『とても美味しかったです。この城の方々は幸せですね』

『いいえ、私が片しておきますから、お気に為さらずに』

『ふふふ、面白い方』


食事中の慣れない正座、慣れない諧謔交じりの会話。
他人への女らしい気配り、出過ぎない振る舞い。
歩き方、笑い方、お辞儀の仕方。

(つかれた…)

俺は気の長い方じゃあないんだが、ねぇ…?







17 潜入







「娘さんや、これで最期だ。こっちに酌を頼もう」

「いーやこっちだ。俺はまだ酌をしてもらってない」

「なんだとお前、」

「喧嘩は困りますよ。ちょっと待っていてください」

「無理強いは止さんか、曼珠は女官ではないぞ。…曼珠、曼珠」

「はい?なんですか家康様」

「こっちに来てワシに酌をしてくれ」

「殿だって同じようなもんでしょうー」

「そうだそうだー」


が食事を終えた頃には、同席に居た人間とはそれなりに打ち解けていた。 なぜならば『女らしい振る舞い』の一環としてが酌をしたりしたからだ。 話し相手もしたし、酔いどれの愚痴も聞いたし、つかみは順当である。 家康が面倒をかけてすまんと言ったのにも、どうってことありませんよ、と答えておいた。 (どうしよう、俺こういう仕事向いてるかもしんない)

しかし家康も少し立てば酔い始めた。 たった一人の娘に対して、ありえない人数比で開かれた夕餉は、 今やちょっとした酒池と成り果てた。全くのシラフは恐らく、パラパラ見える女官と、 それから庭先に居るホンダム(主電源は恐らくOFFだ)ぐらいだろう。 家康が自分に酒の入った器を渡しながニコニコと期待した笑みを向けるので、は 苦笑した。


「家康様、そろそろご就寝なされたらどうでしょうか」

「しかし曼珠の話を聞かねばならん…」

「その様子では相当酔っておられるようですが?」

「酔っておらん…ワシは酔っておらんぞ」


しかし瞼は眠た気に下がり、すこし放っておけばコクコクと舟を漕がんばかりだ。

(寝る前の幸村みたいだ…)

躑躅ヶ崎に来てからこれまでに、幸村や佐助と共に寝る(そのままの意味で)機会が多々あった。 幸村は最期まで『破廉恥』という言葉を口の中一杯に留めて、最大限の抵抗を試みるのだが、 睡魔に負けてしまうと目の前の家康のような態度を取ることがある。 最期まで、一緒に寝るなど破廉恥でござるそんな事某には出来ぬー…と呪文のように呟きながら布団に 没していくのが楽しみで眠さも忘れて観察していたぐらいだ。

隣に居た家臣らしき男に家康を寝室に連れて行くように願い立てると、快く引き受けてもらえた。 この様子だと、家康は直ぐに寝入ってしまうだろう。だったら自分は部屋に戻って就寝し、 そのまま明日を待てばいい。それが一番良いシナリオだ。

―――しかし


「…あ。」

「おやおや、殿?」


連れて行かれている家康の手がの着物の裾を掴んだまま、微動だにしないのだ。 驚いた表情の家臣Aを視界の端にその手を外しにかかるが、思いのほか掴む力が強い。 流石は戦国大名というか、幼子というか。困りはてて顎に手をやったを見て、 家臣Aは何かを思いついたようだ


「此の際、娘さんも一緒に寝ては?」


私ったらなんと良い案を思いついたのだろう、と自信満々の家臣Aに対し、の 表情といったら燃え尽きた明日のジョーのようになっていた。(いや、 どちらかというと『昨日の』ジョーである) そんな壮絶な事になっているを捨て置いたまま、 武士というのはこう…他人に対する配慮が無いのか、独りでに話を進めていく。


「一緒に、というのは?」

「そのままの意味で、殿の寝所でお供をということだが?」

「……」

「あぁ、勿論夜伽という意味ではないよ、安心しなさい娘さん」


どこら辺で安心しろとおっしゃるのかしらねー!

さぁ、もう1つ布団を用意しなくてはな。家臣Aがそう女官に言いつけると、 周りの酔っ払い達が、1つだけで良いんじゃないかい?と茶々を入れる。 はついそのを力任せに引きちぎって、 で出来た人形に括りつけてカンカン打ってやりたい衝動に駆られながらも、 笑顔で対応した。すべては仕事。仕事のためである。仕方ないだろ、仕事なんだからよう。 (我もまた、任務という盤上で踊らされるの1つよ、ふ、ふふ……)(……)


「ああみえて殿は手の早い方だからなぁ」


ポツリと聞こえた声の所為で引きつりそうになった頬を、力いっぱい抑えた。



















どうしてこんな事になっちまったんだろうと、今更になって思うんだぜ、俺ァ。
こんなに後悔したのはホラ、あン時だ、あン時。威鞘の罠に嵌ったとき以来だよ。

少し前、俺は湯浴みを済ませた後で一度部屋に戻って差し出された夜着を着ようとした。
しかしある問題に気付く。 そう、俺はこの着物の下にもう1つ服を(律儀にも風呂に入った後にまた)着たからだ。 恐らくは佐助が作ったであろう、あのおぞましい服を着ていたからだ。あんまり薄いから忘れてたぜ。 もう忘れたついでに消滅しててくれれば良かったのに……まぁ、そんなことを思っても詮無い。

幸運にも白い夜着に下の色が透けることは無かった。 だから俺は上の着物は用意してあったの中に入れ、 下の服を着たまま、上に夜着を羽織ったわけだが、少しも服を乱れさせるわけにはいかない。 横になる手前、下地が直ぐに見えてしまうからだ。この戦乱の世で着物の下に婆シャツを着て眠る 娘が大勢居るというのならば気にすることも無いだろうが、まさか、そんなワケが無い。 つまりバレたらお仕舞いってことだ。


「曼珠…」

「ここに、家康様」


うわ言のように俺の偽名を呼んだ家康公に返事をした。 もう随分と酔っているはずなのに、眠らない。寝つきの悪い御仁なんだろうか、それとも 眠れない病気か何かなんだろうか。とにかく、布団に入ってからもう30分ぐらい経つのに 家康公はほろ酔い気分のままで現世にフヨフヨしている。


「ワシに何か、話をしてくれんか」

「浮世の話ですか?それとも伝記?」

「…なんでも構わん。何か、曼珠が話してくれさえすれば良い」


眠りかけたヤツが言うことなんて、概して重要ではないモンだ。 家康公も子守唄みたいにして俺の話を聞こうとしているんだろう。 いや、自ら俺の話を聞くと言ったから、責任も持ち合わせているんだろうか。 まさか。眠る前にそこまで考えられたら凄いもんだ。ていうか此処まで深く勘繰る俺も俺だな、 少しぐらいは家康公に対する警戒心を解いたって構わねぇような、気がする。
(すげぇな、徳川マジックだ。)

さて、何を話そうか。普通に解るだろうが、俺は諸国を旅して廻ってなんて無いし、 各所の話に精通してるわけでもない。俺が知ってる童話といえば竹取物語、源氏物語、浦島太郎 …いや、日本の昔話は駄目だな。知ってるだろ。 なら外国の童話か。美女と野獣ー…は駄目だな、野獣の説明が面倒い。 シンデレラはもう全体的に面倒だ、何だよガラスの靴って。 何に例えればいいんだ?素焼きの草鞋


「では…人魚姫、という話をいたしましょう」


人魚なら知ってるだろ、日本人だって。

人魚♀が人間になりたくて、お日様ァ〜キラキラァ〜花はい〜い〜香〜り〜(あの歌) な男に恋をした。んでなんか変な契約で人間になって、男を殺さないと自分が死ぬってンで殺そうとして、 出来なくて、泡になって海に還ったって話だよな?

話が終わるか終わらないかの所で寝息が聞こえた。隣を見てみると、さっきまで辛うじて起きていた家康公 が、すやすや眠っている。俺は呆気に取られてその顔を覗き込んだ。熟睡していらっしゃる。 童顔が熟睡していらっしゃる。寝てるだけなら天使。そんな言葉が浮かんだ。


「ふぁ…」


赤ん坊の寝顔を見ているとよく眠くなることがある。
これもきっとそういう根源からきた睡魔だろうが、俺は何の抵抗もなくその睡魔に飲み込まれた。 今日は疲れた。馬で走って、河原で暴力を働いて、山道で暴力を働いて、忠勝にゃんに出会って、 『森の忠勝』で、家康公で、酔っ払いで、牛の刻参りで……人魚姫。

あぁ、もういいだろ野郎ども。俺ァ眠ってやるぜ。
(佐助は木の上とかで眠ってたら良いなぁ…惨めに。)



















朝起きた時、そこに家康はもう居なかった。

はもっそりと起き上がると一番最初に自分の服を見た。 伽とかそういう理由じゃなくて、下が見えていないかどうかのためだ。 嬉しいことに服の合わせ目はぴっちりと揃っていた。

(大丈夫…よし)

家康の部屋から人の目に付かないようにして出て行く。事情を知らない 誰かがこれを見でもしたのなら、きっと一波乱起きるに違いない。 辛うじて誰にも見られることなく家康の部屋を出て、たどたどしい記憶の中、 自分に与えられた部屋へと戻る。それはまるで、初めて来た国で1人の人間を見つけるくらいに 難しいことだろうと思った。


「おお曼珠、起きたか!」

「い、家康様。おはようございます」

「すまん。昨日は迷惑を掛けた、実を言うとワシはそう酒に強くなくてな!」

「実を言われませんでも、そういう雰囲気ですよ家康様は」

「ははは!言ってくれる」


そんな途中、曲がり角を曲がった先で出会ったのは城主、家康だった。
両者は未だ昨夜の夜着のままで居た。なのでそう派手に騒ぐことも出来ず、ささやかな会話だけを交わして また部屋に向かおうとしたとき、擦れ違いざまに掛けられた声にの足は止った。





「おめーが人魚のように泡になって消えるぐらいなら、 ずっとワシを殺そうとしていても構わねぇ。
曼珠が此処に残っていてくれるなら、ワシは…」





何を言われたか理解して振り向いた時、既にそこに家康の姿は無かった。

そのあとまた気を取り直して部屋にたどり着いたのだが、の脳内には 到着した歓びなどは存在しなかった。あるのは言い表しようの無い焦りと疑問。 一体何に気付いたのだろうか。何にも気付いていないのかもしれない。 しかし三河の狸はもっと頭が切れるだろう。きっと、何かに気付いているに違いない。 その後直ぐに天井から下がってきた佐助に、は洗いざらいを話すことにした。


「つまり、なにか勘繰られてるって事?」

「…だと思う、暗殺しにきたって思われてるみたい」

「はぁ〜…あながち、間違いでもないって言うか、ねぇ?
殿の心を盗みに来たんでしょちゃん」

「何処の石川五右衛門だバッキャロー」

「そのついでに俺様の心も奪ってくれたら嬉しいな(てれ)
さっき聞いた話だと、家康公はちゃんを城から出す気は無いみたいだぜ」

「はァ?そんなこと話してたのか?何のために?」

「さぁねー?俺様にもよく解んねぇな。
でも確実なのは、この城から力ずくで脱出しないといけなくなったってことだ」

「成る程…で、お前はどうしてウキウキして俺の着物を詰めてる?
つかその袋俺のだろう。どこにやってたんだ殺すぞ

ひどくおっかない!
いやね、調べられたら困るでしょ。だから俺様が持ってたの。
それにホラ、無くなったら困るじゃない、折角お揃いなんだし…
下に着てるんでしょ?俺様の作った忍服、似合ってると思うよ〜」

「やっぱりお前だったのか!この変態!ド変態猿!」





「曼珠、曼珠は居らんかー?」





「シッ!ちゃん、行くよ」

「佐、おぁっ」


聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、佐助はの着物を入れた袋を肩にかけると夜着のままのを抱き上げ、 一回庭に出て、そのあと凄まじい跳躍力でもって木の上へと飛び乗る。 驚きながらも息を殺していると案の定家康がの部屋を訪ねに来たところだった。


「曼珠ー?居らんのか。さーて何処に行ったろうか…」


まさか彼は『曼珠』という娘が今城から出て行くところだなんて想像すらしないだろう。 『曼珠』を探して、探しに探して、そしていなくなった事に気付くのだろう。

さも普通に自分を探しに行く家康の後姿を見ながら、は少し胸が痛んで、掴んだ佐助の忍服ごと 拳を握った。佐助はその深い皺を見て、の頭を撫でる。


ちゃんは忍には向いてないね」

「…俺もそう思う」


佐助は、仕方ないな、とでも言わんばかりに一息つくと、 すっかりテンションの下がったを抱えたまま、木から塀を越えた先の森に飛び降りた。 そしてなるべく遠くへ行こうと走り出す。しかしはその間も城をずっと見たままだった。


「なーに、名残惜しい?もう少しあそこに居たかった?」

「いや、信濃には帰りたい。でもあの城に居た『曼珠』はもう1人の俺として
あの狸の頭ン中に根を張っちまった。それが何か引き起こしそうで、不安だ」

「『曼珠』ねぇ……良い子だったと思うよ、 あの子のお陰で情報収集も比較的簡単に出来たしね。
でもちゃんが偽名を使うのも今回が最期だ、お疲れ様」

「おう、佐助もお疲れ様」


佐助が枝から枝を飛び移っていたお陰で、浜松城はもう小さくなっている。 佐助の何気ない労いに少し嬉しい気持ちになりながら、 あの城で過ごした十数時間の自分の奇行が思い出されるようで知らないうちに笑っていた。


「Bye.狸さん」



□□□□□□□□□□



「で、ちゃん。急なんだけど」

「はーいなんですかー。どうでもいいけど揉むな。解ってんだからなお前」

「えへへーバレてた?」

「……」


城が見えなくなって随分経ってからも佐助はを抱えたままで奔走していた。 は再三に渡って降ろすよう言ったが、佐助にを降ろす気は毛頭ない。 (ていうかちゃんの抱き心地が…!嗚呼!)(キモチ悪ィんだよ!離せ佐助!) 諦めたは体を任せたままいい加減に返事をした。しかし佐助はの体に力が 再入力されるような事をさらりと言ってのけた。


「実はもう大将達、戦始めちゃってるんだ」

「…は?」


が驚いて佐助の胸元を掴んで起き上がったものだから、 枝から落ちそうになった佐助は一度進む足を止めた。 覗き込んだ腕の中のは、脱力したような、力んだような、微妙な表情のままでそこに居る。 ついキスしようとした佐助の顎に頭突きするとは腕から抜けだす。 しかし此処は高い枝の上、よろめきそうになったのを佐助に支えられた。


「何処と?何処と始めちゃったんだ?」

「上杉と。本当に戦好きな人だよ、あの人は」

「どのくらい先で戦ってる?」

「…そうだね、あとほんの少し走った先、ぐらいかな
もう少し上に上れば見えると思うよ、戦場」


だったら今すぐにでも参戦できる。そうか…と呟きつつも、進行方向を見ただが、 次の瞬間また佐助に抱きかかえられた。離せと言う間も与えられず、すぐ直後に、落下するあの妙な感じが を襲う。落下する感じに慣れきれず、佐助の胸倉を鷲掴みにするこれみよがしに抱締めながら、佐助は手ごろな木の根元にを下ろした。


「た、頼むから何か言ってから降りてくれよ…って、お前は何をしてるんだ

「え?脱衣の手伝い?」

「今すぐその手を離せド変態」


真っ白な夜着が、がば、という効果音付きで二の腕の辺りまで下げられていたのを発見したは、 不思議と冷静なキモチになって(もはや怒りを超えたようだ)高速アッパーをその顎にお見舞いした。 よろけた佐助だったが素敵な据え膳を前に諦めたりはしな い。100のダメージを受けた顎をさすりながらにっこり笑んだ。


「さ、早く忍服になって戦場に行かないとね!ちゃん!」

「戦場にゃあ行くけど、脱ぎゃしねーよ!ちょ馬鹿!離せって!」

「痛いの痛いの飛んでけ〜!……ね?

「何が『ね?』だ!何を期待した?!」


が脱兎の如き素早さで佐助の胸元から逃げ出すのと、佐助がそれを まるで恋人同士の追いかけっこの様にして追いかけるまでにそう時間は掛からなかった。 かたや貞操の危機、かたや念願の追いかけっこである。もちろん 顔の必死さではの方が何段も上だ。

追いかけっこ中の会話は白熱を極める。


「俺裸足だぞ!?おま、佐助!大人気ない!大人気ないよ!」

「ちょっと位子供に戻ったっていいでしょ?
大体ね、いつも俺様はちゃんの事思いながら独りで寂しく、

「ばっ…それ以上言うな!言ったら一生軽蔑してやる!」

「でもちゃん、旦那なんて一体ナニ思ってるか解ったもんじゃないよ?」

「行動に移しさえしなけりゃ良いんだよ。幸村の方がまだマシだ!ナニって何だ!」

「じゃ俺様もちゃんには何もしないからちゃんを思い浮かべて、」

「うぉいそこ黙れー!とにかく黙ってくれ!17話を表に置けなくなる!」


佐助の猥談に殺されそうになりながらは走った。とにかく走った。裸足だけど走った。体育会でトラックをかけたのを思い出した。 本当に戦場のほうに近づいているのかは解らなかったが、副音声として聞こえてくる 騒音が次第に大きくなっていくので、しだいに確信も出てくる。 森が空けるあたり、アレは野原だろうか、荒野だろうか。人の姿も確認出来てきて、 達成感と共に自分にだけ見えているゴールテープを切った。


「そこに居られるは殿ではござらぬか!」

「そうだよ殿だよそれがどうし………へ?」

「あらら、旦那じゃないの」


必死のエスケープはを戦場へを導いてくれたようだ。
(あと俺の貞操を守ってくれた、みたいだ)