俺は未成年だけども、酒は好きだ。
酒は良いよな、誰とでもすぐに仲良くなれる。
それに隠れてちびちび飲んでた所為か、耐性だって半端なく備わってる。
でもな、ここの人たちには負けると思うんだよ。
やっぱ本場戦場の宴会に勝る酒池はねぇな。
だってそりゃあ武田の方々は大人だし?
なんか結構きつめの酒を水のように飲んでるし?
「ささ、殿」
「あら、どーも」
どーもとか言ってぐい飲みしちゃったけど実は今ので九杯目だし?
もうお酒は飽きたけどお膳はさがってるし?
(自分らの限界に合わせてないかこいつら…?)
ていうか幸村にいたっては酒を水のように浴びてるし?
06 飲めや歌えの何とやら
日の落ちて薄暗くなってから始まった宴会も最高潮に達していた。
最初の平静さはどこへ行ったのか、殆ど皆が人の良い笑みを浮べて、いたって楽観そうである。
柚木たちもお酌係として笑い声で一杯の室内に点在している。
(我こそはと芸を披露しようとする男達が
邪魔でよく見えないが)
酒は薦められて飲んでいたも気分が乗ってきたので、どんどんガブガブと酒を胃に納めていた。
佐助はに酌しながら心配するように声をかけるけれど、はどれだけ飲んでも
呂律が可笑しくなったりはしない。
「…ちゃんてお酒強いんだ?今ので13杯目だけど」
「13杯目?序の口だろこんくらい。大丈夫だよ。
13の数で貴様を葬ってくれるわ、って言うし」
「いや聞いたこと無いからねそれ」
「お前も飲めよ佐助、酌してやるからさ」
「マジで?んじゃあお願いしよっか」
幸村が赤く酔った顔で立ち上がったのは丁度その頃だった。
「うぃっ…真田幸村男魅せまするぅ!」
「いいぞ真田殿ぉ!殿に魅せて差し上げよ!」
「(『うぃっ』っつったよコイツ)幸村ー無理すんなよー」
「見ていてくだされ殿ぉー!」
酒に弱いのか、泥酔した幸村の言い出しに室内はわぁと湧き上がる。
幸村は持っていた酒瓶に親指で栓をし、頭上まで持ってくるとの目の前で
あろうことかざぱーんと自分の頭にぶちまけた。
そして尚室内は騒がしくなる。一体なんでこうなったのか、と唖然とするのは
とその左隣の佐助ぐらいだ。
佐助にお前の上司はいつもこうなのかと聞くと
さぁ…?と明後日を見ながら答えた。(佐助お前…苦労してるんだな)
(そうなのよ、俺様苦労人なの)
「あのー信玄さん。お宅の真田殿が酒を浴びてるんですけど」
「はっはっは!ようやりよるわ幸村ァ!殿も見ておられる!」
「やりましたぞお館さまァァ!殿ォォ!」
「うわー凄いねぇ、やっちゃったねー幸村ー」
どうやら床に散布された酒云々はもう無視の方向らしい。
揮発したアルコールがつんと鼻をつくなかで、佐助が幸村を止めようか否か
迷っている。幸村自身も酒臭いからだ。(それはもう常軌を逸脱して)
も酒臭さに少し眉を寄せた。幸村を取り囲む臭気で
酒に弱い人間は倒れることだろう。
そんなの気も何処吹く風か、幸村は上機嫌にの前に腰を下ろすと
身を乗り出してに言い寄る。
膳も取り下げたあとだったのでと幸村の距離といったら
もう殆ど無い位だったけれど、が意識的に後ずさっていた。(ずげー酒臭ぇ!)
そして佐助の笑顔は前回の二割り増しで黒い。
「、殿〜」
「酒臭いぞ幸村…」
「然様でござろうかー」
「酒浸りってのは格好悪ぃんじゃねーのー?」
「うぬ…では某はもう酒であるので殿に飲んでいただきたい」
「なにいってんのお前うぇ」
それを皮切りにして前に転げるように、幸村はの腰元に手を廻して倒れこんだ。
(幸村がにダイブするような形になった。)は暫し何が起こったのか
全くわからないままポカンとしていたが、幸村から立ち上るアルコール臭に我に返って
腰元の幸村の頭に万遍の笑みでぐわしと爪を立てた。
因みにこの時ショッキングな光景を見た佐助の脳内では緊急会議で分身二体と佐助1人が正座をして
静かな座敷間で茶をすすりながら老後のことについて考えていた。最高の現実逃避である。
「俺は枕じゃねぇんだが?幸村」
「旦那ー本当いい加減にしてくれよー分身も困ってるぜー」(棒読み)
「あらら佐助くーん!?(分身て何!)」
「ぬふふふふ羨ましいのであろう佐助?」
「ああそうとも羨ましいさ!何が悪い!」
「いいから佐助は素を出すな!」
「某は眠とうござる殿ぅ」
「あ?じゃあ眠ればいあはははは!
何処触ってんだよせっ、て!あっはっはっふぁ!」
「ちゃん笑い方やらしー!いいねぇ!」
「よりによって傍観かよ?!」
いまやトラブルメーカーの幸村はが離れようとすればするほどしがみつく。
(そして触る、触る。)
疲れて溜息をつくを尻目に固く腰に腕をまわしてすん、と鼻を鳴らした。
「殿は抱き心地が良うござるなぁ…」(すりすり)
「ていうかお前マジで酒臭ぇ…うぷぅ」
「こら旦那ァァァァ!やめてェー!」
「よいぞ佐助ェ!なお励めよ!」
「殿色っぽいー!」
「おいコラ!殺すぞ1行上のヤツ!」
野次やカミングアウトが飛び交う室内で、
佐助はと協力することで普段発揮する以上の力を振り絞って幸村を引き剥がした。
(断じて大将とか、同胞の応援のお陰ではない)
そのとき幸村はもう深い眠りに落ちてしまっていて、ポイと引き剥がされた
畳の上で大の字になって安らかな寝息を立てている。
其れを見てはスッと立ち上がると幸村の腹に蹴りを入れた。
そして野次でなく歓声がとんだ。(俺も蹴ってくだされー!とか)(おしまいだ武田軍…!)
「幸村め……ぅぷ」
「ちゃん?」
「どうなされた殿」
「酒気に中てられたような感じです、不甲斐ねぇ…」
(酒漬けの幸村という)酒気の塊にくっ付かれたは流石に酔ってきて
気持ち悪そうに座り込んだ。佐助は眉をあげたあとの傍にいって抱き上げる。
は気持ち悪い所為か、さしたる抵抗もせずに佐助を見遣った。
「なんだよ佐助…?」
「酔い覚ましに行こっかちゃん」
「おぅ…連れてけや、悪いな」
「大将、ちょっと外に出てきますよー」
「うむ。少し無理をさせすぎたやもしれんな」
明日に差し障りの無いように。赤みの残る顔でも心配そうにいう信玄に、佐助は
俺に任せといてくださいよと言いながら、吹っ飛んだまま直されてない障子から縁側まで歩を進めた。
「佐助くん」
「なーにちゃん」
「先刻よりは酔い覚めてきたよ、有難うな」
「えへへどういたしましてー」
はひんやりとした縁側でほうと一息ついた。
遥か後方から光が洩れている。けれどそこより聞こえる騒ぎ声は先刻よりは収まってきているので、もう
終わりかけなのだろう。
吐かなくて済んだことに礼を言った後、息をつきながら見た空の月は上弦、吐く息はほんの少し白くなって
消えた。
「ねぇちゃん」
「なんだよ」
「怖くなかった?」
突飛な質問には月に向けていた顔を戻して佐助を見た。
佐助は真っ直ぐにを見ていて、はそれにも驚いて一瞬目を丸くしたけれど、直ぐに
返事をした。
「怖くなかった」
これには佐助のほうが驚かされた。少しぐらいは迷うと思っていたのに、即答。
しかも『怖くない』との返事だ。当然だとでも言い出さんばかりのの表情は
戦、と聞くと直ぐに怯えてしまう女子供には見えなかった。
佐助は、が寝ていたとき幸村とした会話を思い出した。
幸村は独眼竜の前に立ち塞がろうとしたの目は勇猛な武士の目であったと言った。
始めは甚だ信用できなかったが、佐助はやっとその言葉が真であったと思った。
「だって戦場だよ?死ぬかも知んないんだよ?」
「死ぬかも知んないっていうか…」
「ていうか?」
一瞬、は唸ってまごつくような動作を見せた。
そして徐に縁側に伸ばしていた足をぎゅっと縮めて体育座りになると、足の中指に触れながら
再開し始める。寒いのかと聞くとは手を振って『大丈夫』と示した。
「怖いとか思う前にどうして俺は此処に、って思ったんだ」
「確かに急に現れたって言ってたけど」
「気付いたらあの場所に居て……よくわかんねぇけど」
「気付いたら?自分でも気付かなかったの?」
「ああ、そりゃ信じられねぇ話だよな。嘘だと思ってくれてもいいよ」
そう言って苦笑するに、佐助はいつのまにか自分が尋問口調で話していたことに気付いた。
そして自分が未だを信用しきれていないことにも気付いて、言葉を濁す。
(俺はちゃんを疑ってんのか…?)
混乱して落とした視線の先の庭石が鈍く月光を反射している。
戸惑う佐助に掛かった言葉は予想外にも程があるものだった。
「悪ぃ、な」
え、と声をつい溢してしまった。
向けた視線の先のは膝に顎を乗せて小さく息をはく。
その息さえもが白く濁って、佐助はやっぱり寒いんじゃないだろうか、と不安になる。
宴の途中で解いてしまった髪が邪魔で表情はよく見えないけれど、上機嫌でないことは口調から察せられた。
「なーに謝ってんのさ」
「俺もちゃんとわかってねーんだ、自分のこと」
「…ちゃ、」
「疑っていいからさ、もうちょっとだけ待っててくれよ」
ちゃーんと、説明するから。
痛いくらい静かで、澄んだ空気にの声は少ししか居残らない。
池に落ちた木の実みたく出ては消え、消えては出るの言葉に
佐助はじっと耳を欹てていた。
小さな不安が言葉の奥で蠢いている。
もしもが言ったことが本当であるなら、
一番不安なのはであって、自分でも上司でも城主でもない。
だったら疑うのは余にも無謀で、残酷だ。やっと渦巻く戸惑いに仮的な決着をつけた佐助は
幾分かスッキリして、に近づきその背中をぽんぽんとなでた。
「そんなの当然でしょ。どんだけでも待ってるよ、俺様は」
「疑わねーの?」
「まぁ勝手に連れてきたのもこっちだしね!不可抗力っていうか」
「不可抗力ねぇ……俺、佐助のそういう所好きだよ」
「…え?」
はあふー、と欠伸して顔を上げ、佐助を目線が合うとほんのりと嬉しい…そんな笑顔をみせる。
月光が影を作ってなにか高尚な芸術作品のように見えるその笑顔と行き成りな発言に
なにを言ったらいいのか分らなくなっている佐助は、さっきから混乱しっぱなしであることを
酒の所為にした。(忍なのに…)(もう随分抜けてるけど、ね)
は佐助の心中を察してか察せずか、欠伸の所為で緩んだ涙腺に
数回瞬きをして言う。
「佐助、なんか眠たい、ものっそ眠たい、何だコレ」
「ヤな話したから疲れちゃったんじゃない?」
「そっか…じゃあちょっと佐助体貸して」
「…ちゃん酒残ってるよね」
「…わかんねぇな」
まだ酔っているに違いないと思い始めた佐助。
は、疑い深げな声に笑いを溢すと隣に居る佐助の肩に頭を預けた。
一気に疲れが落ちてきたような感覚に襲われたは
本格的に眠るモードになったのか、ちょ、ちゃん、と声をかけても
有耶無耶な返事しか返さない。
「ちゃーん?」
「なんだー…」
「服そのままで眠っちゃうのー?」
「もうこのままでいい…」
「でも部屋に行って寝ないと風邪ひくよー?」
「……じゃあ佐助が部屋まで連れてけー」
「俺様襲っちゃうよー?いいの?」
「……んー、いい、よ…」
「!」
それきりは佐助の肩に頭を寄せたまま何も言わなくなって
しまった。
規則的な寝息が聞こえる。
残された佐助は、数分後に信玄が宴がお開きになった旨を伝えに来るまで
ぼぉっとして上弦の月を見つめていた。(初心じゃのう、とからかわれた)(そりゃあ、俺様
だってさ!)