使いください!」

「お!悪いねぇ〜!ホラ、旦那も使いなさいよ」

「おお、かたじけない」


頬を染めた女官達はいいえ、いいんです、と小さく言う。
幸いにもまだ下は履いていた幸村の姿はその女官達の頬を染めるだけですんだのだが、此れがもう少し 遅れていたらとんでもない叫び声が響いていたことだろう。それが本来、この時代の『女の子』という モノだ。唯がすこしだけ、大っぴらなだけ、なのだ。

では失礼します、としとやかに言って今度は戸を優しく閉めると柚木達は去っていった。
去っていく足音を耳に残しながら、がポツリと言う。


「そういえば柚木さん、どうして布が要るってわかったんだ…?」

「(今更その疑問かよ…!)」


少しだけの能天気さを不憫に思って顔を顰めた佐助であった。

結局は佐助たちが先に、そしてがあとから布をまいて風呂に入ることになった。
一番風呂はいいのか、という質問には至極簡単に『テンショ…いや、気が乗らないからいいよ』 と返して、幸村が一番風呂に喜ぶ姿に目を細めていた。



□□□□□□□□□□



湯気が立ち上る。立ち上っては上へ上へと上がって、外へ出ていく。

木戸の先の湯船は、テレビ番組などで見たりする檜風呂そのものだった。
風呂の斜め上に着いた窓から湯気が逃げていくのも、また趣深い。 タイル張りでない風呂を見たのは指で数えるほどで、は感心した声をもらしながら風呂場をあちらこちら 見た後に、並々とした湯につかった。

最初は随分と騒がしくしていた幸村も、のぼせてしまったのか、風呂の四隅の一角に両手を投げ出して 落ち着いている。佐助は最初から半身浴をしていて、顔も紅くなってないし、のぼせてもいないようだ。 は湯船の縁に頬杖を付きながら両者を交互に見て、本人もよくわからない不思議な、だけど嬉しいような 気分になった。流石は湯の力だ。


「結局は一緒に入れて万々歳ってこと、かな?」


片手を湯から手を出して、手拭いを絞り頭に載せるとはうっとりと息を吐く。
一度入ってみるとこの全身タオルもなかなか乙なもので。すっかり気に入ってしまったは なんども体に張り付く布を巻きなおそうとしたが、その度に佐助に止められた。 (旦那の教育に悪いから、ねっ!)


「どうよ?疲れは取れた感じ?」

「おう!やっぱ風呂は良いな、特に朝風呂はいい!」

「そりゃよかった〜!ま、旦那はつかれちゃってるみたいだけど?」

「つ…つかれてなど…!」


佐助のからかう視線の先に置かれた幸村はそれでもまだ反論する元気があったのか、不機嫌そうに眉を顰めて体を 反転させた。それと同時に傷が見える。佐助のそれもそれなりに凄まじいものがあったが、やはり 真っ向勝負の幸村の傷の多さはその上をいくようだ。

はバシャバシャと湯を波立たせながら幸村の前に行った。
幸村は逃げるでもなく、ゆっくりと に目を向ける。半眼で、明らかに湯だってしまった幸村がどうして湯から上がらないのかと言うと、 それは勿論佐助と時間を競っているからなのである。


「幸村、大丈夫か?お前顔が赤いぞ」

「こ、これくらいどうって事はござらぬ…いつもこの赤さでござる」

「いやもっと人間らしい色だと思うんだけど」


まだ話す余裕はあるのか!はケラケラ笑って手拭いで幸村の汗を拭ってやった。
まるでとんでもなく年下の少年を相手にしているようだ。 実際は大した年齢差など無いだろうに、佐助よりずっと世話も掛かる、 云わば子犬のような幸村は、相手にしていて飽きない存在だ。こうしていると、今自分は女なのだし、 佐助と自分が両親で幸村がその子の様に思えてきて、は苦笑した。


「どうなされた、殿…?」

「ん?いや、何でもねぇよ。
幸村は可愛いなぁと思ってね」

「某は、可愛くなど、ござらん」

「いーや可愛い」

「ぬぅ…」


その表情にまた笑う。
そのあとに少しいじけた佐助が乱入して、風呂の片隅で三人が固まる形になると、 は否応無く佐助たちの傷に眼が行った。刀傷はどうやら幸村の方が多いようだが、佐助はまた一段 と違った、小さな切り傷や刺し傷が目立つ。どちらもその部分だけ肌と色が少し違っていて、 見るからに痛々しい。 は正面に居る二人の傷を見比べて、少し遠慮気味に聞いた。


「あのさぁ……お前等、その傷痛くねぇの?」


幸村と佐助は顔を見合わせる。まさかこんな質問をから受けようとは。
幸村達は鍛錬をして、敵城や戦場に立つのが勤めであるので、寧ろ怪我を多くしている程賞賛されるものなのだ 。それなのに目の前のは決まりが悪そうにそれを聞く。


「こんな傷は日常茶飯事だよね?旦那」

「うむ。殿は太刀傷を見たことがござらぬのか?」

「え?そりゃ俺の居た時代は刀なんて持っちゃいけないからね」

「は!?」

「なんと!」


当然のようにそう言うに佐助と幸村、両者の顔が驚愕に彩られた。
太刀傷を見たことが無いというのは、どこか偉い地の姫君とかなら有り得ない話ではないだろう が、刀を持ってはならない、なんてそんな事想像も付かない。というか有り得ない。


「でもさちゃん、刀が無かったらどうやって人は身を守るんだ?」

「基本的に身を守る必要なんてないんだよ、俺の居た国は戦も無かったし」

「国?信州で御座るか?奥州?いや、四国で御座ろうか」

「そうだな、天下が統一されたって意味の『国』だよ、大きな国だ」

「大きな国、天下……それはさぞ素晴らしかろうな!」

「そうでもねぇよ、俺はよっぽどこっちの方がいい」

「…ちゃん?」

「俺の居た世界は平和だった。だけど何も無ぇ。皆が普通であることに固執する」


其処に聞こえたのは感情が殆どこもってない声だった。

吐き捨てるような言い方だったが、佐助が見た瞬間にはは普通の表情にもどっている。 幸村もその変化に気付いて、不思議そうな顔をしたが、がいつもどうりに小首を傾げるので 気のせいだ、と思うことにしたようだ。

は窓から来る冷たい空気を思い切り吸って、背伸びして肩を回した。
どうやらもう風呂から上がるつもりのようだ。そう読み取った佐助は幸村をどうやって 湯船から引きずり出すか考え始める。 その所為か、その際胸元ぎりぎりに巻かれた布の合わせ目が綻びるのに気付いたのは幸村だった。


「いけぬ殿、布の合わせ目がっ」

むにゅ。

「…うぁ?」


欠伸をして半ば涙目の潤む視界でが見たものは、自分の胸元に沈み込んだ誰かの手だった。 手を追ってその『誰か』を見れば、そこに居たのは、目を見開いた幸村。そして唖然と口を開いた 佐助。暫し時間が止まったような錯覚に陥ったが、湯気が絶え間なく動くので達は直ぐに覚醒した。 そして佐助の周りに無意識のうちに明智光秀もビックリの瘴気が漂い始める。


「……その、、殿」


湯の零れる音と天井から滴る水の音しかしないなかで、幸村が切り出しにくそうに言い出した。 しかし幸村の手は退くことなくの胸に残ったままだ。 それでも居所が悪いのか、たまに手が少し動くのがこそばゆくては咳払いをする。


「幸村……お前、手をどけないのか?くすぐったい…」

「あ、ちゃん感じちゃってるんだ?んじゃ俺様も揉んだげよっか?」

「テメェ後で覚えてろよ猿忍者ァ…」

「すいませんでした」

「う、殿……しかし」


幸村は困ったように眉根を寄せて唸った。
その表情には彼が意図してしたわけではないと は直ぐに理解できたが、手を退けないのが疑問だ。顔を赤らめながらもの胸元に手を当てたままの 幸村は、本能的といえば本能的なのだが…なにか理由があるような…


「…幸む、」

「某が手を退けたら、殿の御胸がまろび出てしまうのでござる!」


ござるーござるーござるー…。

浴室内に木霊した声は次第に小さくなりながらもそこら中を飛び回って、 真顔のと佐助の耳に入っては抜け出していった。 その中で幸村は真っ赤になって顔を下げている。


「プッ……わかったよ、そういうことか」


は苦笑いして幸村の手の押さえる位置に自分の手を置いた。
そうした瞬間 幸村の手も高速で離れていったことに相当無理をしていたんだなと思った。
幸村はに触れていた自分の手を見ながら言う。


「申し訳ござらぬ…!殿のその、それをさ、触るなど…」

「あっははは!良いんだよ、俺は気にしてなかったのに」

「そうだよ旦那ぁ…見えちゃえば良かったのにね!ちゃん」

「オイ?良くはねーぞ?」


まぁいいや、もう上がるよ。
は苦笑したまま 先刻押さえた所を軽く巻きなおして髪の水分を絞ると、更衣室へ出て行った。 ガラガラ、ピシャン。木戸が開いて、閉まって。急に風呂から上がったに 唖然とした両者は、顔を見合わせあった。

そして佐助は更に驚くべき現象に遭遇する。








「…旦那、鼻血」


いつもの恥ずかしげな顔でもなく、困っている様でもない、そんな微妙な表情で、 頬を染めて黙ったままの幸村に、佐助は(うそだろぉ)と口角を引き攣らせた。