それは映画のスクリーンを、ひとり、真ん中で見ているような感覚だった。
動いているのはスクリーンの中の建造物、それから雲、そのぐらい。 時間は朝ぐらいだろうか、画面の端の洗濯物らしきものが揺れているから、風が吹いているのかも知れない。 しかし現段階、観客の立場のには、一切の感覚がつたわらない。 コーラもポップコーンも無いから、仕方なくじっと画面を見つめている途中、 ほんの少し、苦しいような悲しいような感情が、ふわふわ、浮かんだり沈んだりしては、そのたびに 小首をかしげた。

主人公の姿は見えなかった。丁度、視聴者と主人公の視線を同じようにして画面が動いているからだ。 その画面は何度もせわしなく左右を見た。モノクロームの画面の中で主人公は何かを探しているようだ。 呼吸に合わせて画面が僅かに上下した。そのうえ、臨場感たっぷりに呼吸の音さえ聞こえる。 モノクロでなければ、もっと良いのに。何が良いのかもわからず、は膝の上で組んだ手に力を入れたり 抜いたりした。大体、どんな映画かが分らない。どうして主人公はこんなに息を荒くして疲弊しているんだろう。 どうして建物の割りに人がひとりもいないんだろう。

そのとき、画面の中に1人の男が映った。画面の上下と呼吸の音が一瞬だけ止まる。 それと同じように目の前の男の動きも止まったが、僅かに男は後退しはじめた。 けれどその足はガタガタと震え、顔には恐怖がはりついて、大きく見開かれた目は絶望さえ感じさせた。 かわいそうに……いや、そんなことはない。なぜ。はまた首をかしげる。

主人公はゆっくりと近づいていた。 地面に蹴躓いて尻餅をついてでも後退する男。 それでも少し荒めの、だが落ち着いた吐息は、主人公の冷静さを物語っていた。 目の前の今にも泣き出しそうな男に対して僅かな哀れみすら持っていないようだ。

そうして腕は振り上げられ


『ああああああーッ!』







31 ぽろぽろ







「……」


至極自然と目が開いた。

目を開いてまずが見た景色には、今度こそ確りとした色がついていた。 先程までのは、夢だったのか。良く考えればこの世界には映画館なんてものはないのだから、 冷静に考えてみれば頷ける。は漠然と思った。そして夢の内容を思い出す。 最後の悲鳴。あれだけは聞き覚えがあった。あの悲鳴は、先刻の、


「あれ、」


(そういえば、ここ、何処だ)

目の前に広がる天井の茶を認識すると、は自分が何処かの家の中に居て、 横たわっていることに気がついた。寝転がったままで、何の意味もなく自分の手をみた。 当然だが何の変化も無い。男であった時よりも些か頼りなくて柔らかい手が、目の前で開いたり閉じたりした。 手を見るのを止めて、寝返りを打った。 何か布団の様なもの(弥吉の家に泊まったときにこういう風なものを貸してもらった) の暖かさが心地良いが、そこには寝起き特有の気だるさは無く、ははっきりと覚醒した 意識の中で、天井に向き直り、先刻の夢についてもう1度考えようとした。


「目が覚めたか」


刹那、静寂を破って掛けられた声。 目を覚ましたとき、家の中を見回したわけではない。それでも部屋の中には人の気配が無かったことから、 誰かが部屋の中に入ってきたようだ。は目線だけ送るのも悪いかと思って、 身を起き上がらせ、声の主が居るであろう方角を見た。

そしてそこには、


「な…なんだ
雲をも貫き、神々の鎮座する天界に轟々とした霹靂を繰り出さんとするかの如きその昇竜とも言うべき 湾曲の先端は、かつてはそれ自体の均衡を保つためだと言われたこともあり、なるほど、 見事といっても良いほどのアシンメトリーを描き、 海底を表す見事な色彩は、視界を覆っていた落ち着いた茶とはまた違った 刺激を網膜に送り込み、一見、神々しく荒ぶる天雷と海面の渦潮がうまく混ざり合った、いわば 奇跡的に生成した合成獣のような
奥州筆頭伊達政宗かよ、全く、驚かせるなよな」

「折角の再会に随分な挨拶だな、Baby」


部屋に入ってきた男、奥州筆頭こと伊達政宗は、彼のトレードマークといっても良い三日月を携えた 戦装束を身に付けていた。呆然とするをよそに、その傍までやってきて座り込む。 少し体勢を低くしてと目線を合わせながら、愛しげに目を細め、その髪に指を滑らせた。 その行為にが気付いたのは少し遅れてからで、軽く目を見開いたけれど、これといって 暴れる気も、そんな元気も無く、少し気まずそうに息を吐くと目を伏せた。


「…だ、大体、なんで政宗が此処にいるんだよ」

「愚問だな。の声が聞こえたからだ、You see?」

「ごめん、俺お前の事呼んだ覚えないんだけど」

「A-han、ツンデレは健在ってことかい」


政宗はの髪を思うまま蹂躙(いちいちいやらしい表現してんじゃねーぞこの野郎)すると、 兜や篭手や刀など、装身具一切を傍らに置き始めた。どうするつもりか、と思って、ふと窓をみると、 驚くことにもう外は真っ暗になっていた。逢魔ヶ時の薄暗さではなく、殆ど完全な黒。 そんなに長いこと寝ていたのか。そういえば、自分の服までもが三河で着たような夜着になっている。 自分が寝ていた間、一体何があったんだろう。今のに唯一分るのは、 もう賊騒動は終わったということぐらいだ。

政宗は武具の殆どを取り去って簡素な格好になると、出入り口のほうに向かった。
は寝具の上にぽつんと座ったままでその後姿を見送る。
政宗はそのまま出て行ってしまった。


「………」


(なんか、)

変なの。声に出そうと思ったが、声帯を震わせるには空気の通りが少なかったらしく、 は呟くよりも小さな声でそれを発音した。自分が何時間寝ていたかはさておき、 こうしてまた農民の部屋(だと思う、いろいろな農具がおいてあるから)にお邪魔になるとは思って居なかった。 それも、誰がやったかはしらないが、衣服まで着替えさせてもらって、だ。 疑問は沢山在る。弥吉は大丈夫なのか、とか、いつきはもう泣いていないだろうか、とか、村の人は 大事無いだろうか、とか、賊はどうなったんだろう、とか。 それでも、先刻まで自分の置かれていた危機的状況と、今のこの(虫の鳴き声さえ聞こえる)平和的状況 とのギャップが凄まじすぎて、呆然とするほか無い。 血痕1つ無い衣服と腕を見つめ、今度こそ声に出して呟いた。


「俺、結局なにをしたんだろう…」

「お前さんは、おらたちの村を守ってくれただよ」


感慨は幼い声に粉砕された。反射的にその声のほうを見ると、案の定、水色の髪を持った女児が 出入り口に居た。いつきは柔らかく少女らしい笑顔で微笑むとの近くまで寄り、おずおずと遠慮がちに 桃色の生地の何かを差し出した。はそれを受け取った。見覚えのある桜模様が見える。


「俺の、服?」

「んだ、…あの、おらが洗ったんだけんども」

「いつきが着替えさせてくれたのか?」

「えっ、いんや、着替えは弥吉兄ちゃんのとこの母ちゃんが」

「そっか。…洗濯、してくれたんだな、ありがとう」


いつきが無事でよかった。はただそれが嬉しくて微笑みかけたのに、 笑みを向けられたいつきはしかめっ面になった。 その変化には小首をかしげ、いつきを窺った。もしかしたら、弥吉になにかあったのか。 しかしいつきは何も言わない。それにあわせても何も言わない。 沈黙が少々耳に痛くなりそうになったところで、口を開いたのはいつきの方だった。


「なんでそんなに優しくできるだ」

「…いつき?」

「おらたちは、お前さんを邪魔者あつかいしたんだべ
それだけじゃなくて、みんなお前さんが悪いって、賊を呼んだって言ってただ」

「……」

「お、おらだったら、そんなの許せねぇだ!
だども、お前さんは村を守ってくれた。なしてだべ?
おらたちはお姫さまを喜ばせるようなもんもってねえだよ?」


いつきは苦しそうに言葉を紡ぐ。 それはまるで、に出会った当初の自分を責めるかのようにも見えたし、 今日体験した凄まじい物事を思い出す苦痛に寄るもののようにも見えた。 は、いつきが苦しむ理由が何であれ、胸を締め付けられるような気持ちになった。 弥吉からいつきのことは聞いていた。あの時、村人の群を抜け出し、弥吉の元へ行った彼女は、 どんなに不安だったろうか。何かを守りたい一方、何を信じたら良いのか分らない。 それは遭難した船が水面を漂い続けるように不安定だし、たとえどこかに漂着し、 『遭難』という状況から脱出できたとしても、またもや何をしたら良いのかわからない、という新しい 難題にぶつかる。孤独。焦燥。後悔。今更取り戻しのつかないことが山ほど湧いて出てくる。


「いつき、」

「なん、だべ」

「おいで」


は少し離れたところに居るいつきを手招いた。しかしいつきは 躊躇ってこちらに来る気配が無い。それを察知したは少々強行に及んで、 いつきの腕を引っ張り、その小さな体を抱締めた。雪国だから慣れているのかもしれないが、 露出した部分の肌は、の手の平よりもずっと冷たかった。 その冷たさを感じながら、身じろぎひとつせずに腕の中に居る少女に話しかけた。


「いつき、俺は許せる。全部俺がしたくてやった事だから
だから今お前がそんなに苦しまなくてもいいんだよ。
よく頑張ったな、ひとりで心細かっただろう」

「…」

「餓鬼は餓鬼らしく、たまには大声で泣いてみろよ
俺、絶対笑わねーからさ」


やわやわとの背中に手が廻った。誰のものでもない、いつきの腕だ。 いつきの腕がの夜着の両端を途惑いがちに握り締める。いつきの表情は の胸元に埋もれている所為で垣間見ることは出来ない(女って便利な生き物だな) 、それでも肩が僅かに震えているのがつたわって、は目を閉じた。

が、


「Hey、折角の感動Sceneだが後にしてもらっちゃいけねえか」

「……はぁーーーぁあ!」


はすごいためいきをついた!

震えるいつきの肩を撫でながら、ジト目で出入り口のほうを見てみると、政宗は いつもの不敵な笑みを浮べて立っていた。しかも装備を外しているから、第二装備のときの様な 見た目である。はコントローラーがあったなら、政宗を五本槍の目の前に放置したい気分になった。


「お前さぁ、普通分るだろ?これ感動のシーンだよ?
こういう時は無理にでも入り口の外に居ろよ、頼むからさ
例えあられが降っても雨が降っても外に居るお前がすきだよ俺ァ

「Ha!普段の俺も好きになーぁれ!」

魔女っ子か。悪いけどここ親子水入らずなんで出でってくれます?」

「馬鹿言え、Our childだろう」

お前の子じゃない俺の子だ
なーっ、いつき?」

「姫さんが……お、おっかあ?」

「そうそう、おっかあ」

「おらの?」

「おう」

「おらだけの?」

「But 俺のでもある」

「お前は黙ってなさい」


いつきは物凄くビックリしたようで、瞳をまん丸に開いて、じっとの顔を見つめていた。 しかし次第に無表情だった瞳は、湖面に反射する光のようにキラキラ光り始めた。 そして、再び、それもなんの前触れも無くの腹に抱きつくと、 照れたように、へへ、とくぐもった声をだした。


「おっかあ」

「はいはい」


後に政宗は、此処に小十郎が居たらどんな顔をするか想像したら、魔王がスキップするぐらい笑えた (あいつはああ見えて和むものが好きだからな)が、 ここは感動のシーンなので我慢した、と語った。そう、人は進化するのである。



□□□□□□□□□□



政宗が外へ出て行っていたのは、村の人間にが起きたことを伝えに行っていたからだということは、 それから少しもしないうちに発覚した。と、いうのも、がおっかあになってから数十分後、 いきなり家の外が騒がしくなり始めたのだ。とっぷりと闇に染まったはずの外には、はじめて此処に来たときの様な 炎の光が点っている。騒がしいのは勿論、そこに村人が集まりつつあるからだ。は未だいつきに抱きつかれた ままで、開けっ放しになった家の入り口からその様子を見ていた。 因みに政宗はの隣に胡坐を掻いて座っている。 一見すれば、微笑ましい家庭図である。(うるせっ)

この間、は政宗やいつきから自分が倒れた後のコトについていろいろ聞いていた。

まず驚いた。政宗は、弥吉とが出かける際に、黒脛巾組のうち1人を付けさせていたらしい。 賊が来るとなったとき、その黒脛巾は城まで報告しに帰ったそうだ。 そういうわけで政宗は迷うことなく此処まで来られたというわけである。 でもまさかが避難せずに戦うとは思って居なかったらしく、政宗は、が避難していないと分った時、 体中の血の気が引いたと語った。(ちょっと悪かったと思う)(だが反省はしていない)

そして安心した。弥吉は(予想通りといえばそうだが)傷も浅く、今は政宗が連れてきた軍医の治療の下で、 意識も回復したようだ。今は会話も出来るそうだが、話すよりも先ず、今は薬の効果で眠ってしまっている。 おらはちょっとだけ話せたけんども、にいちゃん、元気だったべ。いつきがそう、嬉しそうに言った。 (そうかそうかーうれしいかー)(かぅわいいなぁ、もう)

それから緊張した。あの賊の成れの果てについてだ。はそのことについて聞かれるのかもしれない、と 身構えていたが、いつまで経ってもそのことは言われなかった。ほんの一瞬、賊の片付けは俺の所の部下にやら せた、と政宗が言っていたが、本当にその程度だ。(た、助かった…)


「姫様と殿様、それからいつきちゃんも!もう準備できてるべ」

「わかっただ!おっかあ、行くべさっ」

「分ったから引っ張るな、ほら、パパも行くぞ」

「…Hey今なんて」

「あーうるせーマジでうるせー」

「(で、デレか…っ)」


政宗の胸の鼓動を合図に宴会は開かれた。
(因みにその鼓動が、どくんなのかドキンなのかキュンなのかは誰も知らない)

とても大規模な宴会は、とても多くの肴と、とても多くの笑顔や笑い声とで構成されるものとばかり思っていたが、 どうにも今回は例外のようだ。森の奥でも此処まで静まり返ることは無いに違いない。は上座 (だと思われる)(どうにもここが中心のようだから)に座り、その口元に苦笑いを滲ませていた。 だけではない。の隣の政宗まで、苦笑を禁じえない状況だ。 それから政宗が引き連れてきた伊達軍の兵士もまた、唖然としている。 唯一、の膝の上のいつきだけが、にこにこしている。

何を隠そうTHE☆全☆面☆土☆下☆座☆畑である

達が現れるまでは 最初此処に来た時と殆ど同じ雰囲気だった。しかし、 達がやってきた瞬間、その場の空気は静けさを取り戻し、 村を代表したのであろう権兵衛が皆の前で頭を下げたのを皮切りに、全ての村人 (子供は大人に強制されていたが)が面を下げたのだ。 無論、ドッキリではない。そんな風習、戦国時代には無い。


「こりゃあ、困ったね」


はそういうと、権兵衛の肩を持って顔を上げさせた。
戸惑いがちに顔を上げた彼との目が合う。
初めて敵意の無い彼の瞳を見た気がした。


「仲直りって、こんな風に重苦しくするもんじゃないでしょう
折角ですから、今この時を楽しみましょう、権兵衛さん」


権兵衛は暫くの顔を見つめていたかと思うと、 もう一度だけ深く頭を下げた。後ろの皆もそれに続く。 その後上がった彼の顔には、もはや最初の暗さは残っていなかった。 それから後は、随分賑やかな宴会になった。 士農関係なく全員が肩を抱いて笑いあい、 円形に囲まれた広場の真ん中で終止いろんな出し物が 催され、その宴会は月と広場の四方の灯火だけが暗闇に浮かび上がるまで続いた。



















家の中に、11の文字が浮かんでいた。

政宗とは、部屋の中で並んで床についていた。 宴会の終わり目に、いつきが弥吉のコトを心配し始めて、 弥吉の家に泊まると言い出したのでこの状況になってしまったのだ。 今は皆が寝静まりかえっている。伊達の兵士さえ、村人に是非にと誘われ、 野宿を回避していた。そして今に至る。

部屋の中の火も消えた所為で、天井は真っ暗だった。

ゆっくり瞬きをする。深呼吸を数回。それでもはうまく寝付けないで居た。 興奮しているわけでもないし、疲れていないわけでもない。 少し(6時間、ぐらい?)寝ていたにしても、どちらかと言えば、疲れているといってもいいはずだ。 それなのに眠れない。いや、理由は大方分っていた。

未だ脳内に鮮やかに残っている、あの紅い景色。


「……」

「眠れねえか」

「…ん」


政宗の低い声が囁くように聞こえた。は小さく頷いて返事した後、 寝返りを打った。深い意味は無い。声を掛けられる前から、何度か右左とごろごろしていたのだ。 これなら声を掛けられても仕方ないか、とは床の木目を見ながら思った。




「何だ」

「あの血溜まりの中でお前が倒れた時
俺には時間が止まって見えた」

「…声、」

「What?」

「声が聞こえたんだ、
あれ、政宗だったんだな」

「…ああ」

「ちゃんと聞こえてた」



「…」

「何があった」


訊かれるんじゃないかと思っていた。 だから、出来るのならば、武田に帰るまで2人きりになる時が来なければいいと思っていた。 は政宗に背を向けたまま、小さく溜息をつくと、ありのままを語ろうと決心した。 自分でもわかっていた。誰かに伝えたかった。分ってもらえないかもしれないのが怖くて、 言いたくなかっただけなんだと。


「よく分んねえんだ」

「行き成り守りたくなって、守らねえといけない気がして」

「全部愛しいのに全部憎い」

「無力な俺が居て、傷付く人間が居て」

「そしたら、気がついたら、ああなってた」


ああ、理解できないのも仕方ない。 自分で考えても、ちぐはぐな文章しか出てこないのだから。 は考え付く中で適当な言葉を選んだはずなのに、うまく物事を伝えられない 歯がゆさに眉根を寄せ、体を布団に詰め込んだ。

すると、自分のもので無い布の動く音が聞こえた後、背の直ぐ近くに気配を感じた。 それを察知した瞬間には、すでに心地良い重圧が腹部に廻っていた。 僅かに身じろぎしてみたが、布一枚越しであっても、それはをしっかりと抱締めていた。 背から微かな温もりが伝わって来ていた。


「そうか、」

「怖かったな」

「…もっと早く来てやりゃあ、良かった」


最後の言葉は、まるで己へ吐く叱咤のような唸りとして発音された。 はそれをじっと聞きながら、目を閉じる。 布越しに、の胴を抱く政宗の腕に触れた。触れた指先から、 そこに心臓が在るんじゃないというぐらい鮮明に、 トクトクと波打つ振動を感じた。落ち着く。


「怖かったよ、でも」

「……Un?」

「今は、大丈夫」

「…

「今は怖くない。…あったかい」

「……」

「約束、したよな?朝帰りするって
…もう少しこのままで居てくれると、嬉しい」


後ろで、政宗の驚いたような息遣いが聞こえた。は苦笑する。 自分でもこんな、歯の浮くような事を言うとはおもっていなかったからだ。 それでも今は、誰かの優しさがとても嬉しい。抱締めてまで落ち着かせてくれる、真後ろの青年の 心が嬉しい。




「、」


政宗は、の胴に回していた腕をやんわりと肩に持ってくると、 を振り向かせるように、少し力を入れて手前に引いた。 思惑通り、は政宗のほうを見る。唯、どんな顔をしているか見たかった。 の瞳は落ち着いているようにも見えたが、しかしやはり何処かに不安の淀みが隠れていて、 それを見た政宗は堪らず、を腕の中に収めた。以前にも一緒に寝たことはあったが、そのときよりも この体は、ずっと小さく感じた。


「政、宗?」

「俺は、なにをしてやれる」

「…」

「俺はどうしたら、お前を、」


戦神、摩利支天を。
いや、を。

政宗は、懐の中から自分を仰ぎ見るを見つめた。 その右目は残念ながら、眼帯を外していても、何も見ることは出来なかったが、 残された左目ははっきりと目の前の存在をうつしていた。
色っぽい言葉も、誘い文句も何一つなしに、そっと顔を近づけた。 抱締めた肩は一瞬震えた様だったが、続いての振動は、己の服が握られたことによる振動だった。 そして目の前のは、此方を見つめていて、


……」














ザクッ☆














「……」

「…………」


今の状況を説明すると、今正にと政宗がけしからん事(って、言うな…)(かああ) をしようとしていたが、その瞬間、何処かから音も無く飛んできた巨大な何かが、壮絶な音を立てて、 と政宗の中間、だが身を傷つけない頭上に突き刺さり、なんかもう、2人ともポカーン、といった風である。 つまり説明も追いつけないぐらい刹那の出来事だったのだ。


「いっやー、危機一髪ってな!良かった良かった」


天井板が一枚外れた。そしてそこから何が出てくるかと思ったら、迷彩柄が出てきた。 その迷彩柄は暗がりの中、音も無く降りてくると、音も無く床に降り立ち、少し音を立てて服を叩いた。 迷彩柄の上にはド派手な橙色と燻し銀が輝いていた。


「さ、佐助…?」

「そうだよちゃん
いやーホント危なかったねぇ、さすが俺様!」


猿飛佐助、推参。

佐助は床に刺さりこんだ手裏剣をさっくりと抜き、腰にしまう。そして呆然としている両者を放っておいて、 まずは政宗の腕の内からを奪い去り、己の胸に抱きいれ、自軍の姫の呆気にとられた顔を見て、 にへっ、と笑った。


「なんで俺様が此処に?って顔してるね
へへ、可愛いの。食べちゃいたい」

「と…とりあえず、降ろせ」(目がマジだこいつ)


は、いろんな意味で助かったとは思ったが、佐助の目が笑って居ないので、先ず脱出することにした。 が布団の上に返還されると、政宗は既に起き上がっていて、佐助をじっと睨みつけていた。 佐助はその視線に気がつくと、を後ろからもう1度抱き締め、余裕ぶった笑みで 来撃した。まるでをはさんで両側からキィキィギャーギャー聞こえるようだ。


「おいサル、てめぇの飼い主はよっぽど躾がなってねぇようだな
人のお楽しみ邪魔するように教えられてンのか、Ah?」

「嫌だね、竜の旦那。あんた弱りきった獲物を食べちゃうような竜だったわけ?
可哀想に、ちゃんたら手篭めにされちゃうところだったじゃない
怖かったねぇ、ちゃん」

「……」

ちゃん?」

?」


はじっとしていた。
その視線は佐助の迷彩の外套に向けられていて、政宗と佐助が何事かと見つめる中で、 あろうことか、顔を佐助の肩元に押し付けたのだ。2人に戦慄が走る。政宗が驚いて、口全開かつ 片目全開でそれを見つめる一方、佐助は嬉しいやらビックリやらで文章では表現できないような 表情になっている。恐らく地上波でもモザイクが付く。(いや、それはないでしょ)(冷たくないこの解説)


ちゃん?えーっと、どうしたの?」

「武田だよ」

「武田?What does it mean?」

「家の匂いがするー…」


猫にマタタビ状態。は安心しきった表情で外套に顔を埋めた。
呆気に取られたのは、今回ばかりは政宗も佐助も一緒だった。


「まぁ、知らせを聞いて急いでやってきたからね…
なーに?そんなに俺様に会いたかった?」

「……、」

「…おい、?」

「ち、ちょっとちょっと、どうしたの?
何で泣いてるのちゃん」

「え」


自分の手で頬に触れてみたら、丁度指先に雫が触れた。


「お、おお…?」


姿勢を戻してみれば、尚更実感した。目には心配そうにこちらを見る政宗と、抱締めるのを止めて、政宗 同様の目の前までやってきた佐助が映る。は自分でもワケが分らなくて、首をかしげる。 その衝撃でまた数粒零れ落ちた。理由は分らない。それなのに、次第に呼気が荒くなってきた。 数時間前にいつきがそうであったように、自分の横隔膜が引き攣り始めているのが分った。 何が悲しいのか、嬉しいのか、悔しいのか、全く分らないのに、涙だけが出る。

安心した、のか。直感的、かつ第三者的にそう判断した。 小さな子供が暫く期間をあけて母親にであった瞬間、いきなり泣き出すようなものに近いんだろう。 は昔見たテレビ番組の事を思い出していた。 そして思う。確かに色々あったなぁ、と。昨日今日の事が次々と思い出された。 すると、張り詰めていた緊張の糸が切れてしまったのか、どんどん液体が漏れ出てきた。


「ふ、」

「どうした、っ」

ちゃん?どうしたの?なんか痛いの?」

「わかん、ね、…ふえ、ぇぇぇ、」

「うわわわわ、ねぇ、どうすんの竜の旦那!」

「I don't know!と、とりあえず落ち着かせるぞ!」

「了解っ!」


嗚咽も涙も、押しとどめることも無く、ぽろぽろ零れ落ちていった。その間、 政宗はの肩に、佐助はの手に触れていてくれたことが、尚更拍車を駆けたように思えた。 つまり彼等の行動は逆効果だったというわけだが、が泣き付かれて眠る、という点では効果はあったようだ。

は、佐助と政宗によって横に寝かされた後、暫くしゃくり上げてからやっと眠りに付いた。
泣き声でなく寝息が聞こえ始めると、彼等はどちらからとも無く安堵の息を吐き、視線を合わせた。


「やぁっと眠った…夜泣きってこんな風なんだろうね」

「May well…寝顔はEngelなんだがな…」


その瞬間、両者は完全に親であった。(特に後者)



















「おっかぁあああああああ!」

「ぐうぅっ!」


朝は壮絶だった。

Knockもなしに(伊達風)進入したいつきは、の両端に誰が寝ているかなど気にもせず、 素晴しい速度での元まで向かい、その腹に豪快なダイブを決め込んだ。 これで純真無垢、天真爛漫だというから恐ろしい。 因みにはその瞬間、六文銭くださいと言い寄ってくる地蔵達をはっきりと目にした、と後に語った。 (見学に来ただけなので帰ります、といったら舌打ちされた)(こいつら…っ)


「おっかあ、朝だべ!鶏も鳴いてるべ!」

「あ……ああ、いつき、おはよう」

「おはようさんだべっ」


それからお帰り、と言うと、いつきは尚のこと顔を輝かせて、ただいまっ、と返した。 表情に憂いが全く無いということは、弥吉は無事だったようだ。実際に聞いてみると、 今はもう起き上がって食事も取れるほどだそうだ。

暫くもしないうちに両側の2人も起きた。起きた、といっても、少なくとも佐助は起きていたようだ。 気配からして無害な人間だと判断して、横になっていたのか、寝起きらしい様子は何一つ見つからなかった。 政宗は欠伸を噛み殺すような瞬間こそあれ、完全に熟睡していたようではなかった。武人ゆえの所作だろう。


「おっかあ、お客さんが増えてるべ」

「この人はな、危険組織Rによって肉体改造を施された後に不死身の体となってしまい、その 苦しみから世の中を憎むようになったある男、を救うために地下2階から地上50階まで飛び上がれるような 凄まじい跳躍力を手に入れた戦闘員、を倒すために毎日100回腹筋をして体を鍛える男を、毎日影から 応援するのが好きな人間、の行きつけの団子屋さん、の直ぐ傍を流れている川にすんでいるなにかだよ」

ちゃん、結局俺様ってなんなの」


昨日に引き続き長文日和である。



□□□□□□□□□□



政宗と佐助は何処までも張り合う運命に在るようだ。

2人は朝早々から朝餉対決を始めた。 与えられた食材を使って、どちらが如何に広大な宇宙を作れるかという、台所 を決戦の地に選んだ武田対伊達の戦の火蓋が気って落とされたわけだが、は 前田家のまつさんの作る食事こそが戦国一旨いのでは、と思っていたので、 結局出来あがった飯をいつきと一緒に食べながら、2人ともを平等に褒めるだけに終わった。 戦はいとも簡単に終止した。戦神、侮るべからずである。

食事も終え、そろそろ村を出ていく刻限が迫りつつあった。 いつ出ると決めたわけではないが、昨日帰り着かねばならなかった手前、 もう昼までには出て行こう、というのが3人の共通意思だった。 なのでは、諸処に挨拶をしておこうと、弥吉の家に向かった。


「あっ、さん!」

「おお、元気そうじゃねえか」

「はい、おかげさまでっ」


見えない尻尾がひらひら揺れる。

弥吉は丁度、軍医らしき男から軟膏のような薬を貰っていたところだった。 その傍には弥吉の両親が控えている。が頭を下げると、彼等も同じように挨拶をしてくれた。 いつきも付いてきていた。いつきはすぐさま弥吉の傍に駆け寄る。実に微笑ましい光景だ。軍医が此方に小さく礼をしながら 部屋を出て行ったのを見てから、は弥吉はじめ、部屋の中の人間に話し始めた。


「実は、もう帰ろうと思う」

「あっ、そうっすか!それなら準備を、」

「ついでに政宗から伝言を貰ってきた」

「…へ?」


ここに来る前、弥吉のところに行くといったら、政宗に言伝を頼まれた。 政宗は何処にいくのか聞けば、彼は部下を回収するついでに村人に礼を言って廻るつもりらしい。 佐助は、と聞こうとすると、出かける準備をしておくよ、といわれた。どこまでもオカンだ、いい主夫になるに 違いない、とは思った。


「弥吉、お前は村に残れ」

「え…っ」


弥吉の表情から、余裕が消えた。
間違いなくクビになったと思っているのだろう。
はその分りやすい変貌に、苦笑しながら続ける。


「いいか?これは正式な命令だ
まず、お前の怪我が治るまでここで養生しろ
そして村の人間に身を守る術を教えこめ
お前の手でこの村の自治を徹底させろ」

「…どういうことっすか?」

「んーっとな、つまり、この村の防衛団長になれってことじゃないのか?
こんな事の二度と無いようにしろ。ここはお前の里だ。
せめて居られるうちに出来ることをやってみろ
…って言ってたよ、お前ンとこの城主様が」

「筆頭…」

「期限は『お前が全快するまで』。
いつでも席は空けて在るらしいぜ。良かったな」


ちょっと挨拶に来た程度だったので、もう出て行こうと家の外へ向かった。その様子をみて、 いつきも付いてくる。敷居を越えて、朝日がまぶしく瞼に当たり始めた時、後ろから弥吉の声が聞こえた。 振り返ると、家の中なので少し暗がりになって旨く見えないが、弥吉がこっちをはっきり見ているのは分った。


さん!」

「ん、なんだー?」

「ありがとうございました!
俺、さんに会えてよかったっす!」

「ああ、俺も楽しかったよ!ありがとうな、弥吉」

「そのっ…ほ、本当に筆頭とは婚儀なさらないんですか?」


最後の声だけは弱弱しく、機嫌を窺うような言い方だったことには噴出した。 最後まで引っ込み思案なヤツだ。だけど、だから他人の気持ちを考える人間になる。 少なくとも、コイツは。幸村の様な従順な彼とのこれまでの事を思い出しながら、 は暗がりに手を振った。


「さぁ?どーだかな」



















「…おっかあ」

「また来るよ、それまでいい子にしてるんだぞ」


政宗も馬に乗り、佐助はアレクサンドリアフィンドルスゴビッチ政宗を引き連れていた。 つまり、もう出発の準備は整っているのだ。いつきはその、出発に付き物の仰々しい支度を見つめながら、 不満たっぷりにを呼んだ。は馬に乗ろうとしていたのから降りて、 いつきの頭を撫で、からかうようにその顔を覗き見た。


「ん?なんだ?泣いてるのか?」

「な、泣いてなんかねぇだよ!」

「そっか、よーしよーし、いい子だな」

「っ、」


言葉につまったいつきはに抱きつく。 は来たときの服装に着替えていた。 桃色に咲く桜。いつきはその美しい花弁を間近に見つめながら、 一生忘れないでいよう、と思った。今生の別れでもないのに、しかも 数日前に初めてであった人間なのに、分かれるのがこんなにも苦しい。 凄く不思議なのに、それは不快な感情ではなかった。 いつきはの腰元一杯に手を回して、力いっぱいに抱締める。 背中を撫でてくれた手が、とても心地良かった。

その後、たちは村から出発した。 いつきの後ろに集まった村の皆は、の姿が見えなくなるまで頭を下げていた。 いつきは頭は下げなかったが、その後姿をじぃっと見つめて、呟く。


「おっかあ、おら、強くなるだよ」


慌しいことが全て終わった朝方の心地良い涼風が、いつきのおさげを掬っては揺らす。
それは、が『最北端一揆』という後に起こる出来事を消した瞬間であった。