数ヶ月前の事になる。

政宗が自分以外の滑らかな英語を聞いてから数日後のこと。
武田の摩利支天の噂は勿論、風に乗って奥州にも届いていた。

しかしそれが一体どんな人物なのか、男なのか、女なのか。全ては濃い霧の中。
それでもなぜか、政宗の頭には数日前に戦場で見た女の顔が思い出された。 随分と尊大な態度や口調にも驚かされたが、射る様な視線と、あと、その外見も印象的な女。 自分を特別に扱わなかった、最初の女。顔も中々のものだったけれど、政宗は 自分をないがしろにするその思い切った気概に一瞬にして惚れ込んだのだった。


「摩利支天…Ha、関係ないね」


哀れかな、摩利支天についての密書は火鉢の中で淡い火花を上げ、消えた。







25 混じる赤と蒼







「暗くて迷ったかと思ったんだぞ!畜生!」


が戻って来た時、一足先に戻っていた政宗たちは待っていた様な態で、焚き火の前に座っていた。 は最初、どうして迎えに来てくれなかったのかと不満を垂れたが、小十郎も政宗も幼子をあやすように 頭を撫でたり、口優しく諭したりするので、結局は悪態をつきながらも焚き火の前に腰を下ろした。 髪も濡れているのだから、やはり少しは寒いらしい。

を両足の間に座らせて(最初は素晴しい抵抗を見せた)(そして政宗が粘り勝った) 荷物から引き出した、乾燥した手拭いでの頭を拭きながら、政宗はに色々と話しかける。 はたまに妙なところに伸びそうになる政宗の手と格闘していた。 因みにその時小十郎の表情がハムスターが二匹毛繕いをしている様子を見ているようなモノになっていた ことは、アレクサンドリアフィンドルスゴビッチ政宗とその他の馬しか知らない。 そして後になってからその2人の様子に気が付いて、 アレクサンドリアフィンドルスゴビッチ政宗が歯をむき出しにしていたのは 他の二頭の馬しかしらない。(深い理由は分らないが相当衝撃的だったらしい)(ひひひーん)


「おい、おい

「……」

「…ったく」(びしっ)

たっ!いけねぇ、ね、寝てた」

「Sorry 小十郎」

「いえ」


その晩はそのままの体勢で夕食を食べた。(小十郎に行儀が悪いと散々言われたけれど政宗は決して譲らなかった。) 政宗の両足の間、そして腕の中だというのには相当疲れて居たのか、夕餉の最中もウトウトしていた。 夢の世界に堕ちそうになる度に、小十郎が両足の間に居るのデコやら頬やらを軽くはたいて、が起きたこと を確認した政宗は小十郎にすまねぇな、と言う。(夫婦だとかツッコむとかは残念だが居ない) 寝ぼけたまま食事を続けるを随分愛しそうに見つめる政宗を見て、 小十郎は一瞬でもを赤ん坊のように思ったというのは 誰にも言わないで置こうと思った。そして、眠ってしまったを抱えたままの政宗がふと言った言葉が聞こえてしまった事も 言わないで居ようと思った。


「摩利支天なんて、関係ねぇんだ」


静かな寝息を溶け入らせながら、夜は更けていった。



















翌日昼ごろ、たちは米沢城に到着した。
厩でアレクサンドリアフィンドルスゴビッチ政宗に暫しのお別れをした。

政宗も小十郎も軽装に着替えて、には注文しておいた服を持たせ、数人の女官をつけて部屋に押し込んだ。 小十郎からはこの一晩のうちに重なった仕事を終えてから行くよう言われたのだが、政宗はそれを拒否した。 勿論負けずに小十郎もその拒否を拒否したのだが、政宗がまたその拒否の拒否を拒否した。 そのとき、小十郎は持っていた牛蒡で政宗の隣にあった湯飲みを真っ二つにしてしまったうえに、 笑顔なのに殺気を出して青筋をたてるという妙技をやってのけたので、政宗はひどい違和感と危機感に 焦り、仕方なく頷いた。日頃執務を貯めずにやっていれば、こうやって小十郎が心配のあまり夜叉と化す事はない事を どうやら政宗は理解していないようだ。

そして今、が帰ったら絶対に終わらせる、という殆ど地獄片道の約束を取り付けてもなお上機嫌で、政宗は宴席に座っていた。 勿論隣にはが、政宗の贈った蒼の着物を着て座っている。 親善大使だということは部下も重々知っていたので、を見て不審がる人間は居なかったが、 をじっと見つめたままになる野郎が多いことに政宗は頭を抱えたくなった。

そう、はこんな風にきっちりと着付けて、申し訳分に化粧でもして黙っていれば(いや、黙っていなくても充分Cuteだが) 大和撫子を髣髴とさせるような雰囲気を纏っているのだ。 しかもの方も『親善大使』という肩書きで緊張してしまっているのか、滅多な行動もせずに、偶に政宗のほうを見る。 なんとかしてくれ、と言いたいのだろうが、今の大人しい花顔でそれをやられると、正直政宗のほうがなんとかしてくれ、という気分になる。


。似合ってるぜ、その服」

「…うるせ」


デレが見えた気がした。



□□□□□□□□□□



宴席が始まってからもう半刻ぐらい経つが、はその間ずっと政宗の隣に座ったままで居た。

というのも、親善大使がだらしなかったら甲斐まるごとが だらしない国に見られるような気がしているのだ。もし変な噂が流れた日 には生きていけない。ホント、お館様に幾ら殴られても殴られ足りない。 寧ろ幸村とお館様に両端から殴ってもらうぐらいしないと気がすまない。 もうそのまま佐助の手裏剣に刻まれて、他の野菜も加えて、ドレッシングを少々。これで副菜の完成です。

(毘沙もn、じゃなかったお館様ァァァ!俺に力をををを…)

は緊張をほぐすように手をつけてもない酒に目をやった。

そして酒宴は更なる盛り上がりを見せる。は政宗に薦められて酒を飲み、 小十郎に注がれて酒を飲み、たまに廻ってくる女官に騒がれて酒を飲んだ。 奥州の酒は甲州より寒い所為か、度が高い。だから慣れるまではチビチビと飲んでいたが、慣れてみると 喉の辺りの熱さが心地良くなった。だからは膳もそこそこに、猪口についで(それなりに女らしく礼儀正しく) 飲んだ。まるでジュースのように飲んだ。おうるばっく、とか、りぃぜんと、とかを背景に飲んだ。

そんな時、部屋の中央辺りで踊っていた兵士が思い出したかのように言った。








「あ、そんで、その親善大使さんは筆頭の奥方になられるんで?」








しん。


その2人の発言で一気に静かになった広間は、えっ何か悪いこと言っちゃった?嘘、言っちゃった?と言いたいような 兵士の挙動不審な動きだけが唯一の動きとなった。もともと騒いでいなかった小十郎と政宗、 それからは普通にその兵士を見つめ、 ぎゃあぎゃあ我良しと騒いでいた武将達までもが黙ってしまった。そして空になった徳利の音がコロン、と響いた時。

グレートビックバンが巻き起こった。


「俺も!俺もそうおもってったんス!筆頭!」

「お嬢さんは武田の姫さんとか聞いてるんスけど、ホントっすか?」

「俺はさっき姫さんが筆頭の奥方になるとか聞いたんだが」

「誰に聞いた」

「風の噂だ」

「この魚旨いぞ」

「じゃあ決まりだなきっと奥方になるんだ」

「それにしてもいい女だなぁ」

「ばっきゃろ!オメー奥方に向かって『女』だと!」

「痛て!何しやがんだ、お前!」

「筆頭!おめでとうございやす!」

「式は一体いつするんだろう?」

「筆頭のことだ、滅茶苦茶に気合の入ったやつを一発かますんだ!」

「違えねぇ!楽しみだなァ」

「そうなったら小十郎様も苦労から解放されるってもんだ!」

「酒をもう一杯もらえるかー?」

「いやいや、結構大変になるかもしれねぇや」

「どうしてだ」

「姑か」

「あんなに綺麗な奥方だったら俺なら戦になんて行きたかなくなるってもんだ!」

「それもそうだ、けっ、いいこと言いやがる」

「そうなったら御子もはやいだろうなぁ」

「筆頭とあの姫さんの御子だ、絶対に玉の様な御子に決まってら」

「お生まれになったら俺等にも見せてもらえるだろうかな」

「御名はどうなるんだ、筆頭は伊達政宗、アレ、あの姫さんは…」

「お前、知ってるか」

「いいや、知らねぇな」

「俺も」

「俺も」

「……」

「サーセン、姫様、俺達にお名前を教えt」


「シャラァァァーッ!!」(Shut up!)



今度はその叫びに広間が静かになる番だった。 今度ばかりは政宗、小十郎、とにかく全員を巻き込んで、行き成り立ち上がったを驚愕の瞳で見つめる。 立ち上がったまま1度ひきつけのように『ういっく』と声の様なものを溢した後、 はどこか蕩けた目線でゆっくりと広間を見渡した。そして緩慢な動きで蒼染めの着物の袖を捲りあげ、 とても力があるとは思えないような白い腕を丸出しにし、ダン、と大きな音と一緒に足を振り下ろした。 太ももが露出するぐらいまで、するり、と布が流れ落ちる。


「俺が伊達政宗と結婚するっつったやつ、前出ろ、前だ」


(た、武田の親善大使が悪酔いした!!)

見目麗しい女から出るにしては異常なぐらい、地響きにも似た声をたてる最近のハリウッド映画のストーリーぐらい急なこの展開に付いて行けていない伊達軍の皆様は、勿論城主に助けを求めた。 だが視線を向けられた政宗はの露出した足を見て少し頬を染めている。意外と露出には弱いらしい。 そして小十郎は最初こそ驚きはしたものの、本気で我関せずだ。 宴の締めに焼酎の水割りを頂いちゃっている。まるで深夜のバーだ。

そして皆の明らかなパクリはもう、気にしない方向だ。


「ッチ…娑婆僧どもが…、まぁ、いい」


は随分ガラの悪くなった目つきで、今にも噛み付かんばかりに言葉を吐き出すと、 もう1度座った。だが今度は胡坐でだ。この場に居るのは血気盛んな男ばかり。 いくらの行動や言動が怖いからといって、ガバリと開かれた着物の下半分に 目線が行かないなんて事はない。親善大使の変貌に驚いてすっかり体を竦ませてしまったはずの部下達の、まん丸に 見開かれた眼球がくるりと動いての大腿に集中するのを感じた政宗は、残念だが魅入るのを止めて、 を行き成り抱き上げた。勿論下から掬う様に持ち上げたので、の腿の危機は脱出できた。

そのとき政宗はの膳の辺りも見たが、自分で呑むにしても信じられない量の徳利が 転がっていた。おそらくはウワバミだ。だが奥州と甲州では勝手が違う。 度の強い酒は飲んだときの感覚はよいが、その分強く酔い易い。 最初の勢いに任せて呑んでいたのなら、こうなるのも仕方がないことだ。 困ったKittyだと苦笑した政宗に、が言う。


「ン?なぁーにしやがる、伊達政宗、てめぇ」

「Han、酔いどれが余計に話すもんじゃねえよ」

「………、は、酔ってねーし」

「Baby.今寝てただろ」

「寝てねーし、全然寝……てねーし

よし、寝てたな。小十郎、こいつを部屋までつれてってやってくれ」

「ざけんなまだここにいる…酒が残ってんだもん」

「(もん、って…So,Cute…)俺の膝の上なら許すぜ?」

「あーもう寝るわ、眠ぃ」

「よし、こっちに来い


の即答に僅かなれどショックを受ける政宗をよそに、小十郎は政宗の腕の中でお姫さま抱っこされている に両手を差し出した。それに黙って移動する。そしてそれをまたもや、赤ん坊のようだと思う小十郎。 未だにあまり言葉を発さない部下達が見守る中で小十郎に抱きかかえられたは、ほんの少し名残惜しそうに酒瓶を 見遣ったが、その後は直ぐに連れて行かれることにしたらしい。


「ヤレヤレ、ツレねぇCatだ……燃えてくるぜ」


お…おい!見てみろ!筆頭の背中、青い炎が渦巻いていやがる!
(現場に居合わせた伊達軍武将、白石宗実の発言より抜粋)







□□□□□□□□□□







そのころは小十郎に抱かれたままで廊下を歩いていた。

赤ん坊が母親に抱かれて背を優しく撫でられていると直ぐに眠たくなるのと同じように、 1歩1歩進むたびに来る振動がの瞼を重くする。両人無言なのだから、尚更だ。 丁度よい月夜で、満月でないにしろ浮かんだ月は美しく、はそれを浮遊する思考のままじっと 見ていたが、行き成り小十郎が話しだしたので、目線を戻した。


「いいか、これァ、俺の独り言だ」


小十郎は
だからお前には返事する義務は無ぇ、勿論、権利もだが
と口早に続けた。


「お前が居る時、政宗様は屈託のない笑顔をなされる」


「まぁ、戦で見る笑顔もあるが…あれとこれはちィっと違うように、俺には見えた」


「あの顔、俺は知ってる」


「アレは梵天丸様の、笑顔だ」


「久方ぶりに見て、懐かしくてな、思い出すのに時間が掛かった」


「いつぶりだったか…もう覚えてやしねぇぐらいに、昔の事だ」


それを言い終わると、小十郎はまた、何も言わなくなった。
結局何が言いたかったのか。そもそも独り言なのだから話の主点なんてものは存在しないのだろうが、 にはなんとなく、分っていた。小十郎は戸惑っているのだ。 ありし日の政宗の笑顔を再び垣間見たことに驚いている。 そしてのような娘がどうして、政宗に昔の笑顔を思い出させたのか、不思議でならない。

そして、どうしてこんな女が、


(摩利支天、なのか、と…)

は振動に体を任せ、目を閉じた。
あの湖畔での一件。
端の草むらに二つの気配が在った事。
焚き火の前。
政宗が小さく呟いた言葉。

(知ってる、なんて今更言えたもんじゃあ、無いが…)



















あの後を客室まで連れて行った小十郎は手っ取り早くに寝間着を与え、着替え終わるまでは廊下で待っていてやる、 と言い残し廊下に出た。障子に映るシルエットを見ながら、酒の名残でぽかぽかする体のまま、着替え終わったことを伝えると、 小十郎は手短に挨拶を済ませてもと来た道に戻って言った。流石に長いこと宴を抜けておくわけにも行かないだろう。は 静かながら確りとした足音を聞きながら、布団に滑り込み、今度こそ、と瞼を完全に閉じる。 布越しでもヒヤリとする布団のなか、無駄に体だけが熱いので、余計に寒く思えた。 だから直ぐに寝てしまおうと思って、瞼に力を込めた。

寝入ってから二刻ぐらい経ったのだろうか、いや、正しい時間は分らない。
は、他者の触れた感触に意識を呼び起こされた。武田にいるならこういうこともないのだろうが、 如何せんここは奥州。完全なアウェイなのだから、ノンレム睡眠には落ちなかったらしい。 それでも未だ酒は残っているのか、それとも眠気か、ぼんやりする視界の中でその『他者』を見た。


「Sorry…起こしちまったか?」

「……」

「寝る前にアンタの顔を見たくなった」


政宗は夜着に着替えていた。上に瀟洒な羽織を羽織っている。 …ということは、政宗の部屋から自分の部屋までは結構な距離があるんだろう。 客間なんだから、それは当然か。は今は温まっている布団の中から政宗を見上げ、 そんなどうでもいいことを考えていた。 それを、返事が無いのは眠たいからだと思ったのか、政宗は髪を撫でていた手をの瞼に当てた。


「夜も更けだ。眠りな」

「いや、起きてる。お前の所為で目が覚めた」


は『〜の所為で』という表現に反して、そう不機嫌ではない様子で政宗の手を退かせた。 目が覚めたというものの、布団からは出ないに政宗は、そうかい、と溢すと、の枕元で座りなおす。 どうやらがもう一度寝入るまで出て行く気は無いらしい。


「伊達政宗、お前こそ眠たいんじゃないのか?
昨日、寝てないんだろう。女官さんが言ってた」

「まさか。一日二日起きてるなんてのは、戦じゃよくあることだ」

「ああ、そう」


心配して損した。

はそう言おうと思って、ふと政宗の目元に薄い影が出来ていることに気が付いた。 俗に言う『隈』。やはり、幾ら精神的に堪えられるといっても、体は睡眠不足にはそう丈夫ではない。 睡眠をとらないのと食物をとらないのでは、睡眠をとらないほうがより早く昏睡に陥るぐらいだ。 過去に1度、授業の最中から睡眠不足で意識不明に陥った(といっても、先生に注意されても起きずに 放課後になった、ということだが)のを経験しているからすれば、早く寝て欲しい。
だから隈の存在を教えようと、手を伸ばした。


ぱしん


「…だて、」

「今」


だが、伸ばした手は目的地に到着する前に骨ばった手に止められた。


「今、どこに触れようとした」


震えた声の主は、出来るだけ平静を装っているのか、それとも どうにも表情の整理が付かないのか、無表情でを見つめていた。 これには流石のも驚いて、見詰め合ったまま、暫く時が流れる。 同時に掴まれた腕には、掴んだ本人も気が付いていないのだろう、随分と力が篭っていた。 沈黙が耳に痛いぐらいになって、からがら、が口を開いた。


「隈、だよ。隈。その、目の」


張り詰めていた空気は、それで少しだけ和らいだようで、は肺に溜まりっぱなしだった 空気を思いきり吐き出して、部屋の中のひやりとした外気を吸い込んだ。 久し振りに酸素やら窒素やらを旨いと思った。 開放された腕をみると案の定、ほんのりと赤く輪が出来ていた。


…俺の右目には触れるな」


手の輪を見つめていたに掛かった政宗の声は、いつもの覇気を全く感じさせない、 随分と静かな響きを伝えた。それを怪訝に思ったは顔を顰めると、起き上がって政宗に向かい合い、 正面から目を合わせる。逆光でもきらりと光る隻眼は、真っ直ぐにの瞳を見つめ返したまま、 だが少し不安げに揺れていた。


「理由は」

「見てわからねえか」

「全く分らねえな」

「アンタを思って言ってるんだ。
こんなモンにアンタが触っちゃ、アンタが汚れる」

「俺を思うならそんな事言うなよ」

「とにかく、俺の目だけには触れるな」


すっぱりと言い切る政宗に、は返す言葉を失った。
だが、『触れるな』、それがどういう根源なのか、は知っていた。


「アレは梵天丸様の、笑顔だ」


は以前、BASARAを気に入った当初に好奇心で調べた武将達の 事をまだ、覚えていた。

伊達越前守政宗。幼名、梵天丸。
彼は伊達輝宗の長男として、最上義光の娘、義姫との間に生まれ、 幼少の頃に疱瘡を病み右目を失明した。当時、疱瘡は治す方法も無く、また外見も 良くは見られなかったため、少年時代はそれを気にするあまりに 陰気な性格だったらしい。疱瘡のために実の母にも蔑まれ、毒まで盛られ。 それでも政宗は目に以上の無い弟を当主にするために「母に罪は無い」と 弁護した。幼い心にはどれだけ辛い日々だったろうか、そしてそれを支えてくれた 小十郎の行動がどれだけ嬉しかっただろうか、当人で無いにしろ、想像に難くはない。

そしてその史実がこの世界に当てはまらない空言だったとしても、その右目に息づいた天然痘は 瘢痕と共に政宗に何らかの影響を与えたはずだ。勿論、良くない影響を。

だが。


「自分の目がそんなに嫌いか」


が伸ばした手は、今度こそどんな妨害も受けずに、頬を包むように、その右目に触れた。 ぼぉっとしていた所為か、の手が触れた事に後になってから気が付いた政宗は、 ハッとしてその手を離そうと細い腕を掴んだ。しかし、どれだけ力を入れても自分の思うように動かず、 歯がゆい気持ちにを、薄く睨んだ。触るな、と、もう一度言いたくて。


「触るんじゃねえ」

「確かに天然痘は感染症だが、お前のはもう治ってる」

「治ってなんかいねぇ。俺のは、ずっとこのままだ。醜いままだ」

「醜かろうがどうだろうが、それが治ってるっつってんだよ」

「いいや、『直ら』ねぇんだ、俺の目はもう戻らねぇ
…こう、なりたくないんだったら俺の目には触れるな」

「じゃあ俺がそうなりたいって言ったら」


押し問答が静まり返った。

今のの目は興味でも悲しみでもない、たったひとつの怒りに満ちていた。 政宗の過去にあったこと、どうやら史実と違わぬようだ。ならばなんと悲劇的だろう。 はそれだけでもこの伊達政宗という人物には同情の余地があると思った。 だが政宗は同情を嫌うだろう。同情の視線や、畏怖の視線など、幼い頃に腐るほど浴びてきただろうから。

だが、同情しないでくれ、というのなら。
は、ともすれば流れ出しそうな言葉を一生懸命に選んだ。


「俺がそうなりたいって言ったら、お前は俺にそれを移せるのか」

「何言ってんだ、

「俺がお前と同じ苦しみを味わいたいって言ったら、それを俺にくれるのか」

「…それは、出来ねぇ」

「だったら、お前はどうしてほしい?
同情して欲しいか?可愛そうだ、って、俺に慰めて欲しいのか
そこらの娘の俺に、同情を求めてんのか」

「Stop.止まれ」


いつのまにか、政宗がに向ける視線は明らかに怒気の混じったものになっていた。 最初は唯の忠告程度だったのに、今はそれが度を増し、目を通して脳髄を撃とうとせんばかりに を睨みつける。だがは少しも怯まずに、それを見つめ返した。 途中ちらりと盗み見た膝の上の片手は、力が篭るあまり微かに震えていた。
政宗は凄みのある声で続ける。


「それ以上言うな、いいか。
それ以上言ったなら、アンタが女だってこと忘れちまいそうだ」

「そうか、それならいっそのこと忘れちまえ。
俺が好きだとか、そういう感情は抜きにして話しようぜ」

「Shit!いい加減にしろ!!」


政宗が堪えかねて声を荒げる。
途端、両肩に力が加わったと思うと、視界が廻った。


「…いい加減にすんのは、テメェのほうだ、馬鹿野郎が」


は政宗の両肩に置いていた手を、政宗の顔を間に置くようにして床につけると、 今までよりもずっと荒々しく低い声で言った。 床に倒されて背中を打った政宗は先ほどの威勢は何処へやら、苦痛に短く声を洩らす。 だがはその様子を全く気にせずに、眼帯に手をかけた。だが外そうとはしなかった。 それをしたら、流石に酷だと思ったからだ。自分の様な出会って間もない人間に、 見られたいと思える傷ではないだろうから。


「HA、出会ったばかりのアンタに何が分る」

「いいや、出会ったばかりの俺にでさえ分るんだよ。
お前は城主としては申し分ない男だ、でもな、何か欠けてる」

「……」

「大切にして無いんだよ、てめぇを。
同情されたくないのにお前は自分を可愛そうに見せる。
いいか、大層なことほざく前に人間として自分を大切にしやがれ
自分を蔑むな、誰が言ったか知らんがお前は汚くなんかねぇ」

「……

「この目、こんなもんの何処が災いだ、何処が悪魔だ
俺の前であと一度でも自分を蔑んだなら、そん時ァ…」


そこまで言って、の怒りに満ちた目は、その怒りを静めていった。 その変わりに浮かんだのは、笑み。さっきまで鬼のようだったは打って変わって やわらかい笑みを浮べた。同時に政宗の眼帯にかけていた手を放して、体を起き上がらせる。 政宗は闘志をそがれてしまって、その場に倒れたまま、の顔を見ていた。 それを見ては苦笑すると、そのまま言う。


「そん時は、出来る限り精一杯の同情をくれてやるよ
俺に同情されたくないんだろ?だったら胸張って生きてみせろ」







「梵の目は汚れてるから…」



(そうなのかもしれねぇ)

政宗はその苦笑する顔を見ながら、そう思った。 同情されたくないと思いながら、誰かの気を引きたかったのかもしれない。 幼い頃、そうすれば小十郎も、成実も、みんな気を使ってくれた。 可哀想に生きてみれば、どこかで誰かが同情し、賞賛してくれた。 無理な戦いをして勝って、凄いと言われたかったのかもしれない。 同情されたくないと強がっておいて、今までずっと同情されたかったのかもしれない。

そしてそれと同じ位、そんな自分を叱ってほしかったのかもしれない。

それを理解した時、政宗の口からは笑いが零れていた。
だが夜分。そう声を立てることも出来ずにくぐもった笑いを挙げる政宗を見て、は 怪訝な顔をした。そして思った。プライドの高い政宗だから、これからあまりのショックに発狂して、 HELL‐DRAGONとかそこらへんを 仕出かすんじゃないか、と。 の脳内ではあの、政宗がカメ○メ波を撃つ前の、ねるねるねるねみたいなモーションが繰り返されている。
(ガードとか出来ないんだけど…!)(ち、畜生!ままよ!)


「おし、寝るぞ」

ガードォォォ!…って、え?」


両手をクロスして防御の体勢をとる。だが案外結果はあっさりしていて、平和的だった。 つまり、政宗がした事といえば、布団から出てしまったと一緒にの布団にもぐりこむ事だけだったのだ。 ついキョトンとしただったが、じきに何がどうなっているのかわかった様子で、自分を抱締めている政宗を見上げる。 そこで目が合った政宗は先程は全く違う、優しげな目をしていた。それとは裏腹に両腕の締め付けは強く、 逃げ出そうとしても、うまくいかない。


「大好きなMomに叱ってもらった後は、ゆっくり寝かしつけて貰うってのが、Theoryだろ?」

「俺は母ちゃんじゃねえ、父ちゃんだ

「父ちゃんならいいのか」

「良いに決まってるだろうが、父ちゃんと呼べ」

「Ha…それなら、Dad」

「どうした政宗」

「その、アレだ、…Thank you.」

You are welcome,My son…


暫く政宗が抱締めたままで居ると、は眠りについてしまった。
は男の誰と寝ようが構わなかったが、抱締められて眠るのは、まるで女の様なので (いや、女だけど)抵抗があった。しかし睡魔には勝てなかったらしい。それもそうだ。 酒も残っている上に半端な睡眠時間で起こされたのだから、ここまでまともに話せた事に感謝すべきだろう。 もしかしたら、酒の所為では激昂したのかもしれないが。


「酒に感謝ってとこ、だな」


大人しく眠るの顔を眺めがら、政宗はひとりごちる。


あの宴、ほんのり赤く染まった頬と藍染の着物。
あの月明りの下、狂気の赤と神聖の蒼に染まった姿。
武田の虎の赤と、奥州の竜の蒼。



赤と、蒼が混じっていくようだと思った。