祭り事があるというわけでもないのに活気付いた声が響き渡る。
朗らかな表情の老父が畑の収穫を広げ、前掛けの似合う母と子が
あちらこちらと行ったり来たり。繋がれた鶏が交響曲を奏でる。
ケー、コケコッコー、コケコッコッコッ、
「お、ニワトリ。クックドゥードゥルドゥー、コッケーココー」
コッココケ、コケッココ、コココケー……コグェーッ!
「コラー!ニワトリが死ぬじゃろうがー!」
「いい…!」
10 鶏と市場と…迷子
「城下町?」
風呂から上がり遅い朝餉を頂いたは、膳の片付けの最中
箸を持ったまま、聞き覚えのあるようで、あまり知らないその単語を口にした。
「此処に住まうとなっては色々と必要だろう、女官達に貰うと言っておったが
娘の様なにそのような事はさせられんでなぁ」
「む、娘ですか」
「いやな、昔から男勝りな娘がほしいと思うておってのう」
顎に手を沿え、夢見るように言う信玄につっこむ気力も失せては
『はぁ』と力の抜けた返事をした。そんなの態度さえもが信玄には可愛らしく見えるのだろう。
サンタクロースの様な含み笑いを顔に貼り付けたままで信玄は、赤茶の巾着を手渡した。
チャリリと揺らしたりして中身を当てようとしているがまた微笑ましい。
「色々と要り様だろう、これで何でも好きな物を買っって来ると良い」
「重ッ!こんなにいいんですか?全部使っちゃいますよ、俺」
「良い良い。それはにやったもの、好きにせい」
「イエッサー!お土産買ってきまーす!」
「おお、おお、そんなに嬉しかったかよ」
「(殿、なんと羨ましい…!)」
ゲームの次はお金、最期に命。
お金に目がないの機嫌はすぐにマックスハートそしてデッドヒート。
失礼とかそういう概念は
軽く通り越して信玄に抱きついた。咄嗟の行動に驚いた信玄も、暫く経てばの背を撫でた。
我慢の余り、某も!と鼻血噴出、眼球充血で飛び掛ろうとする幸村の膝を佐助がきゅうと
抓った。
「じゃあ佐助、幸村、一緒に行こう?いいですよねお館様」
「無論、城下には良からぬ輩も居る、可愛い1人では行かせられんわ」
「はーいはい、っと。そんじゃいろんな楽しみ教えてあげないとね〜
ちゃんは赤の簪が似合いそうだよな!そんで着物はこんなふうに…」
「お?女の服ってこんなに肌蹴させていいのか?風邪ひかないのか?」
「ならぬぅーっ!そ、それは女郎の着付けではないか!そんなに胸を肌蹴させて破廉恥な!
佐助、殿に妙な知恵を吹きこんではならぬぞ!」
「えー、いいじゃん旦那だってちょっとは期待したクセにー」
「ばっばばばばっぶぁ、馬鹿を申すな!」
「(絶対期待してたよコイツ)」
「幸村、佐助よ」
バナナはおやつに入りますか、それとも武器ですかということで、
もう既に城下に行ってきますモード全開の三人組だったが、
出かける準備をしようとしたところで信玄の声が掛かった。
しかもそれが先刻よりは重みのある声だったものだから、幸村と佐助は
もう一度御前まで戻って身を低くする。
その真剣さにも息を呑む。城下に行くのに合わせて任務でもあるのだろうか。
(だったら
コードネームでもきめようか、佐助はティッシュペーパーで幸村がコンパスで俺が
…)
「よいか佐助、幸村。に付く妙な虫はなんであれ切り捨てるのだ。
お前たちが両端に居ればよもや誰も寄り付かぬだろうが
もしもの時は裏路地に引っ張り込んで犯罪に走れ」
「「御意!」」
「……」
それは武士(隠密忍者)として正しい行動なのかはさておき元気一杯に返事をした二人に信玄は
満面の笑みになったが、後ろのほうのが『あーもうこいつ等救い様無いな』という表情をしていた
ことには三人誰とも気付くことは無かった。
□□□□□□□□□□
「ってことでやってきました念願の城下町ぃー!
此方中継先のですが今の気持ちをどうぞ佐助さん!」
「えーとねー、ちゃんが美味しそうでーっす!
此処を真っ直ぐ行って左に曲がったところの宿に一緒に、」
「はいわかりました、とりあえずは死んでくださーい」(大根装備中)
「大根で何が出来…ッ!ぐはッ!」
「大根でやることさ…なんでもありだよ」
「……随分と上機嫌であるなぁ、殿は」
「一度行ってみたかったんだ!城下町だぜ?あの城下町!」
「コッケーコッコ」
は思い切り息を吸って吐くと、
値切りに値切って原価の10分の1で買った大根を小脇にかかえ、
先程運命的な出会をしたニワトリの綱を苦しくないように巻きなおしながら上機嫌に笑った。
生活に必要であろう最低限のモノはもう買い揃えて、自由になった今、
話すのも惜しいようにキョロキョロするその様子からは、本当に楽しんでいることが窺える。
「まさかちゃんがあんな服で来るとはねー」
「うむ、良く柚木殿が許したことだ。
てっきりこの前の様な煌びやかな物かと思っておった」
「幸村ー佐助ー!これ!これ買って帰ろうぜー!」
「全く、喜んじゃって可愛いねぇ」
が上機嫌なわけはもう一つ在った。
出かける準備の途中。駄目元で柚木に『着流しで出かけたい』と言った所、
どういうわけか許可が下りたということだ。
しかも柚木集団もけっこう乗り気で、また前回のように沢山、色とりどりの布地を引っ張り出してきて
とっかえひっかえ。
結局決まったのは、群青に少し白がかった様な柔らかい色の着流し。
は胸元をコレでもかと言うほどにガバリと
広げてはいるが、その下にはサラシと称した包帯を何重にも巻いている。
本来はそのまま肌を晒すつもりだったのだが、流石にそれを許すほど柚木達も無神経ではなかったのだ。
「よっしゃー!今日はナンパして女の子つれて帰っぞー!」
「俺様もー!」
「破廉恥であるぞ!」
「負けじゃ負けじゃ!どれがいいんだい坊主や?」
「そんじゃあこれと、これと、これと、これと……」
結構な時間、粘りに粘って値下げ交渉をしたと店主は微笑みあった。
現代ならば下世話とか時間の無駄だとか言われがちな行為だが、やはり時代は変わるもの。
ここでは立ち話さえもが立派な情報交換の手段で、大切なコミュニケーションなのだ。
人の良い笑みを浮べる老父が麻袋いっぱいに野菜やらを詰めるのを、手伝う。
は本来、人と話をするのが好きだったので此処での買い物はとても楽しい。
つい沢山買ってしまう。その際に『坊や』やら『坊主』やら言われるのが一々嬉しい。
(やっぱ見た目は大切なんだ、うん)
「沢山じゃのう。こんなに買い込んで何に使うんだい」
「これ?料理するつもりなんだけど、人数が多くてさ」
「大人数かぁ、そりゃ随分と楽しいじゃろうなぁ」
「いーや、うるさいだけだよ」
楽しそうに目を細める老父を見て、こちらも嬉しくなる。
勘定をして、最高に膨れ上がった麻袋を持ち上げようとすると案の定、野菜が零れ落ちた。
それを見た老父はの持つ袋に持ち手を付けてくれる。(ニワトリは落ちた野菜を秒速で平らげた)
坊主1人で大丈夫かい、と止める老父の声を笑ってもみ消して、そのまま次の店に向かいだした。
しかし、だ。
次の店とはいっても、荷物が重い。
麻袋にはご丁寧にも取っ手が付いていたけれど、その上に
あのニワトリが乗って、しかも何度掃っても乗ってくるものだから、取っ手を利用することが出来ない。
両手で抱える以上、尚更重く感じられる。がどけよ!と言うとコクァッ!と怒った様子で返してきた。
そして、ふと思い出して後ろを見る。
「ってか幸村たち、居ない?」
「コケーココケッコゥー?」
「そうそう。居ねーの」
「クォコココー」(がしがし)
「そうそう。でも髪を突付くな、髪を。」
沢山の人が行き来する広い通りの真ん中で立ち止まり、
荷物を持っている所為で至近距離になったニワトリとは首を傾げあった。
残念がって溜息をつくが、
探すわけにも行かない。
(居たなら荷物もちにしたんだけどな…)
(城は…っと、西の方。そう遠くまで来てないのか)
あれ程でかでかと見える城だ、その方向へ進んでいれば迷うことも無いだろう。
それに、城下町に進む途中。向けられる好奇の視線が凄まじかったのは
あの二人の所為だ。
先ほどの老父の店で聞いた話だが
幸村も佐助も、この城下では随分な人気を博していて
韓流スターさながらのファンが居るらしい。
そのような状況で、どうして普通の町民のように買い物が出来ようか。
「ま、フツーの人間にはSPなんて付いてねーもんだよな」
幸村と佐助を誘ったのは守って欲しいからでも、目立ちたかったからでもなく、
『友達』と遊びたかったからだ。
最初から御付役なんて要らないような気がしていたはさして困ることも無く、いや寧ろ
晴れ晴れした気分になってニワトリに息を吹きかけた。
ギュと目を閉じる仕草が、思いの他可愛い。
いわゆるアニマルセラピーに重さも癒えたようだったが、
流石に十数分もすれば野菜の重みが堪えてきて
丁度良く少し進んだ先にあった茶屋の長椅子に腰掛けた。
「そこのお嬢さん、お茶もらえる?」
「え、あ、はいよっ!今すぐに!」
疲れ紛れのキラースマイル(無意識)に中てられた店の娘は、やけに身なりや
髪形を気にしながら店の奥に戻っていった。
(しかも『お連れの方にもどうぞ』とか言って、ニワトリに餌まで出した。)
周囲と明らかに違う待遇だったが、は構わずに肩をニワトリに揉ませたり、もとい突付かせたり
している。もう1人2人は座れそうな椅子が今は野菜に占拠されてしまっていた。
「お客さん、これ繋ぎに頂いてちょうだいな」
「え?俺これ頼んでないけど」
「そんな事いわずに貰ってよ、ね?」
「はぁ、そりゃどうも」
狐色のみたらし団子を受け取って、が
曖昧に笑んで返事すると娘は頬をほんのり染め、小さく悲鳴を上げて両手を頬に添えながら
また店の奥に引っ込んでしまった。見てみれば店の奥、数人の店娘と目が合った。
(俺、お茶頼んだんだけどな…)
もう餌を食べ終わったニワトリが、さも当然のように
リズミカルに鳴きながらの貰った団子を盗み食いしている。
頼んでも居ないのに店の娘が団子やらを持ってきたのにも驚いたが、が本当に驚いたのは
そのあとの出来事だった。
「ンのクソ餓鬼がァ!」
元々騒がしい通りだったが、その声はひときわ大きく聞こえた。
一瞬とちょっとの間、その声を発した主の周りがしん、と静まり返る。
声の届く範囲に居た人間の顔が殆どそちらを向く。もそれに漏れることは無かった。
「おいおい何だよ?騒がしいなー…」
「ケッコー」
向けた視線の先には、見るからに柄の悪い――つまり信玄が言っていた『良からぬ輩』達が
集まっていた。
その周りを歩いていた人々は次第に引いていき、駆けつけた野次馬達やの周囲に居た
人たちもまた近寄るが、一定の距離を取って
遠巻きに見つめている。
「ぶつかっといてその態度は無ぇだろオイ」
「許してやるから持ってるもん全部置いてけよ」
「ナマイキ言ってっと痛い目見るぞコラ!」
つまりは、この『良からぬ輩』5人組。偶然肩のぶつかった相手に絡んでいるのだ。
輪になっているその中心に今回のターゲットたるアンラッキーパーソンが居るのだろう。しかも随分と
背が低いのか、五人組は誰もが下向き加減に脅し文句を好き勝手発している。
(相手は……子供、か?)
だとしたらとても大人気の無い話だ。
まさかそんな訳が無いとも思ったが、五人組もそう背の高い方ではない。
あれが見下ろすぐらいといったら、もう子供しかいないだろう。
可哀想だな。
は遠巻きにさわぐギャラリーを視界に入れながらふと思った。
活気のあるイメージの城下町は、確かにこんなところでも活気が良いようだ。
光があれば陰もある、ということだろうか。
(こういうの、テレビでみたことあるもん俺)
仕方の無いことか、と思っていると、やっと茶が出された。
「お茶持ってきたよ、お兄さん」
「どーも。ねぇお嬢さん、あの連中は一体何なんだ?」
「あの人たちは…たまにやってきて好き勝手やっていくのよ」
「たまに?それは困った奴等だな」
「そう、困ってるの。この前もあんな感じで」
「じゃあ処分する団子、五つもらえる?」
「え?」
「ああ、無いなら良いけど」
何を言われているのかやっと理解した娘は、少し待ってちょうだいね、と言い残して
奥に戻っていった。片足だけ胡坐を組んで、長椅子に座りながら事の流れをジッと見ているうちに
娘は団子を持ってきた。礼を言って受け取るとそのうちの一つを手に取る。
殆ど形が崩れていて、手に餡が付いた。成る程処分する団子だ。
は肩を廻して野球の投球フォームをとった。
「お兄さん、それを一体何に使うんだい?」
「ちょっと制裁を与えようと思ってね……つまり、」
ベッチャーン!
「投げつけてやろうと思って、さ!」
背番号1059、ピッチャー振りかぶって投げました!ストレート!一直線!
素早い一撃がバッターの頭を直撃しました!デッドボールです!死の球です!
ピッチャー喜ぶ!ニワトリが飛ぶ!ギャラリーも飛ぶ!胴上げか!?胴上げなのか!?
「テメェ!何しやがンだゴルァ!」
「どりゃッ」
「いい加減にしぷぉ」
「喰らえッ」
「このヤロぶっ」
やはりバッター憤怒しました!今度はピッチャーに一直線です!
しかしピッチャー諦めない!投げ続けます!永遠と投げます!バッター顔面全て餡子に染まりました!
球(餡)を全て芯(顔面)で捉えていますね、相当な選手でしょうか!
それとも唯の可哀想な人でしょうか!
そうこうしている内に、先ほどの五人組はの正面に集まっていた。
先ほど横に居たはずの娘はに薦められて奥のほうに戻っている。
有難い事に五人組との身長はほぼ同じ位だったので、
それほど表面的な劣等感も感じずに、は悠然とその前に立った。
「自分が何やってンのかわかってんのか、コラ」
「ん?いやぁ団子を投げるのに偶然良い的が有ってね」
「俺が的だってンのかァこのモヤシ野郎」
「それ以外に何がある?お頭も弱いのかお前ら」
はニッコリと笑んだままで自分の頭を指差した。
挑発だ。喧嘩はやりなれているし、今は(見た目も)男だ。
何の気兼ねもなしに暴れられる。
現代に居た時は二日に一回、必ず他校からの挑戦者が来て遣り合っていた。
だからここで喧嘩に縺れ込むことも避けたい道ではなかったし、寧ろ
日常の一部のようで有り難かった。
の挑発にあっけなく乗った男達は口々に何か言いながら、腰に差した
刀に手を伸ばした。その動作に、周りの人間は息を呑む。
以前、この男達に注意をした人間はいたが、ここまでに至った
例は無かったからだ。
それに此処は天下の往来。
喧嘩刀を振り回されて嬉しいことなんて、全く無いのだ。
「おいおい、俺は丸腰だぜ?卑っ怯だなー」
「卑怯上等だァ!切り捨ててやる」
「意気込んじゃってまぁ……いいぜ、相手になってやるよ」
満更でもないは隣の桶に入っていた棒を手に持った。
わぁ、と怯える声にも歓声にも取れる声が揚がる。
ギャラリーの悲喜交々の視線に
まるで元の時代に戻ったようで、知らぬ内に口端に笑みが浮かぶ。
自分が争いの中で昂揚するのは余り喜ばしいことではなかったのだが、そう思うのは
いつも全てが終わってからだ。とかく今はどうやって戦うか考える脳しか働かない。
手に持った棒は角材で持ち難かったけれど結構な重量があった。戦うのには充分だろう。
「死ねやァ!」
刀を振りかざす五人を見据えて、の昂揚は最高に達した。
不適に笑んだ歯の隙間から空気が行ったり来たりするのが良くわかるほどに、
浅くなった呼吸はあの時、あの戦場に1人、赤の大群と戦っていた
時のものと同じだった。(喧嘩好きなんだなぁ…俺って)
「軽ぃぞ!俺を殺す気で来いよ!」
硬木類だったのか、刀の切れ味が悪かったのか、は難なく受け止める。
刀に掛かる圧力はそこそこ。しかしあの南の学校にいた不良よりはずっと弱い。
こんなものか。少し白ける。
深く切り込んだ刀はそのままに、残りの四本が切りかかってきた。
間髪居れずは思いきり身を回し、自分の正面に居た男と自分の位置を反転させる。
味方を刺しそうになった男達は、間一髪でその手を止めた。そして木に刺さった刀は捨て置いて
五人とも、今度は慎重にと距離を取った。
「くっ…なんだコイツ」
「調子に乗りやがって……!」
「かかってこねぇのか?ほら、刀返すよ」
木から刀を引き抜いて、そちらに投げた。
真剣は初めて持ったけれど思いのほか、重たい。
抜き身の刀が地に当たって耳に慣れない金属音を立て、
一時的に休戦状態になった、時。
ぐいっ
「うおぉぉー?」
突然左手に得体の知れない引力が働いて、
の視線はあれよあれよと横にスライドしていった。
勿論あの五人組との距離も離れていく。
達を囲んでいたギャラリーがその所為でО字からU字に形を変える。
つまり、引っ張られているのだ。誰かに。
すかさず追い討ち的にに言葉が掛かる。
「待て!ゴルァ!」
「逃げる気かテメェ!」
「うっせーな!俺だって好きで逃げてるんじゃないっつーの!」
(俺だってお前らをコテンパンにしたいんだよ!バーカ!マヌケー!)
どれだけ言い訳をしてみても周りからは逃げているようにしか見えない。
武士道において背を向けるのは最高に恥ずかしいことだと聞いた。
が武士ならば、走りながら切腹してしまうような、
歯がゆい気持ちを持ったまま、今度はその『引力』の掛け主に目を向けた。
「こんにゃろ!手を離、」
そして絶句する。
紫を基調としたノースリーブ、半ズボン。
の手を掴むのは弓撃ちの使うような、皮の手袋。
背には弓。もう一方の手には本人の身長ほどはあろう、巨大な弓。
極め付けに、後ろからでも見えるおデコの噴水。
「………ら、」
(蘭丸かよぉーー!)