出来るだけ足音を立てないように急いで、部屋の障子を開けると既に信玄も幸村も
佐助も席について食事を始めていた。以前聞いたことによると、他の家臣の人たちは
別々に食事を摂るというのに、こうして佐助と幸村と、信玄のみがこうやって揃って
朝食を摂るのは、のことを配慮してのことらしい。それだけで毎朝嬉しい気持ちになって
、はどんなに低血圧でも元気に挨拶をするのだ。
「今日も良い朝ですね!お館様!」
21 こんにちはアニマル
「おお、案外早かったのう。」
信玄は大らかに笑うと、一旦箸を置き、を手招いた。
信玄の隣はの指定席だ。それこそ最初は恥ずかしいやら、恐れ多いやら、
羨ましがる幸村の視線がチワワみたいだわであまり気乗りしなかったが、
最近はもう当然のコトになってきていた。
「朝餉は某が死守しておりましたぞ殿!」
「ああそう?でもお前、頬についてるよ米が」
長い尻尾を揺らして嬉々とする赤い犬の頬の米粒を拭ってその口に突っ込むと、
目をまん丸にした後、顔を真っ赤に染めた。そして居心地悪そうに視線をキョロキョロさせると、
信玄から『精進せいよ、幸村ァ!』と喝が飛ぶ。いつも変わらないなぁと乾いた笑いを溢して
佐助のほうを向くと、佐助の顔中に白い粒が漂着していた。ここまでくると
逆に恐ろしいというか、気持ちが悪いというか。
「猿飛さん、猿飛さん。顔中にご飯粒がついてるよ」
「え、うそ。気付かなかった。ちゃん取って〜」
「いっそのこと顔を洗ってきた方が良いよ、お前は」
「チェッ、旦那の時は取ったのに!指を口に突っ込んだのに!」
「物事には限度って物があると思うんだよなぁ、俺ァ」
「もご」
それでもひとつ取ってそのいじけた口にねじ込むと、とたんに猿の機嫌は良くなった。
ねじ込んだの手を素早く掴むと、両手で包む。はあまりの気色の悪さに
頬がニヤけるのを感じた。引き攣ると言うのが正しいかもしれない。だがプラス思考の
佐助はそれを笑みと捉えお膳越しにに抱きつく。いい加減行き過ぎた
スキンシップにも慣れてきていたは黙って抱擁を受けた。勿論、頬を引き攣らせたまま。
「あ〜もう俺様感激っ!ちゃんホント可愛いっ!」
「あーら有難う佐助君。アタシとってもうれしいわぁうふふ
ところでお前ソレかすがちゃんの前で言ってみろよ」
「や、それはちょっと…」
「それ見たことか!この浮気者!死ね!」
「破廉恥な浮気者でござる!…はっ!浮気者と言う時点で破廉恥でござった!」
「爪の間に手裏剣が刺され!もしくはタンスの角で小指打て!」
「今なんか禍々しい言葉が聞こえたんだけど!」
その後は一人だけ話に入れなくていじけた信玄が、
立ち上がって3人でぎゃあぎゃあしている輪の中に入っていって、猿と虎の子にはゲンコツを
一発ずつプレゼントした後、愛娘を抱っこして自分の席の隣まで連れて行く、いつものパターンで
幕を閉じた。今やは痙攣している男2人を見ながら朝食を取るのが普通になっていた。
人間の順応性って怖い。
「あ、これ美味しい」
「ほぉ、それか?ワシのをやろう」
「え、いいんですか?そんじゃコレ差し上げます
はいアーン、お館様!」
「はっは!言うようになったのう、」
(羨ましすぎるよ大将…!)
(み、みなぎるぁー!!)
アットホーム・武田信玄。
愛の殿堂師ザビーも羨む暖かい家庭の風景である。
ダン、と力強い踏み込みが澄んだ空気に溶けて、散った。
は頬を伝う汗を腕で拭うと、だらしなく垂れ下がった着物の袖を荒っぽく捲り上げて
腕の付け根の辺りでぎゅ、と巻く。それなりに広い躑躅ヶ崎の館には幾つかの鍛練場がある。
が居たのは普段あまり使われていない、母屋から離れたところのものだったので、
そこに人気は無かった。だからこそ羽を伸ばせるというものだ。
がもし、あの人の多い鍛練場で槍を手に取っていようものなら、幾人もの
武田家臣がに勝負を挑んできていたに違いない。
上杉との戦が終わった翌日の今日。どうやって上杉謙信の軍を引かせたのか、その真相を知っているのは
信玄、幸村、佐助、勘助、程度だ。確かに何も知らされなかったほかの兵達が勘違いしてもおかしくは無い。
『が上杉と勝負して勝利した』と。実を言うと朝食を終えて此処に向かう途中にも、何度か
手合わせの話を持ちかけられたが、ここぞとばかりにいじらしく目を伏せ
『争いごとなんて恐ろしいわ』と全ての誘いを断った。
「なーに、1人で修行してんのー?」
は落ち着いてきた肺で小さく呼吸しながら声のほうを向いた。
もちろん其処には両腕を頭の上で組んだ佐助が居た。手拭いで軽く顔を拭いてから小さく頷いてみると、
佐助は気風良く笑ってに竹筒に入った水を投げる。
栓を抜いて程よく冷えた水を喉に押し込むと、食堂を水が通っていくのを感じる。
佐助は何気なくから筒を取ると自分も一口飲み、悪戯っぽく笑った。
「へへ、これって間接だよね」
「ハッ、馬鹿言え」
お前と間接チューなんてしたなら俺の唇が自然消滅するわ!
と言いたいところだったがはとても疲れていたので、それ以上何も言わずその場に座り込んだ。
佐助もあわせて隣に座る。
鍛練の音の無くなった空間には自然の音が陣取った。途中、佐助が
近寄っての腰に手を廻してきたが、何か言うのも面倒で、は唯、大きく溜息をつく。
「今日は何も言わないんだな、ちゃん」
「疲れてんだよ馬鹿ヤロ。丁度良いお前膝枕してくれよ」
「え、それって普通逆じゃ…」
「逆?お前の頭の向きが?」
「怖ァァァ!何!何その狂気!」
とかいいつつも佐助はの言ったことにさして抵抗はせず、おとなしくの膝枕になった。
本音を言うと少し恥ずかしかった(あと正座がそんなに得意じゃない)佐助だが、
が本当に疲れているようだったから何も言わなかったのだ。
は佐助という枕を手に入れた瞬間に目を閉じた。
だからといってのび太の如く三秒で眠れるわけではないのだが、
適度な運動を課せられた体は休息の体勢に入っていた。
体が重い。瞼も重い。ついで言うと空気も重い。
(良く考えたらこの体勢って戦場で殉職する人を抱えた時のポーズに良く似てんだ)
(え?俺死ぬの?死んじゃう?)
は佐助の視線を感じて目を開けた。
佐助はこちらを半ば呆れた表情で見つめていて、は不機嫌になんだよ、と問いかける。
その問いかけに、佐助はわざとらしく半眼で答えた。
「こーんな昼間っからオネムの時間?」
「やー、オヒルネの時間。佐助、お前も眠って良いよ」
「いや無理じゃない?この体勢じゃ眠れなくない?」
「いやいやお前ならできる。だって忍だもの、ワン!ワン!」
「ちゃん忍を犬か何かと勘違いしてるだろ。何よワンて」
事あるごとに、佐助は
大体忍って言うのは家事洗濯をする存在ではなくて、敵地を
偵察したりする存在であって、団子を買って来いだの言われてもそんな……そんな仕事できるはず無いじゃん旦那!
犬に骨拾って来いって言うのとはワケが違うんだよォォォ!だからちゃんもふと思いついて骨拾って来いとか
言わないでね!俺様、自分自身の存在意義がわからなくなっちゃうから!
半蔵みたいに何も言わない子になっちゃうから!
…と思うのだが、体に染み付いたオカンの習性には如何せん逆らえないものである。
「ちゃん、あのね忍って言うのは……あれ、ちゃん?」
佐助が悶々と考えているうちには夢の国に旅立ってしまったようだ。
ぴったり閉じた瞼と規則正しい呼吸とを確認すると佐助は小さく笑んで、
汗で張り付いてしまったの前髪を掬った。
純日本を漂わせる黒い髪は、初めて出会った時よりも幾分か伸びて
もとから女らしい(男なのに…いや、まぁ、女の子だけど)顔立ちを尚更女らしく見せていた。
たまに見せる凛とした表情や、気風の良い性格。
可愛いとか、綺麗とか、思わないでもない。
好きか嫌いかと言われると、勿論。
「仕方ないは、詮無い……」
つまり取り止めが無いこと。
佐助は目を細めると、そっとの頬に触れた。
絹肌を滑らかにすべる自分の指がその頬にある真っ赤な唇に当って止った。
が眠っているのを良いことに、指を唇に沿わせ、緩く開いた口に入れ込む。
指が歯に当ってから、なぞる様に動かすと、無意識に眉をゆがめるが酷く官能的だ。
佐助にとっては最高に予想外の反応で、思わず硬直してしまった。
「ぅ、ン」
「(滅茶苦茶色っぽい…)」
のこの反応を見てしまっては、佐助もまともな判断は出来なくなっていた。
指を退けると、僅かにちゅ、と聞こえたのも尚更彼を扇った。
反応的に抵抗しようとしているの腕を掴むとその顔に近づき―――
「ちゃんが悪いんだぜ……俺様を誘うから、」
「コッココケッココクェー、ココゥコケー♪」
「…何、今の」
「コケェー」(フン!)
佐助が顔を上げると、開け放たれた鍛練場の廊下に立っていたのは一匹の鶏だった。だが
その風体は威風堂々としていて全くそこらの鶏のそれではない。まるで有名なライオンキングだ。
無表情の佐助と(当然だが)無表情の鶏。二匹のオスはほんの少しにらみ合った後、猿の方は
また膝元の眠り姫に近づく。それに気付いたライオンk…鶏は胸筋の限りを尽くした飛翔を
繰り出し、そのケダモノの肩に舞い降りた。そして振りかぶって言うには、
「コケココーゥ!」
ざっしゅ!ざくざくざくざくざくざく!
「っ痛ァァァァ!」
ソレはさながら幸村の『烈火』の如き突きであった。
強襲を受けた佐助はをどうにかするなんて考えを何処かに捨て置いて、とりあえずは
頭蓋陥没を起こしかけた頭を抑えた。可哀想に、凄まじい流血だ。
そして更に可哀想なのはだ。折角安眠していたところを佐助が飛びのいた所為で
床に頭を打ち付けてしまった。
しかも結構弾んだ。2、3回バウンドした。
かわいそうなはゆっくり目を開ける。
打ち付けた頭を擦りながら寝ぼけ眼で辺りを見回したようだが、転げまわる佐助とそれに追撃を
加える鶏はどうも視界に入らなかったようだ。
「今誰か知らない人から後頭部打たれた夢見た…怖かった…
あれ、え?うわ、なんか本当に頭痛い。何コレ、なんで痛いのコレ
俺は佐助に膝枕してもらってて、そんで…あ」
やっと頭がハッキリし始めたは今度こそ乱闘している二匹のオスを発見した。
猿と鳥が戦っている。猿の方が大きいのに互角なのがとっても不思議だ。
「あれ、あの鶏は市場の……何やってんだ?」
「やめてェェェ!頭はヤメテェェ!一生懸命整えたのにィィ!」
「あ、なーんだ、じゃれてるだけかァ、あっはっは微笑ましい
それにしても佐助のヤツ、いつの間にあの鶏と仲良くなったんだろうなー?」
「ちゃん目が覚めたなら何とかしてこの鶏ィィ!
この、この鶏、ちゃんが買ったにわと、うわぁぁぁ!」
「んー?聞こえんなぁ、俺に膝枕をしてくれた佐助くん。
ところで俺なんか頭痛いんだけど、なんでか解るかー?」
「根に持ってる!後頭部のことを根に持ってるよこの子!」
「あー今日の天気は最高だなぁ、暴力日和で」
それから数分間、は佐助と鶏を傍観し続けた。
そして心身ともにボロボロになった佐助がギリギリで捻り出した『すいませんでした』の声で
は鶏に声をかけた。すると一瞬で闘争は止み、鶏がの方に戻ってくる。
佐助は半泣きで鼻をすすっている。
流石に可哀想に思えて、が佐助のほうに行こうとすると、
の着物の裾を引いたのはあの鶏だった。放っておけとでも言わんばかりの行動が可愛らしく
は鶏のほうに向き直る。
「ん?どうした?腹でも減ったか?」
その光景を見て佐助は半泣きから四分の三泣きになった。
あと四分の一残した状態で、忍びのクセに派手に足音を立てながら走りだす。
その台詞たるやまるで何処かの悪役の如し。
「チクショー、今度会ったら容赦しねーからな!」
「っおい佐助!何処行くんだ!」(ちょっとやりすぎたか…?)
「お色直し!このままだと格好悪いから!」
「とりあえず俺の心配を返せ!」
猿飛佐助敗走!(ダダン)
というテロップの流れる中で、は気を取り直して鶏に向き直る。
見上げるようにしてじっとを見つめる鶏の目はつぶらで、まっくろ。
赤い鶏冠も一種の帽子と蝶ネクタイのワンポイントのように見えて、コケティッシュだ。
がしゃがみ込むのと一緒に顔の角度もあわせるのが可愛い。
「お前ほんっと、人の言葉が解るみたいだよなぁ…」
『当然だろ、解ってンよ人間語ぐらい』
ん?あれ?あれれれ?
「なんか変だななんかコケコケ以外になんかへんな声がなんか聞こえてきたようななんかこれ」
『おいおいこん位ェで焦るなよサン。
市場で見せた気風はどこ行った?折角格好よかったのに』
俺は今までいろんな不条理と不可思議に出会ってきた。
行き成り変な世界に飛んだり、女になったり、変な能力ついたり。
ていうか、ゲームの世界行ったり、なんかしたり。
でもこんなの初めてだ。
「鳥がしゃ、しゃしゃしゃ、喋ったァァァァ?!」