意識不明の重体だった根炭針男さん(住所不定無職)もといハリーは、 またもや亜莉子権限によって黄泉から引き返さざるを得なくなり、 制裁(と、言うべきなんだろう)によって所々ほつれてしまったオーバーオールと 軋む体を引き摺って私達を『親方』とやらのいるところへ案内してくれることになった。 本当に亜莉子の雰囲気的な圧力といったら、野生のライオンをタメを張れる位だ。


「ところで亜莉子や、チェシャ猫は一体どこに?」

「ああ、後ろ向きで付いてくるから怖くって。
だって体勢がどうであろうとあれはストーカーじゃない?」

「(…どれが?)それで?」

「付いて来ないでって言って、そのまま此処に飛び込んだの!
そしてとこの針男に出会ったのよ。私ったらツイてるわよね。
しかも最近腕が鈍ってたから、もう、スッキリしちゃった!

「…それはそれは」


会場の皆さん、10秒経つ前に非難してください。







05 アブナイお店にご用心







「ところで、あのぅ」


ハリーが話し始めたのは私が会場の皆様に避難勧告をしたその直ぐ後だった。

私達はその尻窄みな会話の切り出しに集中した。というよりはハリーの動向に集中した。 というのも、私達はハリーの後ろに付いて行っている。だけどハリーの背中には沢山の棘が生えていて、 行き成り止まられでもしたのなら、絶対とは言わないにしろ刺さってしまうこと請け合いなんだ。 怖いと思わないかい。人ぐらいの大きさのハリネズミの針に刺されるなんて。

ハリーは立ち止まってこちらを振り向いた。
鼻先が私のほうを向いているということは私に話しかけているのかな。


「?何だいハリー」

「お嬢さんはこのお友達をアリスじゃないって言ってましたけど
……それって、本当ですかぁ?」

。このネズミ、何を言ってるの?」(ひそひそ)

「ああ、私が最初にハリーに出会ったとき『アリスじゃないか』と訊かれてね
否定するついでに亜莉子のことも否定しておいたんだけど…」(ひーそひそ)

「成る程ね…」(ひそひーそ)

「迷惑だったかい」(ひそっそ)

「まさか!」(ひそひそーん)


チラリとハリーの方を見ると、不思議そうな顔をして、だけどなんだか魂が抜けたみたいな アホ面(おっと失敬!)で亜莉子のほうに鼻先を向けていた。 私と話したときを大きく上回るぐらいに鼻先がくんくんと動いている。 あれは何なんだろう。亜莉子がクサいとでも言いたいんだろうか。 なんて失礼な。亜莉子は、亜莉子はね、ハリー、シトラス系の香りがする暴力派美少女なんだ。 君の所為で『えっ何、あの子臭いの』みたいな風になったらどうしてくれるんだい。

ハリーは自分に対する答えが欲しかったのか、私の手をまた、あの小さい手で掴んだ。
小動物の手の平の肉球がぎゅうぎゅうと私の手を圧迫する。ちょっと気持ちいい。


「残念だけど、私はアリスなんて名前じゃないわ
アンタもあの猫もなんなの?私のコトそんなにアリスって言いたいの?」

「猫?猫にあったんですかぁ?」

「会ったわよ。逃げてきたけどね
人のコトアリス、アリスって、何かの宗教かしら」

「あ、亜莉子…」

「ん?何、どうかs」


「じゃあ!じゃあアリスですね!」


私に詰め寄るハリーの手をむしり取ると、亜莉子は堂々と言ってのけた。 『チェシャ猫にアリスと呼ばれている』と。 私は嫌な予感がしていたんだ。このハリネズミは執拗に『アリス』という媒体を探しているようだったから。 チェシャ猫が『アリス』絡みで私達に意味のわからないイリュージョンをしたように、このハリネズミも その名がでた瞬間、突飛な行動に出るんじゃないかと心配だったんだけど、 こともあろうに亜莉子はその心配をピンポイントで銃撃してくれた。 射撃の腕を上げたね。 こんなのは君がテストの山場を綺麗に(本当に1つも当らずに)(でも亜莉子は自信満々だった)外した時以来だよ。

ハリーは行き成り大声を上げると私にむいていた鼻先を思い切り亜莉子に向けて、 さっきむしり取られた両手で亜莉子の黄金の両手(もう右だ左だ言ってられない)を掴みこんだ。 あからさまに亜莉子が嫌な顔をしたのだけど、どうやらハリーの目にはもう亜莉子の表情云々は 映らないらしい。


「うわぁ、やっぱり!そうだと思ってたんですよぅ
こんなところにお嬢さんが二人も来るのも珍しいことなんですよぅ」

別に来たくて来たわけじゃないわ。
ねぇ…の事はアリスだと思わなかったの?」

「何を聞いているんだい亜莉子や」

「だっての方がアリスっぽいじゃない」

「そうかい?そんなことは無いと思うけど」

「そっちのお嬢さんは違いますよぅ
だって、お嬢さんは…」


ハリーは私の近くに来て私の匂いを嗅ぐようにクンカクンカやると、完全に確信したように バッと顔を上げて、うんうん、と頷いた。しかもその会話はそれで終わってしまった。 多分この場でその意味がわかったのはハリー、君だけだろうね。
それにしてもビックリするぐらい元気になってしまったハリー君は 5話の最初と違って随分乗り気で、それこそ私を紹介するとか言っていた時にも劣らないぐらいの ポテンシャルを手に入れたらしい。しかも、なんだかさっきから彼の足がステップをとっているみたいだから、 ちょっと気になってそれを真似していると、亜莉子は噴出するのを一生懸命堪えているみたいにして、 明後日の方角を見ながら震えていた。私だってこういうポルカな気分になったりするさ。

被服室のドアの付け根。
身の丈ほどもある階段を最上階から最下層まで一生懸命下りた先。
そこに標準よりはずっと小さなドアと看板があった。


「したてや・服『おくつり』します…?」


だけどその親方とやら、どうやら少し急いでいたらしい。



















入ったなら、そこは服の森だった。普段ならそんなに多くないはずだけれど、被服室のなかは大小様々の服がおいてあったんだ。 大きい(人間サイズの)服をチラリと見かけたけれど、普段自分が着ているとは思えないぐらいの迫力だった。 考えてみれば今の私達は制服のスカーフを服代わりにしているんだよね。それなのにそのスカーフが当然の服のように思えるくらい、 その光景は異様だった。


「遅いッ!何油売ってやがる!」


ハリーの熱烈な歓迎によって散策する暇も無く連行されてしまった私達は今、 遥か上の作業台にハシゴで上った先にいる。 そして製図された布の前に仁王立ちになった人物を見つめていた。 最初はハリーの遅さに喝を入れ、続けてハリーの針が必要だと声を荒立て、 最後は、ハリーの針を引き抜くと仕事に帰る。この方が『親方』らしい。

それで、何故私と亜莉子がこうも呆けているのかというと、その相手が絆創膏だらけだからさ。 絆創膏だらけの人が、話してるんだ。顔も体も絆創膏だらけだよ。いや、ちゃあんと肌色の見えるスペースはあるんだけれど。 それにちゃあんと目も見えているんだけど。いやしかし、これはすごい。私はこんな人間を見たことがない。 案外人でないのかもしれないけれど…

そうしていると、亜莉子が小さく話しかけてきた。


「…亜莉子?」

「あのハリーとか言うネズミ。針、抜けたのね」

「そうみたいだね。どうかしたのかい」

「いや、全部抜いて置けばよかったかなって…思って」

「全部は駄目だよ亜莉子や。死んじゃうよあの子」

「そうよね、それが問題なのよ」


笑顔は可愛らしいんだけど、言ってることが問題だらけだよ、亜莉子。


「それで何なんだ?嬢ちゃんたち、誰だ?
お客さんなら、どんなのをお探しで?」

「ああ!親方、アリスですよう!アリスとそのご友人なんですよぅ!」


行き成り此方にベクトルの向いた台詞に亜莉子は目をまん丸にした。 目が合ってしまったんだろうね。 一方私はどう自己紹介したら良いかを模索しようとしたけれど、その前に親切にも ハリーが私達の紹介をしてくれた。アリスと、そのご友人、だってさ。 それにしても、やはりアリスという言葉は何かの魔法のような力を持っているのかもしれない。 ハリーがあんまり興奮して飛んだり跳ねたりする所為で手に刺さってしまったハリーの針を忌々しそうに抜きながらも、 その親方は驚きを隠せないような声で、なにぃ、アリスだと!と狂喜するように言ったんだから。


「アリス…」

「なによ、触らないでよ」

「幾らなんでもそれはかわいそうじゃないかい」

「アンデッドは苦手なの」


衝撃を受けたようによろめいたあと、此方に手を伸ばしてくる親方を上手く避けて、しかも何気に辛辣な 言葉を撒き散らして、亜莉子は私の背に隠れた。でも、アンデッドって。 包帯男がマミーって呼ばれてるのと同じ感覚なのかもしれない。なんて素晴しい視覚的センス。


「お帰り!俺達のアリスーーー!!」


本当に嬉かったんだろうね。 親方は両手を広げて私、いいや、そうじゃない、もとい私の後ろの亜莉子に突撃をしかけてきた。 亜莉子の小さな悲鳴が聞こえた後、亜莉子の暖かさが直ぐに遠のいた。それに気が付くのと 親方が私に飛び込んでくるのは、コンマ1秒も違わぬぐらいに同時だった。


「っ!」

!」

「親方!」


ごん、と。

親方の勢いが強すぎて背中から思い切り机にぶつかってしまった私は、そんなに痛いわけじゃなかったけれど、 息を詰まらせた。目の前に絆創膏が見える、それが親方の肩だと判るのにはそう時間は掛からなかった。 それでも詰まってしまった気道が苦しくて、2,3咳き込むと肩越しに亜莉子の心配そうな声が聞こえた。 こういうときの亜莉子の声は本当にか弱い少女のようになるんだ。心配していてくれるのは嬉しいけれど、 そんな泣きそうな声をされたら私もおちおちこけたり、すべったり出来ないんだよ、やさしい亜莉子や。


「大丈夫、大丈夫だよ、亜莉子」

「そう…?本当に?だってさっき咳き込んで」

「ちょっとだけ、苦しかっただけだからね、安心おし」

「ちょっと、苦しかった…?
苦しい、思いをしたのね?

「え、いや、亜莉子、亜莉子や?」

になんてことするの、この野郎…」


亜莉子は今度こそ不敵な笑顔ではなかったものの、拳を鳴らせ、肩を廻す。
恐れていたエマージェンシーモードが再開してしまった。

私は避難勧告を出すために、まだ私の上にいる彼に話しかける。 でも彼は私の方に目線を向けたまま、 一向に動こうとしない。一体どうしたっていうんだろう。なにかマズイことでも 言ったのか、それともどこか打ったのかもしれない。ここには病院も何もないだろうから、どうしようか。 つい最近、学校の集会で心拍蘇生は習ったけれど、そんなのはもう忘れてしまったよ。


「親方さん、親方さん、はやく私から離れた方がいい
貴方の身が危険にさらされているよ」

「……」

「親方さん?」

「あんた、」

「?」

「あんた、も、もしかして」


初めて親方と目が合った。だけどその瞳はよくわからない混乱に 染まっているように、瞳孔が開いたり縮まったりをくりかえしていて、 平静のそれではないことは直ぐにわかった。 なにかに混乱しているのはかわいそうだけど、このままにしていたら もっと可哀想なことになるんだ。私は意を決して、私よりも体格の大きいこの絆創膏の人を 私から引き離して、なんとか亜莉子をバーサクから救出することにした。


「身分をわきまえなさい、マミー☆親方如きが」


が、もう遅かったらしい。
私から離れなかったマミー☆親方さんもまた、意識不明の重体となりました。
(マミーなんたらというのは、一応聞き流しておいた。)



















「すまなかったな嬢ちゃん」

「はぁ、いや、私はそこまで気にしてはいないよ」

「そうか、それならよk」

「それ、本気で謝ってるの?」

「すみませんでした」

「いえいえ」


その後ハリーの懸命な看病で短期間でHPレッドゾーンから復帰した 親方は先ほどの戦慄を思い出したのか、一回身震いをした後、私に謝罪をした。 しかも途中亜莉子が雷の様な一撃(一言)を降らせて、もっと丁寧な謝罪を聞くことになった。 私はそんなに気にしてなかったんだけれどね。


「…他に、何か?」

「あ、ああ、いや、何もありゃしない」


ふと気が付くと親方がまた私をみて固まっていた。無視しておくのも手かとは思ったけれど、 やはり理由を聞きたいと思って話しかけた。でも残念なことに、返事は随分とフワフワしたものだった。 亜莉子の黄金の四肢(全領域になった)の打ち所が悪かったんだろうか。 駄目じゃないか亜莉子や、慰謝料、損害賠償、果ては葬式代だって請求されるかもしれないよ。


「親方ぁ、アリスの服を持ってきましたよう」

「おう、そうか。じゃあアリスにお渡ししろ」

「はぁーい。どうぞ、アリス」

「アリスではないけれど…有難う」


亜莉子に手渡された服は、亜莉子に似合う、とても可愛らしいものだった。 亜莉子が私のほうを見遣ったから、とても似合うと思うよ、というと、 亜莉子は万遍の笑みで、ありがとう、と。数行上の有難うよりもずっと可愛い 声音で言ってくれた。いつもそういう風にしていれば何処かのお嬢様みたいに見えるんだけど、 惜しいね。

一足先に試着室に入っていった亜莉子の後姿を見ていると、ハリーが私の手を握った。
振り帰ると、ハリーの後ろにはマミー☆親方さんも一緒に居た。そして何気なく目線が合った んだけれど、そそくさと逸らされてしまった。 あまり好い気はしないね。仕方なくハリーに目線を戻すと真っ黒な目が此方をキラキラと見つめていた。


「お嬢さんはどういう風にしたいんですかぁ?」

「私かい。スカーフじゃないのなら、なんでも良いんだけれどね」

「だめですよぅ!倉庫にはいっぱい服がありますから、選んでくださいよぅ」

「倉庫?ああ、そこからさっきの亜莉子の服も持ってきたのかい」

「はぁい。案内しますぅ」


ハリーが私を倉庫とやらに連れて行ってくれると、其処には子供服の様な、それでもまだ私の様な身の丈 には大きすぎる服が沢山置いてあった。それと一緒に幾らか箱が重ねてあって、正に倉庫、そんな雰囲気を醸し出している。 それにしても、もうふた周りは大きな服。たしか亜莉子のもこんな感じだった。大きすぎるんじゃないのかい、と ハリーに問うと、ハリーはそんなことないですよぅ、とうわの空で答えた。


「選んだなら、さっきアリスが向かった試着室に行ってくださいねえ
僕は親方から戻る様言われているのでいってきます」


どうやったのかは判らないがハリーは部屋に電気をつけた後、親方の元に戻っていった。

そのあと私は辺りを見回してみたけれど、スカートやドレスばかりで、正直に言えばあまり着たいとは思えない 服ばかり。それでもスカーフよりはましかと思ってそのうちの一枚に手をかけたとき、不意に衝立の向こうがわが目に入った。


「…紅一点、いや、黒一点かな?」


黒の燕尾服が、ひとつだけ寂しそうに置いてあるのが気になった。
そして引き寄せられるように近づいてみると、胸元のポケットのナプキンが入っているところに、 待ち針で『Wear Me』と書かれた紙が止められている。 こんなこと、あのパンのときもあったような気がする。でもね、あのパンを食べたお陰でここまでことが進展した のだから(良い意味でも悪い意味でもね)これは従うべきなんだと思う。

その燕尾服(素晴しいと思わないかい、下着も付いているんだ)を選んで倉庫を出たとき、 私の耳に入ってきたのは、小さなささやき声だった。 何を言っているかは判らないけれど、この声質からして、会話の主はハリーと親方のようだ。 人の会話を盗み聞きするわけじゃない。ああ、勿論私にはそれをする気なんてのは全くない。 だけど、聞こえてしまったものはもう、削除できないわけで。

その声は、はっきり言った。















「いいか、クロネコにはバレないようにするんだぞ」