「……」
低血圧な俺はいつも覚醒するのが遅い。
だから俺の隣に寝ている佐助や、
此方を向いたまま障子越しの朝日を浴びて、膨れっ面で
正座している幸村に気付いたのはちょっと経ってからだった。
(時計の針だと三回転して、四分の一進んだ位)
「…なにしてんの、お前ら」
此処に来て始めての朝が来た。
07 膨れっ面
起きようとするのを邪魔する、腰に廻った佐助の腕。
開いた布団から抜けていく温度に縋るようにして力の入るそれを、力をこめて解いてから、むくりと起き上がって
はまず幸村に話しかけた。(佐助は目覚めがいいのかの後ろで
大きく伸びをしていた)
「…おはよう幸村」
「おはようでござる殿」
どうやら意識は健在らしい。しかし膨れっ面。そしてとまる会話。
彼には彼なりの理由があるんだろうと
はその気味の悪い現象に眉を上げて再チャレンジした。
佐助は二度寝と言う名目のもとにの腰元に手を回して寝転んだ。
(とんだ真田十勇士だなオイ)
「幸村」
「なんでござろう」
「何時からそこで待ってた?」
「…よくわからぬ。しかし暁光が美しゅうござった」
「(最高に朝方じゃねーか)ってことは何か用件があるんだろう?」
「うぬ。しかし…」
此処で幸村は眼を泳がせた。表情に変化が無かったことからすると、そんな変化さえもがには嬉しくて、つい目を開かせて『うん?』
と言葉を促進したが、それでまた幸村は言いづらそうにしかし…と繰り返す。それでも
待っていると、三十秒ぐらいしてから話し出した。
「…某は昨晩の失礼を詫びに参ったのでござる」
「昨晩?…ああ、アレか」
「そうしたらば、殿は佐助と床を共にしておられる」
「…分るけど止してくれその『一線越えた』見たいな言い方」
「え?超えたんじゃないの?俺様とちゃん」
「佐助はややこしくなるから黙ってろ?……で?それからどうした幸村」
「それで、待っておったのだ」
幸村がつんとそっぽを向くようにしたので後ろの髪がふにゃんと一緒に動いた。
はそれでどうして幸村が膨れてしまうのかわからなくて、曖昧に首を傾げたけれど、
どうやら佐助にはピンポイントで分ったようだ。よいしょ、と起き上がって
首を鳴らすと佐助はにんまりと笑んでに耳打ちする。
「……ヤキ、モチ?」
呟かれたその単語を聞いた瞬間、幸村の顔は上気してバッとの方を見た。
はその反応にそれが図星であるのだと悟り納得したように『おお』と声を出す。
其れを見て佐助は伊達に長年主従してないぜ、と胸を張る。(本当にオカンみたいだ)
をみて尚赤みの差す顔で幸村が続けて言うには、
「そうではござらぬ!武人がヤ、ヤキモチなどっ…!」
「そーかそーか、ヤキモチだったのか!」
「そうではないと言って…!!」
「ごめんなー幸村。お前、のけ者気分だったんだな」
「いや、のけ者気分というわけでは……」
「そんじゃあ今度からは皆で寝ような!それでいいだろ?」
「しかし……破廉恥である……」
「いやーよかったねぇ旦那」
は、曖昧に納得して頷く幸村を満足げに見た後にふと、昨日風呂に入ってない事を思い出した。
この時代において、毎日定時、風呂に入る習慣があるのかはよく分からなかったが、少なくともは毎日風呂に入っている。さして身体的な変化が無かろうとも、微かに残る精神的な不快感は拭い去れない。
それどころか、昨日は戦場と宴席でたらふく汗をかいたのだから、尚更だ。
「ところで、汗流したいんだけど」
「汗?湯浴みをなさるのか殿」
「うん。髪もベタベタだしさ」
「流石は女の子だよねぇちゃんは」
「男だって気にすると思うんだが…あれ、柚木さん?」
「おはようございます様、外は良い天気でございますよ」
「これは柚木殿、どうなさったのだ?」
「この度、様の身のお世話をさせていただく事とあいなりました」
が声を掛けた先の襖がすぅとひらいて、柚木はしっとりと頭を下げる。
後れ毛の一切無い首元が、健康的な白に光った。
はこの柚木という女性が嫌いではなかった。
その女性が専属になってくれたのは願っても無いことで、上機嫌で廊下に居る彼女を部屋に招いた。
「突然ですが様、お館様がお呼びしておられます」
「え、信玄公が俺を?じゃあ湯浴みは後回しだな」
「湯浴みでしたら準備させて置きましょう」
「うおぉお館様ァァァァ!」
「どうも有り難うございます…ってどうした幸村!?」
「いけぬ!某はまだ朝の挨拶をしておらなんだ!」
思い出して言うや否や行き成り勢いよく立ち上がった幸村は柚木や佐助の制止の声も聞かずに走り出した。
ありゃなんなんだと問いかけるに佐助は恒例行事さ、と肩をすくめてみせた。
武田軍の恒例行事…考えられる範囲では、たった一つしか思い浮かばない。
「もしかしてアレ?殴り合いか?」
「あら、知ってたのちゃん」
「え?…まぁ、うん」
まさかゲームで見たから☆などと言えるわけも無く。
はそういうわけで空返事を
したのだが、そのとき丁度少し離れた辺りから破壊音が響き渡ったのだった。
(柚木さんと佐助はまぁたはじまったよ…というような表情をしていた)
余談だが***の服は昨晩佐助が柚木に頼んで着替えさせた。
佐助は一度自分が脱ぎ着させようとしたが本当に一線を越えてしまいそうなので断念したことは
一生秘密、墓まで持って行こう、と思った。
「ぅお、や、くぁ、た、さむあぁぁ!」
「ぃゆーきむるぁあああ!」
しかしまぁ、思っていたより迫力がある。そして楽しい。
は柚木や佐助と一緒に目の前の寸劇を観賞していた。
佐助たちはどちらかというといい加減切り上げてくんねーかなぁ、部屋がしっちゃかめっちゃか
じゃねーかよぉ…というような顔でそれらをみている(後片づけをする柚木なんて最高に)が、
が殴り愛をじっくり見ては、あまりに目をキラキラさせるものだから
佐助も柚木もとめに入ることができないでいた。
ちなみに殴りあう二人の呼び名が原型と離れ始めているのは達が駆けつけて既に五分くらい
経っているからである。(大将!呼んどいて待たしちゃまずいだろ!)
後片付けの為に集まった女官が
にあれやこれやと話しかけだした。
「様、おはようございまする。酒は残っておりませぬか?」
「あ、おはようございます、酒はお陰さまで全快ですよ」
「おはようござりまする様ー、菓子を持ってまいりましたわ」
「え、俺貰っていいんですか?」
「ええどうぞ、朝餉もまだでございましょう?」
「うわー有難うございまふー」
「きゃー可愛らしいー!」
「様お茶もどうぞ!」
さらにもっふー、と白粉の凄まじい団子に喰らい付くに黄色い歓声が飛ぶ。
実際に、手も使わずに口に団子をくわえたままのは実に滑稽ではあったが
なにか小動物のようにも見えるのだ。(もちろん佐助も女官の輪に入った)
実際に殴り合いが終わったのは、それから間もなくだった。
両者が倒れて『ようやった幸村』『お館様には勝てませぬ』と声を掛け合い始めるのを合図に集まって
きていた女官達はせっせと片付けられる物は片付けて、先刻までは戦場だった謁見の間を掃除し始める。
「佐助、いつもこんなんじゃ忙しくないのか」
「ん?いつもは鍛錬場でやってるからさ、そう被害も無いんだけど」
「そっか、今日は俺を呼んでたんだったな…何の話だろう」
「そーだねぇ。大将直々ってことは、身の上とかじゃね?」
「やっぱそうくるか…そうだよなぁ」
どう答えるかな。
そんなことに思いを馳せているとすっかり部屋の掃除は終わってしまったようだ。
柚木集団はさーてお掃除だ風呂だと散り散りになって、佐助は幸村を部屋からどこかへ連れて行き、
最後は身なりを整えた武田信玄とだけが、その部屋に残った。
「さて、殿」
「え、あ、はい…何で御座いましょうか」
「はっは!そう気を張られますな。
この信玄、必要以上に殿の詮索は致さぬ」
「…へ?」
がポカーンとしてマヌケな顔になった所為か、信玄はまた大仰に笑った。
当然といえば当然である。
先の佐助との話で、てっきり身辺について根掘り葉掘り聞かれ、なおかつ色々と説明しなければならないとばかり思っていた
ので、信玄のいう事に呆気に取られずに入られなかったのだ。
(だって二人っきりって、そういうことだと思うんだよ、うん)
「その代りと言っては、ややあざといかもしれぬが」
「その代わり、といいますと?」
「つまるところは…」
信玄は此処でもう一度息を止めた。
いつの間にやら
信玄自身があまり醸し出したくなかった張り詰めた空気になっていることに
やや申し訳ないような気分になったが、そんなことを言ってはいられない。
信玄はの目の前に深く頭を下げた。
の困惑した息遣いが聞こえるが、
意を決してもう一度言葉をつむぐ。
「この武田に助力頂けませぬか、戦神殿」