がこの城、もといこの世界に来て早くも2ヶ月が経とうとしていた。
随分と時間がたった気がする。
この2ヶ月の間に、あのニワトリは子を持ったほどだ。
蘭丸とドッキリバイオレンスウエスタンラリアット事件の後、はどれだけ言っても1人で城下に
行かせてもらえなくなっていた。(どうしてもというときは終止手を繋いだままだった)
それで毎日、隙在らば逃亡を企てるの為に、見張り番がつくられ、与えられた部屋の戸を開ければ
直ぐそこに誰かが居る。
最初の一週間は嫌で仕方がなかったが、その『誰か』が来るのが楽しみになってきていた。
城下に行く用事もない今、誰か構ってくれる人間がいることが有難いのだ。
12 勘助と一緒
部屋の中で信玄に貰った本(といってもまともに読めはしない)を見てごろごろしていた
は近づいてくる足音に耳を欹てて、本から障子のほうに目線を移した。
部屋の前で止った人間の影かたちを見て、ぼそりとその名を呼ぶ。
「勘助」
「足音でわかるようになったか」
「おう。わかるようになっちまったよ」
障子越しに言葉を交わすとは寝転がったまま障子を開けて、頭上に目線を向けた。
そこにいたのは片目を眼帯で隠した、比較的色黒の青年だ。
に話しかけられたその青年はのあまりにだらしない
体たらくを見て、悩ましげに溜息をつきつつ余った方の目をも手で覆った。
「?どうした、目でも痛むのか?」
「…ああ、お前の行儀の悪さに痛む。」
「だってお前友達じゃん。気は使わねぇもんだろ、友達には」
「それとこれとはべつだ、いいか、そこになおれ」
「えーなんで俺が!」
「 な お れ 」
「…うぃーっす」
不可抗的な圧力に押されてはその前にちょこんとすわりこんで、頬を膨らませた。
女子はその様に地べたに寝転がって書を読まん、お前には節操というものがないのか。
佐助を凌駕するオカン(どちらかというと教育ママ)の片鱗を垣間見させるこの青年の名は
山本勘助。かの啄木鳥戦法にて上杉と戦を交えた武田の軍略家である。
実はこの青年が最近、のお目付けをしている人間であった。
当初はまだ若いのに老成しきった勘助の雰囲気に馴染めずにギクシャクしていたが、
話してみると印象は変わるものだ。思ったことははっきり言うが、棘がない。
しかも言うこと言うことが正しいことばかりなのでは言い合いでこの軍師に勝てた試しがなかった。
「そういや、佐助たちに朝会わなかったな…」
「昨日俺と居た時に真田殿達は馬を買いに行くと言っていただろうが。
忘れたのか?」
「いや、そりゃそうだけど。結構朝早く出てったのか?朝餉の時も居なかったし」
「当然だ、甲斐を抜けた所まで行くと聞いている。お館様も同行なさるともな。」
「お館様も?そりゃ大変だな」
「そうか」
「うん」
口数が少なく、律儀な勘助は最初こそに『殿』をつけたり、敬語で話していたりしたものの、と
仲が良くなるに連れて普通に話すようになっていった。それはがそうするよう言ったのも在ったが
勘助がの行動をたしなめる機会が異様に多かった所為でも在るだろう。
今や柚木に次ぐのお世話係兼躾係がこの勘助なのだ。
「なー勘助」
「なんだ」
「皆は忙しそうなのに、どうして俺は暇なんだ?」
「……」
「勘ちゃーん」
「知らん。なにも知らん」
今日の一回を含めて既に日常事となった質問を問いかけると、勘助は少し
伏せ目がちになったあと、沈黙した。かれこれ十数回この応答を繰り返している。
最近は柚木にも会っていない。それは彼女含む女官達がここ数週間とても忙しそうにしているからだ。
佐助たちも一週間前からよく鍛練に出かけて行ったし、信玄の顔を見るのは朝餉の時ぐらいだ。
一昨日は、外でがしゃがしゃ音がするので外を見てみると、具足をつけた武田の人が歩いているところに
遭遇した。(ちょっと世間話に付き合ってもらった)
ここまでくれば何が起こるかぐらい、優に判断できるというもので。
「いいよ、判ってる。戦だろ?」
はポーカーフェイスな勘助の瞳孔が少し狭まったのを目ざとく見つけた。
そのあとに顔を逸らすのを悠々と眺めるの態度も相まって、
勘助は観念しましたとでも言わんばかりに溜息をついた。
恐らくはこの溜息のうちに、簡単に表情を崩してしまった自分への戒めも含んでいるのだろう。
決心した勘助は、障子を丁寧に閉めてに向き直った。
「何時から気付いていた」
「何時からって…そうだなぁ、城が騒がしくなったあたりから?」
「随分前だな。一月も前か」
「だってほら、なんか皆が秘密にしてただろ?必死だったし、言うのは悪ィかなって」
「お前が能天気なことを此処まで喜んだのは初めてだ」
「能天気…失礼な讃岐のみやつこだな」
「俺は竹取物語には登場していない。それに今のは褒め言葉だ。そう怒るなよ」
「(てか知ってたのか竹取物語…)」
勘助はをなだめるように、語調を柔らかくした。
その様子が小さい頃よく遊んでいた近所の兄貴分のようで、は無条件に落ち着いた。
よく見れば表情も似ているような気がしないでもない。(あの兄ちゃんは此処まで冷静でもなかったけどな)
「勘助ってさぁ、俺が小さいときに良く遊んでた兄ちゃんに似てるんだよな」
「それは喜べばいいのか、それとも」
「照れてないで正直に喜べよ。ホラ、言ってみ?」
「うれしい」
「うむ。よろしい」
その空返事にはえらく満足したようで、勘助の頭を撫で回したが手をつねられて返り討ちにあった。
(本気でやりやがったよ!馬鹿!)しかも胡坐をかいていることも注意されて、
しぶしぶは座りなおしながら切り出した。正座をして、前に体重を掛けながら言う。
「んでー、そのお兄ちゃんみたいな勘助にお願いがあるんだけど」
「戦に行きたいというのなら駄目だ。何のために秘密事にしてきたと思っている」
「なんでだよ。いいじゃんかちょっとぐらい」
「そのちょっとぐらいでお前に死なれては困る。お前自分の体を見たことがあるか?
矢でも刺さったらそのまま真っ二つになってしまいそうだ」
「俺は練習用の的か何かか?」
勘助の任せられた役目はつまり、を監視する役目であって、戦に行くように仕向ける役ではない。
だからがいくら神に愛されていようが腕っ節が立とうが戦に行くことは同意できない事項なのだ。
不満そうな顔を見てなんとか願いを叶えてやりたい気にもなるが、如何せん、
内容が内容である。勘助は心を鬼にした。
「そんじゃ勘助、戦に行く人間はどんな人間だ」
「戦に行くのは武芸を嗜む者だ。勿論矢で千切れたりしない」
「そりゃ当然だ。例えば武田では?」
「武田では真田殿のような猛者を指す。
あの御仁は木が刺さっても千切れないだろう」
「勘助さんや、幸村が強いのは判ったからそのネタ引き摺るのやめようぜ」
「わかった。しかしお前は弓で千切れるぞ。それだけは注意しておけ」
「何それ予言!?……でも、俺がその幸村に勝てばいいんだな?」
「寝言は寝て言え。お前が真田殿に勝てるはずがないだろう」
「勝てたらどうするんだよ」
「どうもせん」
勝てる。勝てない。否定と反論を繰り返してにらみ合ったまま、冷戦が暫し続いた。
(と言っても勘助からしての睨み具合は可愛らしいものでしかなかったが。)
いつもなら正論を言えばは反論できなくなるのだが、今回はそうも行かない。
結局はこの単調な言い合いに収束してしまうのだ。
なんの結果も出てこない、円の囲いを走るような言い合いに飽いて
勘助が否定するのを止めた。同時にも反論するのをやめたようで、
正座を崩して大きく伸びをする。
「…でもな勘助」
今度は胡坐を掻いただったが、先ほどの子供の様な表情ではなくなっていた。
誰かを説き伏せるような圧力的な雰囲気でもなく、かといっていつでも話を反故に出来るような
雰囲気でもない。今まで感じたことのないようなその変化に、勘助は少し戸惑い、
返事もせずにの方を見ることしか出来なかった。
「戦に行く皆は必死こいてこの武田のために戦う。
俺は血ィ流して、歯ァ食いしばって戦場に立っているあいつ等を傍観するみたいに、
こんな城の中で待って居たくない。
…そりゃあ、戦に興味がある気持ちがないとは言わないけどな。」
そういってから少し恥ずかしそうに笑ったにも目を引かれるものがあったが、
勘助が一番驚いたのはの言った内容だった。今まで注意しかしてこなかった妹の様な娘が、
今日初めて一端の論者のような…いやそれ以上、軍を率いる将の様なことを言ったのだ。
(言い負かされた…)
今なら城主が『唯の器量良しではないのう』と
自分の娘を自慢するように言っていたのに同意できる。(器量良しと言っている時点で
溺愛しているのが目に見える)実際今体感してわかったが、は唯の娘には醸し出せぬような
雰囲気を持っている。
「勘助?黙ったままでどうしたよ」
「、早く立て」
「は?」
下を向いて黙っていたと思うと、立ち上がった勘助を、は素っ頓狂な声を上げながら見上げた。
いつも無表情な勘助は今回もまた無表情のままだったが、にむける視線が何処となく優しげに
思える。障子を開けると部屋の中に篭った空気と入れ替わって、涼しい空気が入ってきた。
「鍛練場に行く。そこでお前の力を見せてみろ」
「え!マジで?やった勘助大好きー!」
「……うるさい」
□□□□□□□□□□
「頼もぅおー!」
意気込んで思い切り戸をあけたを迎えたのは最高に驚いた武田の兵士諸君だった。
暢気におじゃましまーすとか言いながらずかずかと入る後ろで勘助がまた片目を抑えて息を吐いている。
(もう板についてしまったようだ)
「殿はどうかなさったのか、山本殿」
「戦ってやってくだされ。」
「今、戦えと申されたか」
「うむ」
「お館様の娘御と?」
「うむ」
信じられない面持ちでと勘助を交互に見る兵士Aは、何度も似たような質問をした挙句に
やっとそれを信じたようで、はぁ、と曖昧な返事をした。
その遣り取りを聞いていた周りの者達(BC DE...)もそれで納得したようだ。
お館様の愛娘と戦うだなんてそんなこと、アタイ出来ないよ…!的な心の中の葛藤
もあったが、まぁ仕方がないかなと思った。だって勘助殿が言うんだものな。
そうだよあの勘助殿が言うんだからきっとなにかあるんだよ。腹減ったな。
――凄まじく短絡的な兵士(ABC DE...)である。
「てことで宜しくお願いしますでござる!」
「此方こそお手柔らかに願い申す。殿は何を使われるのでござるか?」
「んーとな……勘助、一体なにごとでござるかー?」
「お前は戦で何を使うかと聞かれているんだ。あと『ござる』は要らん。」
「我等は構いませぬぞ殿。普通に話してくだされ」
「そか?ではお言葉に甘えて!よろしく!」
兵士 (ABC DE...) は 癒された!
引率されて武器庫に武器を選びに行くを見送ってその姿が見えなくなると、
残された兵士達は感嘆の溜息をつきながら話し出した。
「武田にも生きの良い花が咲いたものだ」
「それでもまだ言葉使いはどこか男らしいがなぁ」
「それも武田の女神の良いところさ。」
「あれを褒めてもなにも変わりませぬぞ」
「これは勘助殿。義妹君の心配でござろうか」
「冗談を申さずに手伝ってくだされ」
「…手伝う?」
それは一体…と訝しげな声が聞こえたと思えば、それをかき消すように『んじゃこれにする!』と
声が聞こえ、武器庫から戻ってきたは手に長い棒…つまり槍の練習用の物を持っていた。
初心者が槍を使いたいと言うのはあまり聞いたことはなかった(皆剣がいいと言うものだ)
ので、勘助をはじめ、周りの人間はがうきうきしながら槍を持ってくるのを
微妙な顔で見つめていた。しかしはあくまでそんな表情らには無頓着である。
着ていた女物の服をなんとか皆の手を借りて、まとめて紐で縛った。
その際に勘助は兵士達がの服の手伝いをするのを断固として認めなかったので、
皆から『兄上は大変ですなぁ』とからかわれていた。
勘助は準備も終わって今か今かと目を輝かせるの前に立つ。
「、お前にはここに居る30人で稽古をつける。それが一番手っ取り早い」
以外の周囲がどよめき、先ほど手伝うよう言われた兵士は自分の手に持っている得物を
戸惑いがちにちら、と見た。しかし勘助の様子は変わらない。も意味が分かってないのか、
それとも自分にすこぶる自信があるのか、ん?と一度周囲のざわめきように疑問を持っただけだった。
さんじゅうにん。それはあの若虎の鍛練の倍に当る数とも知らず。
≪山本勘助について≫
オリジナルキャラ(なのか?)二人目として出演した山本勘助殿ですが、
実際、彼についての文献は『甲陽軍艦』とかいう文献にしか残されていません。
その中の山本勘助人物像は身の丈は低く、色黒で容貌怪偉。左目は失明していて、右足は不自由、
手の指も満足でなかったと記されています。しかし資料が余にも少なくて、実在を危ぶむ向きもあるそうです。