気絶状態になっている政宗を抱えながら、小十郎さんは俺に部屋で待ってろ、と言った。
俺が道が分らないなりにも頑張って部屋に戻っていると、政宗を部屋に
連れて行ったであろう小十郎さんは俺に黒い何かを寄越した。
世間一般で言う股引、と言う奴だ。
膝の少し上辺りまであるピッタリした黒色のそれは、上衣や着物の下に着用する他に、
伊達軍の誇る黒脛巾という忍者集団で使っているらしい。
「大体、若い娘がそんな露出の多い服を着て…
服を着替えさせてやっても良かったんだが、」
「はぁ、」
小十郎さんは俺に向き直って俺の服装を確認するように眺めた。
俺の全身がメンチをきられているように感じる。幾らそれが標準装備だといえ、自重、自重!
この人は俺を睨み殺す気か!
そしてあろうことか、そのまま行こうとする。ちょ、なんなんだ、小十郎さん。『よかったんだが、』何なん
だ。生憎めいど服は置いてないから、とか言い出すつもりだったのか。
出口まで行った辺りだろうか、小十郎さんは少しだけ此方を見るように俺を振り返った。
顔が赤い。まだ極殺モードのままなのか。いや、前髪は一本たりとも零れていない。
「小十郎さん?」
「…お前は、何でも似合うから困る」
スー、パタン。
(………)
ちょ、不意打ち!
27 里帰り
「そーらーをこーえてー、ららら、おーやーかたーさまー」
早速猿股を穿いたは、朝餉も早々に済ませ、両足の間に繊維が有るという至高の感覚を、
畳の上を転がりながら堪能した。
女物の着物であれ、男物の着物であれ、要は寸胴な筒に体を包んだようなものだ。
大仰に足を広げて走ることは(或いは男には出来るかもしれないが)難しいし、何より足を崩すことが出来ない。
「ゆくずぉー、佐す、」
「姫様」
障子の向こうから聞こえたかすかな声に視線を向けると、
そこには幾人かの影が映っていた。影の額の先辺りがみょーん、と飛び出ているのが居る…
と、言うことは、伊達軍の兵士なのだろうか。不思議に思いながら障子を開けると、案の定そこには
リーゼントとオールバックが居た。全体的な比率は、リーゼントとオールバックが6対4ぐらいだ。
やはり何時の時代でもリーゼントというのは不良の象徴的イメージなのだろうか。
「えーっと、なにか?」
何気なく聞いただけなのに、廊下に立つ彼らは緊張したように背筋を伸ばした。
それに吊られてリーゼントもふよふよと揺れた。(見ちゃ駄目だ、見ちゃ駄目だ…)
そんな行動を益々不思議に思って、小首をかしげるの眉間にはつい、シワがよる。
すると、それに触発されたように、連鎖反応が起こった。
「その…すいませんでした!」
大音量が響き渡る。
は自分の耳を塞ぐでもなく、その様子を目をまん丸にして見つめていた。
そりゃ、壮観である。どうみてもチンピラの様な見た目の彼らが、頭まで下げて、ただの女(…といってもまぁ、
一国の姫だとかいわれてはいる)(しかし俺は王子がいい)に謝っているのだから。
沈黙に居た堪れなくなったは、何か言おうとした。しかし一体何を言ったら良いかわからない。
当てもなく前に出た両手が、覚束無さげにふらふらと彷徨う。
彼らは頭を下げたまま続ける。
「昨日は失礼しました!」
「き、昨日?」
「昨日の宴席っす。
俺等が至らねぇばっかりに姫様を不愉快にさせちまって」
「ああ…あの宴ね。ハイハイ。」
「大切な客人だって筆頭に言われてたってのに、」
「俺、自分が情けないっす…」
は頭を下げる彼らを見つめて、決まり悪そうに、手を口元に当てた。
「あー…いや、寧ろ、俺のほうが情けねぇ」
最後の声に、チンピラ、もとい兵士達は顔を上げた。
その視線の先には、気まずそうに目をそらして頬を掻くの姿があった。
ざわつく一同。そんな反応が還ってくるなど、考えもしなかったのだ。
一国の姫ともなれば、侮辱に敏感で、一般兵にとっては言葉を交わすことすら難しい高貴な人間だ。
今回も彼らは上司には相談せずに(なぜなら直ぐに却下されるだろうから)、こっそりと、それも
断られるのを前提に来たのであったから、の反応は全くの想定外であった。
「俺、そんなに酒には弱くないんだけどさ。」
兵士全員の目に見つめられ、は苦笑する。
「緊張もしてたし、いつもより多く飲みすぎたのも、暴れて迷惑かけたのも、よく覚えてる。
だから、皆さんに会ったなら、俺のほうから謝ろうと思ってたんだ」
申し訳なかった。ごめんなさい。
がそう言って頭を下げると、二度目のざわめきが起こった。
何に驚いているのかは、まぁ、分る。はやれやれ、と眉根をさげる。
甲斐国の主の娘(…じゃ、ないんだが)に、謝罪されたのだ。
幾ら下克上といっても上下社会の激しいこの世。一端のプログラマーがビル・ゲイツに謝罪されるぐらいに
ありえないことであろうことは、重々理解していた。
「ひ、姫様!そんなことしたらいけねぇっすよ!」
「そっすよ、俺達なんかに謝ってくださらなくても、」
「ヘイボーイズ、シャラッ。
あのなー、俺、身分うんぬんって、嫌いなんだよ」
焦る声を遮った言葉は昨日と同じなのに、口調も表情も段違いに柔らかい。
武田の姫は、いかにも七面倒なことを言うかのようにして、肩を回した。
「俺の前ではくだらん身分観念なんてのは捨てて欲しい
っつーか、俺、敬語嫌いなんだよ。疲れるだろう。」
ねっ、と念を押してみると、呆気に取られた兵士諸君は釣られて、ぎこちなく頷く。
しかし直ぐに正気に戻った彼らは、大きくかぶりを振って首を横に振った。
皆同じ行動をするものだから、ブリキの玩具みたいだ。ちょっと気色悪い。
折角の不良な見てくれなのに、餌を待つツバメの雛のような必死さである。
「いやいや姫様、」
「あーその姫様ってのも気持ち悪い。無駄に堅っ苦しい。
ポセとかヘムとかそんなんでいいよ」
「いやいやいやいや!」
「あのー、」
彼らの中の1人が遠慮がちに手を上げた事で、また静かに成る空間。
はキョトンと、兵士等は、てめ、姫様の話を途切らすたァいい度胸だ、といわんばかりの
目線でそちらを向く。注目されてなお緊張したんだろう、オールバック(少数派)の彼は途切れ途切れに進言した。
「その、さん、って呼んだら駄目っすか」
「バッ…、お前、ナマいってんじゃ、」
「おーいいねそれ」
「ちょ、姫様ー?!」
あっさり許諾したにやや脱力気味な伊達特攻の彼ら。もはやチンピラの様な容姿はただのこけおどしだ。
うち1人なんか、きっちり固めたはずのリーゼントが、クロワッサンを解体したときみたいにして
崩壊し始めている。それほど脱力したんだろう。かたや自分の発言が受け入れられるとは夢にも思わなかったのか、
発言したその青年は信じられないものをみる目でを見つめている。
「よーし、じゃ今から俺の事はさんって呼ぶといい
そっちのが姫様よりもずっといいや」
「いいんスか、ひめさm、さん」
「おう。構やしねえ。寧ろそっちの方がいい。
そこの君、よく言ってくれたよ。有難うな」
その感謝の言葉を聞くなり、青年の目の水分比率が増した。一回小さく鼻をすすったかと思うと、
直ぐに後ろを向いてしまう。え、と拍子抜けした声をだしたの声を聞いて、やっと、他の兵士達が
そっぽを向いた彼に話しかけ始める。新人なんだろう。背に背負った刺繍は真新しく翻った。
「泣くやつがあるかってんだ、娑婆ェな、お前は」
「でも俺、今までヘマこいてばっかりで、礼なんて言われたことなんて、ねくて」
「だからって姫様の前で」
「馬鹿野郎、さんだ」
「あっ!サーセン、さん」
「え、いいよいいよ。慣れないのも仕方ねぇだろ」
「さん…」
「あざす、さん!」
「さん!」
「(…なんか可愛いなこいつら)」
後のファンクラブ奥州支部の原点である。
□□□□□□□□□□
「ってことは、俺、滅茶苦茶怖がられてンのか」
「はい、まぁ、そうっすね」
「それはそうと弥吉、君は茶を入れるのが上手いな」
「えっ、あ、あざっす」
席の宴の時に見せたの印象が完全に植え付けられているらしい。
相槌を打った青年は先程目を潤ませた青年だ。名前を弥吉(やきち)、と言うらしい。勿論幼名である。
そんな彼の淹れた渋めの茶を飲みながら、は顔を歪ませた。
因みには股引のお陰で胡坐をかくことに成功している。
弥吉は、の眉間のしわを見て、そんな反応をされるとは、と、焦って、余裕の無い表情でを見る。
捨てられた犬の様な目。どうも、オールバックには似合いそうにも無い。
因みに他のチンピラたちはそれぞれの用事のために戻っていった。
それで、丁度何も無かった(正しくはそう『見えた』)この青年を捕まえている、というわけだ。
「俺はさんが素晴しい御仁だって知ってますから!」
「ははは可愛いやつめ」
「か、可愛っ…」
赤面する様子が初々しい。
「まぁ、可愛いのは置いといて。
弥吉、お前、新人なんだよな、出身は?」
「ここよりずっと田舎の、普通の農村っす
俺、実はもともと農民で、偶然地方の武家にお抱えにしてもらって」
「ふぅん、地方ねぇ。里離れてっと、帰りたくなったりしないのか?」
「…何度か、思ったことは。俺、失敗しかしねぇから」
「おいおい、卑下するんじゃねぇよ。失敗すんのって大切なことなんだぜ?
ある有名な人だって失敗は成功のうんたらって言ってるんだからよ」
弥吉は、はぁ、と煮え切らない返事を空間に吐き出して、おずおずと茶に口を付けた。
なんだか出来の悪い弟を持った気分だ。すっかり毒の抜けた話し方をするようになった彼の肩を励ますつもりで叩けば、
控えめに茶をすすったその手元でチャプと、水が鳴った。
「あの、さんはもしかして、甲斐に帰りたいんすか?」
「どうだろうな。俺はいつでもホームシックだし」
「ほうむしっく?」
「知らなくてもいーの。
そだ、これから何か用事でも?」
「いいえ、今日一日は特に無いっすけど」
「そっか」
よし!、と上機嫌に一気に茶を飲み干したは、膝を打って立ち上がった。
それにあわせ、慌てて立ち上がる弥吉。は既に廊下を歩き始めていた。
目の前の客人がどこにいくのかも知らず、(一応暇の相手をしたのは自分であるから)ついていくその新人兵に、
は振り返って、にっ、と効果音の突きそうな顔で笑った。
「里帰りしよーぜ」
「Han?里帰り?」
「ん!」
政宗は筆を置き、書状に目を通すのを止めて、に目を向けた。
その怪訝な問いにも、は大きくかぶりを振って頷く。
書を持ってきて居たのだろう、偶然居合わせた小十郎も、何事かとの方を向く。
は2人の目線をひしと受けながら、紅顔に好奇心の三文字をありありと浮べ、
ある兵の郷里に行きたいとの意見を述べた。
因みに、弥吉は廊下で待機中である。
は振り返った政宗の前に座り、うきうきしながら身を乗り出す。
その無意識の上目遣い(の方が低身長であるが故の不可抗力)に
政宗が息を詰まらせ、その瑞々しい唇に釘付けになりかけたとき、後ろからの両肩を持って後ろに引っ張り、
すとん、と座らせたのは、もちろん、小十郎である。ただ、小十郎の政宗に対する目線が
野菜に付いた虫に対するそれになったことには誰も気が付いていないようだ。
「ちょっと出かけるだけだからさ、いいだろ?」
「俺は別に構わねぇ。小十郎はどうだ」
「政宗様が良いと仰るのであれば、この小十郎めも」
「って事だ、。今は丁度忙しいからな。
俺といちゃつけねぇからって拗ねてくれンなよ?」
「うん、そういう心配は本当に要らないから。
…けどまぁ、仕事なら仕方ねーし」
は、出来るなら四人で一緒に行きたいとも思っていた。
しかし実際に部屋に入ってみると、政宗は机に向かって執務をこなしているし、小十郎も小十郎で、
今まさに仕事中ですよ、といわんばかりの量の書物を持っている。
予想していたが、実際返事を聞いて、やはり仕事か、とすこし残念に思って、眉根を下げた。
そこで焦り始めるのが、父性というもので。
「あぁ、何だ、、済まねぇな、明日は一緒にいてやれる」(ぽん)
「Hey,.いい子で居られるよな?ん?」(さす)
「!」(にゃっ)
「どうした?」
「Un?」
「う、ぬぬ…」
前方から頬に添えられた手と、後方から頭に乗った手が、両方とも何だかくすぐったくて、はキョトンとしたあと、顔を下げた。
それと同じ位に頬が染まる。なんだか、冗談で無い純粋な好意を受けるのって、むず痒いのだ。
は今すぐにでもこの二本の手から逃げて、部屋の隅に行きたいと思ったが、
流石にそれは出来ない。
だからは唸ったまま、ちら、と双方を覗き見た。
丁度よく目が合って、尚更顔を下げた。
ややあって、は口を開いた。
「えー、その…わ、わかった。あり、がと」
はそろそろと手等から脱出した。
外出の許可を貰ったのだから、もう、出て行こうと思ったのだ。元来、一国の姫というのは、
城から出ないし、まさか自分から一兵士の郷里に行きたいなどと言わない人物だ。
例の湖での一件もあっての許可だろうが、小十郎が簡単に許可をだすとは思っても見なかった。
目の前の両人の気が変わってしまう前に退出しようと思い、腰を浮かせる。
が
「What a pretty cat!」
「おぎゃっ…」
流暢な英語と一緒に、一瞬にして目の前は群青に変わる。
同時にふわりと香るのは、なんだろう、御香の残り香だろうか。
は生まれたての赤ん坊の様な悲鳴をあげて、主犯者、政宗の腕の中に納まった。
両手を動かして服の海から顔を上げれば、万遍の笑みを浮べる奥州筆頭の顔。
ぽかん、とするを放って、
政宗はペットか何かの愛嬌者であるかのようにして、にほお擦りする。
「Too prettyyyyy!」
「いぎゃあああぁぁぁぁぁ!!!」
そのまま物理的に食べちゃいそうな勢いの政宗の腕の中から小十郎に助けを求めると、
小十郎は苦笑気味にに手を差し伸べる。上手いこと小十郎に非難した
は呼吸を整えつつも、の髪を整える小十郎の手を受けた。
その様子を見て発言された、まるで親子だな、という政宗の声(幾分か負け惜しみがまじっていた)
は、過保護で寡黙な奥州の鬼を赤面させるには充分な言葉だった。
(お戯れを仰いますな、政宗様!)
(わぁい父上だー!)(きゃっきゃ)
(ちちうっ……お前もだ、!)(かぁぁぁ)
□□□□□□□□□□
話の決着も付いて、もうそろそろ出て行こうかというとき、
は、目的地に到着するまでに結構な時間が掛かる、と弥吉が言っていた事を思い出した。
もしかしたら明日まで掛かるかもしれない。要らぬ心配をかけぬように、理っておくことにした。
「そうそう、もしかしたら帰りは明日ぐらいになるかもしんない」
「What!?朝帰りだと、!!」
「いや言ってねぇよ?そんなこと言ってねぇよ?俺」
「朝帰りなら行かせるわけにはいかねえ
どうしてもって言うなら、この俺を倒して行きな!Come on!」(ちゃきっ)
「そこでどうして戦闘モードなんだよ!つか六筆流のお前に何が出来る!」
「Don’t make me a fool!一度に六文字書ける!」
「あーそうか筆だからかまじでどうでもいいや!」
「待たれよ、政宗様!」
「(ようやく牽制が入ったか…)」
「この小十郎の筆も合わせますと…七文字かけまする!」
「Good!」
「仕事しろよ!2人とも国背負ってんだからね!?」
片倉小十郎さんは、そうか、仕事か、そうだった、と直ぐ正気に戻ったのですが、
どうしても『朝帰り』という言葉に厭らしさを感じてしまう仕様の無い伊達政宗君には、
よしわかった、お前ともいつか朝帰ってやるとか、そういう有体な空約束で納得してもらいました。
しかし納得はしたものの、残念なことに政宗君は尚更興奮してしまいました。
「!!本当に朝がえr、」
「ハイハイ分った分った
ユアベリベリークール、イエーイ、フー!」
▼ は にげだした!
(シュダダダ…)(例の効果音)
風を裂く感覚というのはとても心地良かったりする。
は馬の手綱を操らなくても良い手前、目を細めてカマイタチになったような
感覚を満喫していた。有難い事にアレクサンド(以下略)は有る程度の目的地を言えば勝手に進んでくれる。
そして今現在、の後ろを走る弥吉は、経験は有るものの馬には乗りなれていないようで、
厩に行った時もいつまでも歩きで行っても十分に間に合う、と言い張っていたが、
弥吉は当初結構な時間が掛かるといっていた上に、実際、馬のほうが速いことに変わりは無い。
体力も温存できる。だからア(以下略)に厩に居る馬の内一匹に、
初心者なれども丁寧に扱うように説得してもらった。
お陰で今は軽快に目的地に進みつつある。
「あのー…さん、良かったんすか?」
「何がー?」
「俺なんかの為に時間を割いてくださって」
「んー?聞こえねぇー」
弥吉は前方を走る華奢な後姿を見ながら、困ったような表情になった。
兵士、というまとまりならまだ理解できる。それが個人という単位、一対一、という現状に至った瞬間、どうにも彼には、
理解できなくなるのだ。どうして自分はこんなに身分の高い人と一緒に、自分の里に帰っているのだろうか、と末恐ろしくなる
。自分には自慢できる技も、特技もコレといってない。何も提供できない自分が此処に居てもいいのか。
しかしそんな疑問も、の能天気なノリに巻き込まれて、どうでもよくなる。それでも少し立てばまた、気になる。
自分でもそこまで有能で無いと認めている頭の中で出たり引っ込んだりを繰り返す。
「気にすんなよ」
「えっ」
「ぜーんぶ、俺の気紛れなんだから」
いつの間にか速度を落として弥吉の隣に来ていたはへらっ、と笑う。
弥吉が浮かない顔をしていたことに気が付いたのだろうか、励まそうとする体が見て取れた。
「弥吉が色々心配することも無ぇし、俺に配慮することも無ぇ
あー、て言うか、俺はお前に案内してもらってんだから
俺が弥吉に感謝すべきなのか、そうか、そうだな」
「そんな、恐れ多いっすよ!」
「あーほら!それがいけねぇの!
身分観念なんて捨てて欲しいって言っただろう」
「そうっすけど…」
「姫様なんてお花畑がお似合いな肩書き、狭っ苦しくてやってらんねぇな
それに敬われる位なんて、なんか学校の生徒会長みたいでよ、むず痒ィや」
「せ、聖斗魁蝶?嶽鋼?
それって、新しい野菜ですか?」
「なんか寧ろ俺が『?』を付けたいんだが」
おら、急ぐぞ弥吉!と声を上げて前に進んでいく、甲斐の姫。
弥吉はその後姿をもう1度見た。華奢な背中。利口そうな雰囲気の馬に乗って、
颯爽と進んでいく(驚いたことに、筆頭と同じように手綱を持たなかったりする)その、背中。
それは、とても大きく見えた。そう感じた瞬間、弥吉の頭の中の疑問は、ひとつの言葉でまとまった。
俺は、この方から、何かを学ぶために、傍においてもらって
いるのだ。『尊敬』。その二文字の言葉は弥吉を驚くほど簡単に落ち着かせた。
「…じ、じゃあその、いち人間として訊くんすけど、」
「あ?何を?」
「本当に筆頭とは婚約者じゃないんすか?」
「はは、違げーよ。婚約も何も、俺、甲斐の人間だからなー」
「そう…っすよね」
「?どうした?弥吉」
「なんでもねぇっす!」
(こんな方が奥方なら、筆頭の国はもっと良くなるだろうに!)
まさか、そんな事は口に出せないけれど。
□□□□□□□□□□
走っていくうちに、通る道は山道になっていった。それも、一歩間違えば獣道だ。
今現在、は弥吉の後ろで馬を進めている。最初の一本道と比べると、随分と入り組んでいる。
北に近い郷里、山里、といえば当然の事だろうが、は何より、弥吉が此処に至るまでの道順を覚えていること
に驚いていた。郷里を懐かしむ心がそうさせているんだろうか。いじらしいことだ。
和やかな気分で弥吉を見た。そこで空がもう橙を消えさせ始めていることに気がついた。
昼過ぎに出発したから、大体5時間か。休憩をはさんでその位だから、大きく見て4時間。
特に今まで3時間走り通しだったので、きつくないか、と弥吉に聞いてみれば、うっすら疲労の浮かぶ笑顔で
、全然平気っす、との返答を貰った。一体どこまで健気なんだ、お前は。政宗に少しでもこんな気概があれば、と
思った。少し経ってそれは気持ち悪ィな、と思って断念した。
「さん!」
「なんだ?」
「見えますか?先のほうに村の入り口があるんすけど」
「え、嘘!…あー、あれか?あの、大きい門みたいな」
「そうそう、それっす!あの門の名前なんすけどね、」
が目を向けた少し先にある木造の門は、やはり、城下に有る物よりは覚束無さ気だった。
しかしそれでもその高さを自慢げに誇示していた。農民が農耕に忙しい中でここまで大きな(住居で無い)建造物を
つくろうだなんて、随分と意思疎通の出来た、仲の良い集落なのだろう。
弥吉がこんなに純朴な青年に育ったのは、この村のお陰でも有るかもしれない。
そんな純朴な弥吉が、その瞳をキラキラさせて見つめる門。
は興味をそそられて、一体その名は何たるか、とその門を見つめた。
弥吉は懐かしそうに門を見つめながら、に聞こえるようにと声を張った。
「この門、『いつき門』って言うんすよっ」
「いつき門かぁ、へぇ、いい名前……
って、へ?え、ちょ、何?今、何って?」
「?いつき門っす」
「いつっ…………ほほぉ、素敵な名前だなぁ」
(とんでもない集落に来ちまったみたいだぞ、畜生!)